桜葬送 | ナノ


生かされる馨しさ

人間の存在は、どの文献にも書き記される事も語り継がれていく事も無い。今迄も、これからも。璃月の民は幾度がその人間の存在を知らないであろう。運良く見かけたとしても、「聞いてくれよ!凄く綺麗な人を見かけたんだ!」と他の者へ自慢気に話し、満足する。それは後世に語り継ぐ程のことでは無い。そして凡人は皆、忘れていくのだ。ただ、1人を除いては。







「旅人!あそこに鍾離がいるぞ!」

久しぶりに璃月へと戻ってきた旅人がその街並みに懐かしさを感じながら歩いていると、ふよふよと浮かぶパイモンが元気よく万民堂の方を指差した。正確に言えば、鍾離がいるのはそのまたもう少し奥。蘇二おばの屋台付近だった。

「はっ!あいつ、モラはちゃんと持ってるのか…!?」

小さな手を口元にあてながら顔を青ざめせるパイモンの言葉に、旅人も「確かに…」と冷や汗を垂らす。旅人も裕福という訳では無いが、最悪もつ焼きぐらいであれば一時的に立て替えることは出来る。パイモンと顔を見合せ、頷いてから鍾離の元へと駆け寄った。

「おーい!鍾離!もしかしてまたモラが無いのか!?」

ピューっと現れたパイモンに鍾離は特に驚いた様子も見せることなく、「パイモン、旅人。久しぶりだな」と普段通りである。ただ、いつも三杯酢の前で講談を聞きながら茶を啜っているイメージが強いので、もつ焼きを片手にしている所は何とも新鮮ではあったし、今日はモラを持っているという事をなんだか誇らしげに言っていた。凡人の生活にもようやく慣れてきたのだろうか。

「貴方が噂の旅人さんとパイモンさんですか!」

そう言っていきなり鍾離の背後からひょっこりと顔が覗いたので、パイモンは思わず「うわあ!!お化けだあ!!」と叫びながら旅人の背後に隠れた。お化け扱いをされた当の人間は柔らかな笑みを浮かべているだけで何も言い返してはこなかったが、その隣で鍾離が不服そうに「名前は幽霊ではないぞ」と言うので、どちらが本当にお化け扱いをされたのかまるでわからない。

「初めまして、旅人さん、パイモンさん。僕の事は名前と呼んでください」

名前はにこりと笑ってからもつ焼きを持っていない方の手を差し出し、旅人も「よろしく」とその差し出された手を握った。それから「パイモンさんも」と今度はパイモンの小さな手にあわせ、人差し指を差し出すのでパイモンが恐る恐るその指を掴んだ時、タイミングを見計らったかのようにパイモンのお腹がぎゅるるるると、見た目に反した可愛くない大きな音を鳴らした。

「うぅ…オイラ、お腹がすいたぞ…」
「食べかけでも良ければ、どうぞ」
「いいのか!?」

キラキラと目を輝かせ名前からもつ焼きを貰う気満々であるパイモンに、旅人が待ったをかけようとしたが、それよりも先に鍾離がパイモンを制止する方が早かった。

「パイモンには俺の分をやろう」
「ですが、それだと…」
「いいか、名前。そのもつ焼きは俺がお前のために買った物だ」

じっと見下ろしてくる鍾離と、食べかけのもつ焼きを数回見比べてから、名前は「そうですね、ありがとうございます」とふんわりと笑ってから「ごめんなさい、これはあげられそうにありません」とパイモンへ謝罪を述べた。その様子に鍾離は満足気に目を細め、パイモンへ手にしていたもつ焼きを落とさないよう、注意を払いながら手渡した。

「鍾離先生の分だったのに、パイモンがごめん」
「別に構わない」

鍾離は静かに首を振ってから、もつ焼きにかぶりついているパイモンと名前を眺めていた。

「鍾離先生は、名前さんの事、とても大切にしているんだね」

端正なその横顔へ旅人が問いかけると、鍾離はフッと笑を零し、そしてゆっくりと頷いた。

「名前さんも実は仙人だったりする?」
「いや、名前は人間だ。…まあ、少々特殊ではあるがな」
「特殊?」
「名前には岩神の力を少しずつ分け与えていた。だから、あいつはああ見えて、もう何千年という月日を過ごしているぞ」

璃月での見た目詐欺にはもう慣れているので、大きく驚く事はながったが、旅人はそれよりも鍾離が与えていたという岩神の力の方が引っかかっていた。神の目も持たぬ唯の人間、凡人である名前が永い時を過ごしていられるのは岩神の力のおかげで間違いない。だが、鍾離は神の座を降り、名前と同じ凡人になった。それが何を意味するのか…。「もしかして名前さんは、」旅人の問いはゲホゲホと苦しそうに咳き込む音で掻き消された。鍾離と旅人が揃ってそちらへ顔を向ければ、しゃがみ込んだ名前の周りを心配そうにパイモンが飛び回っている。鍾離が焦った様子で名前の元へと駆け寄った。

「名前!」
「ゲホッ…すみません」
「お前が謝る事では無い。だが、今日はもう帰るぞ」

肯定の意で頷いた名前を横抱きにして抱えた鍾離は、旅人の方へ体を向けた。

「すまない旅人、また今度ゆっくり茶でも飲もう」
「うん。今は名前さんを休ませてあげて」
「あぁ」

旅人とパイモンは視界から消えるまでその後ろ姿を見送った。「名前、大丈夫だよな…?また会えるよな?」不安そうなパイモンに旅人は「大丈夫だよ」と返したが、その心中は穏やかでは無い。先程の鍾離との会話を思い出しながら、自分の予想が外れて欲しいと強く願った。




(2023.02.21) back


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