星明かりと夢の狭間

お父さん、お父さん、お父さん。
幼い声音だけが鈍色に沈む冷たい空間に木霊する。無造作に散る温度のない瓦礫達は少女の柔い手に容赦なく傷を残し、桜色に色付く爪を剥いだ。痛くて寒くて、果てない絶望が小さな胸に押し寄せても尚、少女は声を上げ、瓦礫を掘り返す作業を決してやめなかった。やめてはいけない脳がと伝えるのだ。この手を1度でも止めた時、目前の冷酷な現実を認めてしまわなければならない。父は生きている。頭上から落下した瓦礫のせいで身体ごと埋まってしまってはいたが、きっと地面と瓦礫の間に小さな隙間が出来てそこで息が出来ている筈だ。身体だってその隙間に上手く入り込んで大きな怪我なんてしていない。ただ瓦礫があまりにも厚すぎるから、自分の声が届いていないだけなのだ。だから諦めずに喉を鳴らしていれば父は反応してくれる。絶対に。
少女の足がパシャリ、と生暖かい液体を踏んだ。それは生き生きとした赤ではなく、地面に滲む、黒味を帯びた死の色だった。



「あれっ、メルカちゃんまだ寝てるのかな」

キーボードを叩きながら宇佐美が壁掛け時計に目をやる。時刻は7時を回ったところだった。カーテンの隙間を覗けば既に空は夕闇に閉ざされ、銀色の星が瞬きはじめている。
数時間前に防衛任務を終えたメルカは支部に戻ると身体の疲れを訴え、残っていた宇佐美に了解を得て空き部屋の一つへ篭っていた。
ソファに腰掛け、ぼんやりとしている迅に宇佐美が「メルカちゃんの様子ちょっと見てきてよ」と声を掛ける。
ええ…なんでおれが。 師匠でしょ。それに今、手が離せないの。
宇佐美は目前のパソコンに映る夥しい数字の羅列を指した。迅はやれやれ、と息を吐いて二階へと通じる階段へ赴く。
するとちょうど目の前に僅かに扉の開いた部屋を見つけ、ドアノブに手を掛けた。

「メルカ〜そろそろ起き……」

迅の言葉を遮ったのは薄闇にぼんやりと響くメルカの声だ。だが様子がおかしかった――泣いている。弱々しく啜り泣く声に迅が気付いた時、彼の手は勢い良くブランケットを剥いだ。

メルカはガタガタと震える自身の体を抱き締めていた。
沈んだ瞳から零れる丸みを帯びた涙はカーテンから漏れる星の光を纏って、銀に輝く。まるで真珠のようだった。それらが頬を伝い、ほろほろ、ほろほろと制服やシーツに透明な染みを作る。

「どうした?何があった?」
「お、お父さんが…お父さんが返事、して、くれないの……」

ずっとここで呼んでるのに返事してくれないの。きっと瓦礫が厚すぎて聞こえないんだわ。だから、聞こえるまでずっと呼び続けなきゃだめなの。でも、でも、お父さんが………
メルカが言葉を言い終える前に迅は震えるその小さな身体を抱きしめた。一瞬びくりと肩が揺れたが、彼女は抵抗しなかった。

「あ……え、迅さ…わた、し」
「メルカ、大丈夫…大丈夫だから」

鈍色を孕んでいたメルカの瞳に漸く光が戻り、新たな動揺が声を震わせる。
メルカの身体は思ったより細くて頼りない。普段は近界民との戦闘に勤しむ彼女だけれど、まだ15歳でたったの11の時に父親を亡くした力無い子供なのだ。
再び涙するメルカは小刻みに揺れる声帯から言葉を絞り出す。迅さん、迅さん。掠れた声音は確かに迅の鼓膜に届いた。
腕に一層強い力が灯る。息遣いや心音が身体に溶け込みそうなほど、二人の距離は近かった。
此処にいるから、大丈夫。
その言葉はメルカが四年もの間、欲していたものだった。

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