「伊作先輩、この薬はどこに?」
「あぁ、それなら薬棚の…上から二番目、一番左の引き出しだよ」
「はい」
「あぁ梅雨、これが終わったら休憩しよう。新野先生が、団子を下さったんだ」
「桜屋のお団子ですか?嬉しいです!」


返事をすると、伊作は、梅雨はホントに甘いものが好きだね、と笑った。

私が伊作と初めて会ってから三週間。
それから何かと縁があり――主に罠に嵌った伊作を私が助けるという状況だけど――気づいたら、私は伊作の側にいることが多くなった。元々手を余していたし、肝心な人捜しもうまくいっていない。そんな時、足は自然と保健室へと向かっていて、中にいる伊作の手伝いをするようになったのだ。
互いの呼び方も、善法寺先輩から伊作先輩へ、蛙吹さんから梅雨に変わるまで、そう時間はかからなかった。伊作は思った通りの優しい人で、後輩の面倒見も良かったので、人としての付き合いも順調だと思う。


「あぁ…おいしい。桜屋のお菓子は、どれをとっても最高ですね」


団子をほうばりながら、うっとりとした表情で呟けば、伊作は大げさだよと言う。
しかしながら、結婚してから今まで、甘味というのもあまり食べたことがなかった私にとっては、そんなことはなかった。夫の帰りを待つ身としてそんな贅沢をするべきではないと考えていたし、どうせ一人で食べてもつまらないからと、甘いものはほとんど口にしなかったのだ。
だから、こうして甘味を口にできることは凄く幸せ。何故だか最近は凄く甘い物を口にしたかったし、一人じゃないというのも、嬉しかった。


「それにしても、梅雨はもうすっかり保健委員だね。このまま新野先生に頼んで、正式な委員にしてもらう?」
「けど、くのたまは基本的に委員会に所属しないものなんでしょう?私だけ特別扱いって訳にはいきませんよ」
「うーん…やっぱりそうだよねぇ」
「それに、私が保健委員会に入ったとなれば、きっと荒波が立ちます。伊作先輩、かっこいいから」
「え?」
「くのたまから人気あるんですよ。ご自分じゃお気づきになりませんでした?」


あえて聞いてみれば、伊作先輩は首を振って、まさか、と否定した。
まぁ、この様子だと言っても信じないと思うけど。3週間この学園にいて、気づいたことがある。一部のくのたまは忍たまに想いを寄せる子たちがいて、想われる方には伊作が含まれていること。不運で、6年間保健委員に所属しているといっても、人当たりの良い性格は、陰で中々人気らしい。
そんな伊作の近くに、ただでさえ最近邪魔なのがうろちょろしているというのに…これが正式に保健委員となったら、伊作を好きなくのたまたちは黙っていないだろう。私はそんなのはごめんだ。
ここにいられる時間はもう残り少ないけれど、不思議と焦りはなかった。伊作の側にいると妙に落ち着く。これが、答えだったんだと思う。


「僕がくのたまから好かれることなんてないと思うよ…実習のカモにしかみられてないさ」
「そういえば、たまに何かもらってますよね。くのたまが実習で作ったお菓子とか」
「大体そういう時には中に何か入ってるんだけど…断る前に逃げられちゃうんだ。僕が罠にはまっている間に、ね」


そう言って、苦笑した。


「それより、梅雨はもう学園になれた?」
「はい。お陰さまで」
「何か困ってることがあったら、遠慮しないで言ってね。僕にできることなら何でもするから」
「ありがとうございます。でも、たかが後輩相手に‘何でもする’なんて、そんな簡単に言っちゃっていいんですか?」
「あはは、いいんだよ。梅雨はただの後輩じゃないから。僕の、大切な後輩だよ」


ふわり、と笑った伊作に嬉しく思うも少しだけ胸がちくりと痛んだ。

何だかんだ言って、仲良くしてもらってる私。騙しているんだ、ということが引け目を感じてならない。
伊作は優しいから、きっと私が騙してるってこと、微塵も思ってないんだろうな。だから余計言いだせない。最初から言う気もないけど、良心が責められる気がして…困ったな。

談笑していると、ふいに知った気配が近づいていることに気付いた。
私は慌てて立ち上がり、片付けもそこそこに保健室から飛び出す。


「梅雨、どうしたんだい!?」


突然のことに驚く伊作に、ごめんなさい!と叫んだ。


「ちょっと、急用を思い出してしまって…」
「急用?」
「本当にごめんなさい!この埋め合わせは、必ずしますから…!」


早く、ここから逃げないと。
それだけが私の頭を埋め尽くしていた。





梅雨が去って行った方を見つめていると、伊作の背に声が掛けられた。
振り向けば、いつぞやの忍が立っている。忍は呑気な声で、久しぶりと言った。


「あなたは…」
「いやぁ、近くまで来たものだから、少し会って行こうかと思ってね?なに、今日は一人だよ。口うるさい部下は連れてきていない」
「だからと言って、自分から曲者だと名乗るあなたが堂々とここにやってくるのは、どうかと思いますが…」
「まぁいいじゃないか」


あなたがよくても、こっちが困ります。
内心、そう思った伊作だったが、恐らく言っても通じないと判断して、元いた場所に座った。忍、昆奈門はちゃっかり先ほどまで梅雨が座っていた場所に腰を下ろし、残っていた団子に手を付けている。どうぞ、なんて一言も言っていないのに…。
呆れた伊作が何か口にしようとした時だった。


「ところで伊作くん。さっきまで、ここにお客さんがいたようだけど?」


飄々とした昆奈門の目が、ギラリと光った瞬間だった。





危なかった。もう少しで、夫と鉢合わせするところだった。
きっと、保健室にはたまたまか、包帯を替えるかの理由で来ようとしたのだろう。恐らく、私の存在はバレてなかったはず。大丈夫。私はまだ、やれる。一人でも、生きていける。

すっかりと日が落ちて、夜の闇に包まれた部屋の中。私は布団を頭までかぶって、今後のことを真剣に考えていた。
どうも、夫の想い人というのはあと一週間では見つかりそうにない。期限を延ばすことはできないから、その時にはすっぱり諦めなければならない。それよりも、夫の忍務が早く終わることも想定して、引き際を見極めなければならない。
…なるべく、遠くへ。夫も、実家の両親や兄弟にも、見つからない場所でこれからは生きて行く。ならば、少し早めに学園を出て、足を進めなければならない。あさってには、ここを出るべきか。
そんなことを考えて、顔を出した。開けっぱなしの障子からは、空に浮かぶ光が見えた。

今宵の月は、満月に届かない、少し掛けた光が照らしている。
私は、あの人がいないと、何も満たされない。月は完全に姿を消すことはあれど、最後には必ず満たされるから、私とは違う…
私は、あの人に愛されていないのだ。

そう思ったら、どうしようもなく悲しくなった。
あれだけ尽くして、愛して、待っていたのに、結局あの人の心は離れてしまった。私の今までは一体何だったのだろう、と過去を振り返る。昔は、幸せだった。確かに幸せだったのだ。それでも、今は。
ただ、悲しいだけ。

はぁ、とため息を漏らす。涙まで出てきた。
気分を変えようと、もう一度空を見上げた時……そこに月はなく、代わりに黒い影が、月を隠していた。



「梅雨」



え――…?



「…どうして、泣いているんだい?」
「あなた…?」
「君の美しい顔が、台無しだよ。あぁうん、涙で濡れた顔も、本当はとっても綺麗なんだけどね。僕としては、やっぱり泣いてるより笑ってる顔の方が好きだから」
「どうして…っここに……」
「そんなの、愚問でしょ。僕は梅雨のいない家になんか帰りたくないんだ」


だからね、と優しく頬を撫でる夫の手。涙は、静かに静かに流れるだけだった。


「一緒に帰ろう?」


君がいないと、寂しくてたまらないよ。

あなたの目が、そう言っていました。




(どこまで?)


とりあえず最果てまでお願いします
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -