がやがやと賑わうファーストフード店の片隅に奏生は座っていた。彼女の通う岩鳶高校から電車で少しの店は駅の近くということもあり、老若男女様々な客層が店を占めている。
ジャンクフードの油っぽい匂いが鼻腔を突くのを振り払うように奏生は紙コップに鎮座するブラックコーヒーを流し込んだ。薄くて苦々しい液体は彼女の喉に刺激を与える。女子高生なら夢中で飛びつくであろう可愛らしい装飾が成されたアイスクリームやチョコレートパイに奏生は見向きもしない。パートナーの嗜好に合わせるうち、いつの間にか彼女は甘い物が苦手になっていた。
ちらりと腕時計に目をやる。時刻は午後6時。待ち合わせから2時間が経っていた。太陽は西へ西へ吸い込まれて行く。それでもなお奏生は動こうとはしない。
がたり、と椅子を引く音に遠のいていた意識は再浮上する。周りを見回せば、店はかなり混雑していて空席が見当たらなかった。成る程、相席か。と奏生は考えを巡らせる。
相手は無言でテーブルにハンバーガーが二つ乗ったトレイを乗せると腰を下ろした。
珍しい白い学生服を纏っていた。この近郊にある男子校の制服だった筈だ。鮫柄学園。確かそんな名前の高校だった気がする。
何の気なしに奏生は俯きがちだった目線を上げ、学生の顔を仰いだ。
「……凛?」
紅梅色の髪が夕日に反射し、ますます赤を強くしている。顔付きも身体つきも大人のそれだったが、釣りあがった飴色の目はあの時のまま、優しさを滲ませていた。
凛、だ。松岡凛。
一方、凛は眉間に皺を寄せた。誰だお前。呟く言葉は棘があり低い響きだった。しかしすぐに瞳を見開く。凛の中に幼い頃の少女の姿が沸き起こったのだ。
「お前……奏生か?」
「そう、だよ。末宮奏生。佐野小で一緒だった」
「なんだ…懐かしいな。元気だったか?」
ほんの少し微笑む凛に奏生は不覚にもドキリとした。元々顔立ちは整っていた彼だが、五年の歳月を経て、ますます美しいものとなっていた。笑みに残る少しの無邪気さが子供だったあの時を再び彷彿とさせる。
「鮫柄学園なんだね…中学は?一緒の学区だったよね?」
「…中学はオーストラリアにいた。水泳の勉強をしに」
「オーストラリア!?そっか、水泳好きだったもんね…凄いな凛は」
「別に、まだまだだ」
あの時の愛想は磨り減ってしまってはいたが、ストイックな所は何一つ変わっていない。
懐かしい、本当に凛だ。凛なんだ。
奏生の瞳にゆらゆらと水膜が張られる。こんな事で泣くなんて馬鹿みたいと思われるだろうか、しかしそんな事を気にしていられるほど奏生に余裕は無かった。忘れかけていた筈なのに、奏生にとって松岡凛はそれほど大きな存在だったのだと、今になって思い知る。
「で、お前は?岩鳶高校か」
「うん。あ、そうそう岩鳶にもね…」
「奏生!!誰だその男!?」
男の怒鳴り声が、不意に鼓膜に叩きつけられる。
店内は騒然となった。柄の悪い若い男が煙草を蒸しながら、奏生の元にやって来るではないか。凛は男と、奏生を交互に見た。奏生の表情は見た事もないほどに強張っている。心臓が凍ったような気分だった。
「ち、違うの小学校の同級生で!偶然会っただけなの!」
「馬鹿言うな!!てめぇ他の男に現抜かすたぁ、良い度胸だな」
男は奏生の胸倉を掴み、顔を近づけて吠えた。煙草臭い息が奏生の鼻腔を刺激する。視界の端で店員が電話を掛けているのが見えた。警察に連絡をしているのかもしれない。到着を待ちたい自分と騒ぎにしたくない自分が奏生の心の中で争っている。
「…っおい!やめろ!」
立ち上がったのは凛だった。しかし、奏生は割り入る凛を窘めた。
「良いの!……ごめん、凛」
奏生は髪を掴まれて、男と共に店を後にする。どよめきに揺れる店内は去りゆく男と、奏生の背に視線が集まっていた。凛の飴色の瞳もまた、奏生のか細い背中を見つめている。
――ごめん、凛。
奏生の寂しそうな顔が伸ばす腕の力を無くす。追いかける事は、出来なかった。