君の夢は甘くあるから
ボーダー、という組織をご存知だろうか。四年前、暗黒点を潜り三門市に突如来襲した巨大な化物、後に近界民――ネイバーと呼ばれる謎の生物が三門の街を混乱に陥れたのだ。人々は抵抗する術を持たず、死者と行方不明者が続出。ごくありふれた平和な街は一瞬にして地獄へ化した。
だが、その現状を打破したのが、小さな一つの集団であった。
近界民に対抗する独自の技術を開発してきた彼らは怪物を撃破、その卓越した技術の下、短時間で三門に大きな防衛組織を作り上げた。
――界境防衛機関。通称、ボーダー。
現在の三門市も依然ゲートが開いているが、ボーダーの活躍と市民から寄せられる信頼により街を出て行く人間は極少なく、こうして今も三門の街は存続している。
街が初めて襲われた当時、小学生だったメルカも今ではA級に名を連ねるボーダー隊員である。そんな彼女に1から指導したのが迅であり、近界民に対抗する唯一の武器、トリガーの握り方から丁寧に教わった。
入隊当初は訓練用の近界民を見て恐怖で涙ぐむメルカだったが今では何の躊躇もなく巨体を一刀両断する。
弟子が強くなったのは大変喜ばしいことだが、近頃のメルカの戦闘を見ているとだんだん年相応の少女らしさが消えていっている気がして迅は少し心配でもあった。まだ幼さ残る可憐な少女が怪物を不敵に微笑んでバサバサ斃す光景はまだ目に馴染まない。
「今、とても失礼な事を考えてます」
「え?」
「迅さんが」
近界民の残骸を分断しながらメルカは言った。切り刻まれた破片は空中で弧を描き、彼女の周りにボトボトと落下する。先程まで暴れ回っていた怪物もこれでは見る影もない。
「顔に出ていました」
何を考えていたんですか?
疑問を口にしてメルカは変身を解いて元のセーラー服に戻る。迅は言葉を濁しながら、的確かつメルカの怒りに触れない単語を頭の中で形作る。
いや、強くなったなと思って。
ごくシンプルな言だと思う。成長したと感じたのもまた事実なのだから。
しかしメルカの表情が綻ぶことはなかった。
「私…もっと強くなりたいです」
「というと?」
「……この前、駿くんに個人ランク戦で負けてしまいました」
徐々に弱々しくなる声音が迅の鼓膜にやんやりと届く。メルカは肩を落とし、視線は彼女の足元にあった。黒色のローファーの爪先は細かな傷が目立つ。
「駿くんだけじゃない。玉狛の先輩も私よりずっと前からA級だし…同じA級でも力の差は歴然です…」
はあ、と重たい溜息を吐いてメルカは俯いた。
駿くん、もとい一つ下の緑川駿に負けた事が余程悔しく、彼女の中で大きく響いているようだ。それまで緑川とメルカは何度も点を奪い合う個人ランク戦で戦ってきたが、勝利を収めるのは決まってメルカだった。だがその連勝記録に終止符を打たれたことで、彼女の心に大きな重石となっている。他の玉狛の隊員達との力の差と、彼らからの期待も今のメルカにとっては枷と同じだ。
迅の掌はぽん、と小さな頭に添えられる。驚いてメルカが顔を上げると迅は歯を見せて笑っていた。
「今何食べたい?」
「……オムライス」
「報告終わったら食べに行くか」
するとメルカの顔がぱっと明るくなった。
「…いえ、やっぱり、その前に稽古付けて下さい」
やっと綻んだと思えば、食意地を張ってると思われたのが恥ずかしかったらしく、瞬く間に顔は赤らんでいる。
弟子の、くるくる変わる表情が可愛らしくて、やはりまだ幼い少女だと迅は一人感じた。
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