夏というのは総じて暑いものだが、今年は特に暑かった気がする。

鉢屋衆のある忍の里は、深い霧に包まれた山の麓にある。山は全体的に木々が生い茂っており、薬草を探したり忍としてさまざまな訓練をする為にはもってこいの場所である。近くには川が流れ、いざとなれば魚を取って野宿できる。町までは遠いようで意外と近い。
自然に囲まれたこの土地では、他に比べてそれでも暑さをしのぎやすい場所だった。にも関わらず、今年の夏は異常に暑いと、子どもの三郎でさえ思っているのだから、きっと梅雨はとっくのとうに気付いていたのだろう。
暑い、と一言零せば、うちわを仰いで二人で涼をとった。


「今は暑くても、冬になれば…今年は例年以上に寒くなるわ」
「そうなの?」
「恐らくね」


長年生きてきた経験がものを言う。三郎は、えーとばかりに顔をしかめた。暑いのは嫌だが寒いのはもっと嫌いだ。変装するには化粧が崩れにくい冬場が向いているというのだが、冬の過ぎ去った初夏に生まれた三郎にはどうしても慣れなかった。


「そろそろ、雷蔵くんが来るんじゃないかしら?」
「うん…」
「だったら、いつまでも寝転がっていないで、起きないとね。迎えに行くんでしょう?」
「うん」


実家に戻っても雷蔵の顔を借りたままだった三郎が、のろのろと体を起こす。八月も半ばになった今日は、町に住んでいる雷蔵が二日間ばかり泊まりにくる予定だった。学園にいる時に約束し、その後具体的な日取りを決める為に文のやりとりもした。
三郎は暑さに項垂れながらも軽やかに体を起こすと、くっと背伸びをして若干着崩れた装束を直した。それに続いて、梅雨も外に出る準備をする。
伊織や、その他の鉢屋の人間と一緒にいる時ならば三郎は梅雨と一緒でなくとも屋敷を出れるが、今はまだ離れることが許されない。正直過保護な待遇だと実感してるが、三郎は梅雨が隣にいても嫌だと思うことはなく、むしろ一年前の事件があるので周りが納得するなら甘んじて受け入れようとさえ思っていた。一番嫌なのは、自分がわがままを言ったせいで梅雨が困ることである。
本来なら、鉢屋の屋敷に親友とはいえ、雷蔵を泊めることは三郎の立場からはあまり薦められたものではなかった。けれど、三郎のほんの小さな願いを叶える為に尽力を尽くしたのは他でもない梅雨だったし、三郎は心の底から梅雨を好いている。
外出の際側にいられるかそうではないということなど、些細な問題でしかなかった。

二人は屋敷を出て里の入り口付近にまで行った。擦れ違う人たちは遠巻きに三郎と梅雨を視界に収め、各々自分の仕事に戻る。三郎は鉢屋衆で、この里の中では一国の若様のような存在だ。その為見かけた時には彼がどこに何をしに行くのか予測を立て、万一の事態にはすぐさま保護できるよう、居場所を把握しようとするのだ。無論、屋敷の外に出る時にはまず隣に梅雨がいるのだから、その心配はほとんどといっていいほどないのだが。

入り口に近い場所でしばらく待っていると、約束の時間より大分早く雷蔵が現れた。


「雷蔵、久しぶり!」
「三郎。それに梅雨さんも…ご無沙汰してます」
「あら、そんな畏まらなくていいのよ。前みたいに気兼ねなく話しかけてね」


梅雨はにこりと笑い、再会を喜び合う二人を連れて屋敷へと戻った。屋敷の者にはあらかじめ雷蔵のことは無害だと伝えてあるが、それでも心の中では疑いを持っているのであろう。そうあからさまではないが、いくつか雷蔵の動きを見張る視線があった。


「うわぁ、話に聞いてたけど…本当に大きいね…」


雷蔵は鉢屋宗家の屋敷を見上げて、感嘆の声を上げた。
今まで、雷蔵は鉢屋の里に来たことはほとんどなかった。もっぱら三郎が雷蔵を訪ねる形で梅雨、伊織とともに町に足を運んでいたのだ。数度だけある、里への訪問の際には鉢屋の屋敷ではなく分家である伊織の家を拠点とさせてもらっていた。理由はもちろん、部外者である雷蔵を本陣に近づけさせない為である。


「あっちに、小さいけど畑もあるんだ」
「庭の中に?」
「そう」
「三郎がね、どうしても植物を育ててみたいっていうから、食べられるものをいくつか植えたのよ」
「へぇ。じゃぁ今何か食べられるのあるの?」
「これくらいのな、西瓜ができてるんだ……そろそろ食べごろだと思うけど、まだ早い?」
「そうねぇ、きっともう食べられるわよ。でも、どうせ食べるんだったら、明日の朝早い時間に収穫するといいわ」


作物は朝にとるのが一番、と聞かされて、三郎は「じゃぁ明日の朝一番に取りに行こう」と、雷蔵と予定を立てたのだった。


「それじゃぁ、荷物を置いたら伊織も連れて一緒に氷穴にでも行きましょうか。今日は暑いし、雷蔵くんも歩いてきて疲れてるだろうから、氷を取ってきましょう」
「あ!あそこに行くの?」


梅雨の提案に、三郎は目を輝かせて喜んだ。


「あの、ひょうけつって?」
「山の中に、小さな洞窟があるのよ。夏でも凄く寒くてね…湧水が氷になっているの」
「こんなに暑いのに!?」
「そうだぞ、雷蔵。だからわたしはあそこが好きなんだが…中々行かせてはもらえないからな、凄く嬉しいんだ」


氷穴を知らなかった雷蔵は、二人の話を信じられないというように聞き入っていたが、とにかく行ってみないことには想像できないと、荷物だけ置いてさっさと向かうことにした。途中、伊織とも再会を果たし、久しぶりだねと懐かしい気持ちに見舞われる。
梅雨はいつかの夏祭りを思い出しながら、後ろをくっついてくる三匹のアヒル…のような子たちを、慈しみながら歩いた。
山に入ると、当然ながら足場は悪い。それでも忍の訓練を受けている子どもたちにとってはそうつらいものではなく、むしろ楽しみながらあっち行ったり、こっち行ったりを繰り返している。
やがて地面にあいた大きな亀裂が目に入ると、雷蔵は目を見開いて驚いた。


「これが氷穴、ですか?」
「そうよ。近くまでいくと、冷気が出てるからすぐにわかるわ」
「中はとても滑りやすいんだ。雷蔵、気をつけろよ」
「うん…」
「おばさま、奥まで行くの?」
「いいえ。今日は氷を取ってくるだけだから、その必要はないわ」


実は氷穴の奥には植物の種子や、蚕の繭が保存してある。天然の冷蔵庫なみ、いやそれ以上に低い、約零度という気温の中は、様々なものを保存するのに適している。特に蚕は、冬になって取り出し、暖めてやれば問題なく孵化する。通常の孵化よりも時間を遅らせて冬に出荷すれば、それだけで価値は高くなるのだ。
その他、夏でも好きな時に氷を取れるので、里の者はこの氷穴を重宝していた。比較的山の麓にも近い場所にあったのも良かった。

雷蔵は先を行く梅雨たちの後を追って、ゆっくりと穴に足を踏み入れる。三郎が言っていた通り、まだ穴の外なのにひんやりとした冷気は伝わって来た。外はこれだけ暑いというのに、信じられない。
そのまま松明の明かりを頼りに奥へと進んでいけば、中は高さこそあまりないものの、幅もあって広かった。そして何より寒い。


「さ、寒い…」


思わず両腕を抑えて呟けば、前の方から笑いが聞こえた。


「な、凄いだろう?今が夏だってことが、嘘みたいだ」
「うん…山の中にこんな場所があっただなんて…」
「他の山はそうかわからないけど、ここは昔からあるんだってさ。母上が言ってた」
「そうなんだ…」


雷蔵は白い息を吐きながら頷いた。

実際、氷穴にいた時間はほとんどなかったが、地上に出た時雷蔵の体はすっかり冷え切っていた。それでも外に出ればその暑さにくらりとし、せめて中間くらいの気温にはならないのかと思う。いくら迷い癖のある雷蔵でも、暑すぎるのと寒すぎるのでは、どっちも選ぶことはできなかった。


その後四人は屋敷に戻り、取ってきた氷をけずって、かき氷にした。
外は暑いはずなのに、喉を通る氷は信じられない程冷たく、雷蔵の中に染みわたったのだった。
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