ハッピーマニュアル

「酷いです小南さん、一体何が不満なんですか」

後輩の弱気な声などお構いなしに、小南はグロスの乗る薄桃色の唇を尖らせてメルカを睨んだ。正確には二人の間に存在する、テーブルの、その上に載せられた物体に目を眇めた。人の顔より少し小さめの大きさの円形をした物体だった。それは黒く色付いており、発せられる匂いは喉で燻っている。端的に言えば焦げていた。

「不満も何も、文句ない方がおかしいわよ!そもそも何よこれ!?」
「パンケーキです」
「ただの消し炭じゃない!」

メルカの平たい胸に容赦なく刺さる小南の言葉の矢。消し炭と称されたパンケーキに再び目を落とす。無論、パンケーキに口はなく、この状況を打破する解決策を提案してくれることなどなかった。
数十分前、「パンケーキが食べたい」と小南が呟いたのがはじまりだった。薄い生地にボリュームたっぷりの生クリームと、甘いソースの掛かった近頃流行りのスイーツは手軽で見た目も鮮やかだと若い女性を中心に人気を博していた。三門市にもチェーン店がちらほらと並び立ちはじめていて、小南もそのスイーツに心を奪われたひとりである。甘い物と、フルーツが好きな彼女には至高の菓子といえるだろう。いつも強気で簡単に近界民を捩じ伏せる彼女も本来はごく普通の女子高生なのだから、それは当たり前の感情だった。
彼女の呟きを耳にしたメルカは後輩らしく気を遣おうとセーラーの裾を捲った。

「私、この前調理実習でケーキ作ったので、作れますよ」

にっこり笑って応えると小南は「すごい!」と無邪気な声をあげた。
冷蔵庫に卵と牛乳、バター、ホットケーキミックスの存在を確認してメルカはフライパンに油を注ぐ。小南は期待に瞳をきらきら輝かせてフライパンを器用に操る後輩を見守っていたのだ。

「あんたこの前ケーキ作ったって言ったじゃない!」
「作りましたよ、作りましたけどこうなっちゃったんです……!」

パンケーキって、生地をフライパンで焼くだけで出来る超初級な代物ではなかっただろうか?メルカの脳内は困惑と疑問で渦巻いていた。
確かにケーキは作った。しかし調理実習で組んだ友人らが「メルカには触らせない」と頑なにメルカの参加を拒んでいたため、メルカが携われたのは完成したケーキの実食のみだった。どうしてやらせてくれないの?と必死に友人に訴えたものの、「死人が出てからでは遅い」とハッキリした口調と真面目な顔で答えられてしまってメルカは終始、友人達の器用な手先を眺めていた。
携わってはいなかったけれど確かに見ていたのに。生地を混ぜて、型に流して、オーブンに突っ込めば後は機械が熱を与えてやってくれるものとばかり、思っていたのに……。
「死人が出てからでは遅い」友人の強い口調が頭の中で木霊する。……付き合いの長い彼女達はきっとこうなることを予期していたのだ。
メルカは自分の不器用さを末恐ろしく感じた。
手のひらを震えるひとみで眺めていると、いつの間にか応接室にやって来た烏丸が消し炭もといパンケーキと小南、メルカの表情を伺った。

「あれ、知らないんですか小南先輩。今真っ黒になるまで焼いたパンケーキが流行ってるらしいですよ」

いつも通りの仏頂面で、烏丸は喉を鳴らした。
ちょっと、烏丸さん…!? いいから。
声を上げようとするメルカの口を烏丸は強引に手で覆った。小南はすっかり信じ込んでおり、消し炭と蔑んだパンケーキを今度はご馳走を眺めるような目付きで覗いている。
何が、良いから、だ。全然良くないだろう。
小南は人の言葉を全て信じて鵜呑みにしてしまう妙な癖がある。子供でも騙されない安っぽい嘘でも彼女はすんなりと「真実」として昇華されてしまうのだ。純粋さゆえの特徴なのだろうが、この性格から玉狛の支部員から相当騙されて過ごしていて、メルカは同性の後輩として同情せざるを得なかった。
メルカが迅に連れられ、初めて支部に来た時も、「こいつおれの妹なんだ」とホラ吹く師の言葉を彼女はまるっきり信じていたことを思い出す。
小南はおそるおそるフォークで真っ黒なパンケーキを一口大に切り分け、口へ運んだ。もぐもぐと口を動かして喉に通る苦味に何故かうっとりとしている。

「そう言われればなんか美味しいかも…」

ちょっと烏丸さん!
メルカは傍に立つ仏頂面の先輩に向かって怒号を放った。烏丸の顔は相変わらず色が浮かばないが、さも愉快そうに瞳を揺らしている。支部の中で小南を1番騙すのは決まってこの男である。
あんな焦げたもの食べさせたら、身体に毒じゃないですか。
メルカはいまだ食べ進めようとフォークを近付ける小南から皿を取り上げようと手を出した。

「小南さん、もう……」
「結構美味しいじゃない、また作ってよメルカ!」

小南の表情は純真無垢にきらめいていた。
その光はメルカの罪悪感を照らして執拗に痛めつける。

「え、ええと…は、はい」

こんな笑顔を向けられたら首を縦に振るしかないではないか。
次はきちんと調理方法を学んでからにしよう。メルカは目前で綻ぶ彼女のため、固く誓った。


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