桜葬送 | ナノ


幸福の檻

名前について・出会い―
初めて名前を目にした時、余りの美しさに俺は言葉を失った。今迄見聞きしてきた何よりも美しかったからな。それは今でも変わらない。お前も名前は美しいと思うだろう?








璃月は戦乱の世であった。各所で魔人同士の争いが起こり、それが絶える事は無い。
小雨だった雨は本格的な粒となり、大地を打ち付けている。とある魔人との戦いを終えた鍾離は、その戦闘の際に負った傷口を押さえながら、ずるずると重たい身を引き摺り歩いていた。せめて何処か雨避けが出来る場所へと辺りを見回した時、ひっそりと佇む小屋を見つけた。一先ずその小屋で雨宿りをすると決め、雨水のせいなのか、それとも傷のせいなのか、先程よりも重さを増した気がする自身の体を引き摺り、やっとの思いで辿り着く。しかし、身体がぐらりと傾き、意識はプツリと途絶えた。

パチパチと火の粉が弾ける音で目を覚ました。眼球だけを左右へと動かしてみたが、全くの知らない場所である。鍾離がゆっくりとその身を起こすと、掛けられていた上掛けが音を立ててずれ落ちた。

「あ!目を覚ましたんですね!良かった!」

言葉を発したのは火鉢の向こう側に居た人間 (少年にも少女にも見える)だったのだが、鍾離はその人間の姿に言葉を失った。穢れのない真っ白な髪に、消えてしまうのでないかというぐらい肌も白い。その容姿は凡人とは遥かにかけ離れた美しさで、野に咲く花よりも、どんなに磨かれた鉱石よりもそれはもう美しかった。

「お茶をどうぞ」
「あぁ、すまない」

その人間の美しさは近くで見るとまた圧巻であった。まるで琉璃百合のような美しい瞳の色に、その目を縁取る長い睫毛は髪と同じ純白である。鍾離は思わず、魅入っていた。出された茶に口を付けることも忘れ、その人間の美貌に酔っていた。

「僕の顔に何か付いていますか…?」
「いや、美しいと思ってな。つい魅入っていた」

素直に己の感想を吐露すると、人間は驚いた様に何度かその目を瞬かしてから「初めて言われました」と言ってのけるので、今度は鍾離が目を瞬かせる番であった。

「何故だ?お前はこんなにも美しいというのに」
「ふふふふ。そんな事言うのは貴方ぐらいですよ」
「む……」

鍾離が顔を顰めると、人間はまた笑う。何が面白いのか全く理解の出来ない鍾離は、少し温くなってしまった茶を一気に飲み干した。

「身体の調子も随分良くなった。俺はそろそろ帰るとする」
「お気を付けて」

空になった茶器を置き、立ち上がった鍾離はその真っ白な旋毛を見下ろして問うた。

「お前の名は?」
「僕ですか?僕は、名前と申します」

ゆるりと笑みを描く名前の表情はまた一段と美しい。これが、鍾離と名前の、最初の出会いである。








数日後、鍾離は礼を兼ねて名前の元を訪れた。その日はとても良く晴れた日で、名前は太陽の光のせいか、前回よりもより美しく見えた。

「助けて貰った礼だ」

そう言って鍾離が差し出した品々を名前はよく見もせずに言うのだ。「これは受け取れません」と。鍾離はもしかしたら気に召すものが無かったのかもしれないと考え、後日別の品を持って出直す事にした。

「受け取れませんよ」

名前はどんな品を持って行っても、必ずそう言った。あまりにも素っ気ないので、その品の良さを一つ一つ説明したのだが、名前は頷き、時に質問をするだけで最後には首を振って頑なに拒むのだ。

「俺はお前にあの時の礼がしたい。何なら受け取って貰えるのだろうか」

ある時、鍾離はついにそう問うた。何日も、何日も考えたが名前が望むものが何なのかが全くわからなかったのだ。そんな鍾離の前で名前は優しい顔をした。

「貴方様が無事で居て下されば充分です」

放たれた言葉に、鍾離はまた衝撃を受け、思わず手にしていた品々を落としてしまった。このような人間に、鍾離は未だかつて出会ったことが無かったのだ。鍾離は誓った。それならば、この戦乱の世から名前を守り抜き、争いの無い地を見せてやろう、と。








それからも鍾離は時間を見つけては名前の元を訪ねるようになる。名前が出す茶を飲み、自分の話を嬉しそうに聞いているその姿を見るのがちょっとした楽しみにもなっていたというのもあったが、鍾離にとって名前の傍はとても心地が良いのだ。
鍾離はその日も名前の元へと向かっていた。頭の中で今日はどの話をしてやろうかと考えていたが、小屋に近づいていくにつれ、眼前に広がる状況がいつもと違う事に気づく。青々と茂っていた草花が灰色の炭と化し、堂々としていた大木もその姿が分からないほどになっていた。鍾離は小屋へと向かったが、時既に遅しとはこの事。数日前まであった小屋は見るも無残な姿はへと変わっていた。

「名前!名前!!無事か!?名前!」

焦げ臭い瓦礫を掻き分け、何度も名前の名を呼んだ。声が出なくなってもいい、喉がちぎれてもいい、ただ、名前を見つけ出したい。必死だった。

「……しょ…り…さ、……ま……」

聴き逃してしまいそうな、か細い声であったが鍾離の耳にはしっかりと届いた。ガタン、と黒焦げになった木片を退かすと、所々煤で黒くなった名前を発見した。

「名前!!!!」

頬についた煤を指で拭いながら問いかけるが、名前からの返事は無い。辛うじて息はあるようだが、それもだんだんと細くなっている。鍾離は名前をしっかりと抱きかかえ、自分の洞へと急いだ。








ふわりと何かが顔を掠めた気配で目を覚ました。差し込む陽の光が眩しく、瞼をゆっくりと開いていると、影が落ちた。

「大丈夫ですか?」

透き通った琉璃百合のような丸々の瞳が鍾離を写している。つるりとしたその頬には煤など付いていない。真っ白な肌へと手添えた。

「お前と出会った時の事を思い出していた」
「懐かしいですねえ」

名前は鍾離の手の上に自分の手を重ねて目を閉じた。

「貴方様のお傍にこうして居られる僕は、とても幸せ者ですね」




(2023.03.26) back


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