興味のあること―
璃月の地に咲く花々も好きなのですが、稲妻の櫻と言う花には大層興味があります。挿絵等でしか見たことがないので、叶うのであれば是非この目で本物の櫻を見てみたいですね。
「稲妻へ行かないか?」
鍾離からの唐突な提案に、枕に背を預け本を読んでいた名前はぱちくりと琉璃百合色の目を瞬かせてから、自分の口で同じように言葉をなぞった。通常であれば直ぐに受け止められるその内容も、驚きのあまりにゆっくりと脳内で解いていかねばしっかりと受け止められそうになかったのだ。
「行きます!!!」
「随分と悩んでいたようだが?」
「悩むと言うよりは、驚きのあまり…」
「そうだったか」
名前の反応が面白かったようで、鍾離は一人肩を震わせながら窓辺に飾られている清心の花の向きを整えていた。「稲妻へ行くには船に乗る必要がある。長旅になるが、平気か?」「船!初めての船ですね!どんな波にも耐えてみせますよ!」後方から聞こえる返答はさぞ楽しみなのであろう、いつもよりもどこか幼子のようだ。未だ一人、稲妻への思いを紡いでいる名前に、鍾離の口角は自然と上がる。
「稲妻の櫻をこの目で見てみたかったのです…!はっ!稲妻には沢山の美味しい物があると聞きました!璃月の食物も実に美味しい物ばかりではありますが、やはりその土地ならではの味があるのでしょうか…?ふむ…」
「今日はやけに饒舌だな」
「うっ……その…煩かったですか?」
「煩くなどないさ。なに、お前のそのような姿を見るのが久しくてな。愛らしいと思っただけだよ」
「……あ、…あい、…」
真っ白な頬をリンゴのように赤く染め、スイートグッピーのように口をはくはくとさせている絵は、何千年もの時を共に過ごしていても見飽きることの無い最高の絵のうちの一つだ。鍾離はベッドの淵へ腰掛けてから、名前の真っ白な髪を何度か梳いた。顔を近づけてよく見れば頬だけでなく耳まで真っ赤に染まっているではないか。増すばかりの愛おしさを胸に、白い旋毛へ口付けを一つ落とした。
「わあ!ここが稲妻ですか…!」
名前は船からおりると感嘆の声を漏らした。慣れない波の揺れに船酔いこそした名前であったが、こうして言葉を口にする元気と周りを見渡せる余裕がある事に鍾離は安堵した。眼前に広がる全ての物が見慣れない物ばかりで、きょろきょろと琉璃百合色の瞳を忙しくなく動かしている名前は、きっとこのぐさぐさと刺さる視線など気にしていないのだろう。否、気づいていないのかもしれない。差し詰め突き刺さる視線の原因は名前のその容姿に対してであろうということは大方予想がつくが、鍾離の心は先程まで揺られていた海の波のように荒れていた。
「鍾離様!見てください!狐がいますよ!」
荒波が打ち付けていた鍾離の心中は、紺田村へ差し掛かったあたりの名前のそんな一言で漣へと変わる。この先の稲妻城下へ辿り着いた時にはきっと今以上に舞い喜ぶに違いない。鍾離は腕を組んで狐に話しかけている名前の後ろ姿を見守った。
稲妻城下へ到着した名前の反応は、鍾離の脳内で描かれていたものとは違い、「わあ……」と言葉を発しただけで、櫻の大木へ向かって走り出すことも、子供のように無邪気にはしゃぐ様子もなかった。
「想像していた櫻とは違ったか?」
じっ、と櫻の木を見つめる名前に鍾離は問うた。もしかしたら、名前の頭の中で想像されていた櫻の方が圧倒的だったのだろうか。答え合わせの時間だ。
「いえ、…なんていうか、……その……本当に素晴らしい物を見ると言葉が出なくなるんですね」
名前の琉璃百合色の瞳はずっと桃色の櫻を捉えたまま、鍾離の問いかけに答えた。「もう少し近くで見ても良いですか?」否定をする理由がない鍾離は静かに頷いた。
「……本当に綺麗ですね」
桃色の花弁が、名前を歓迎しているかのようにひらりひらりと舞散っている。時折吹く微風に名前の真っ白な髪も攫われた。
「あぁ、美しいな」
鍾離はゆっくりと瞬きをする。写真機のように目の前の光景を本当に焼き付けることが出来たらどんなに良かっただろうか。鍾離は時々考えてしまうのだ。もしかしたら、まだこの先もずっと、名前と生きていけるのではないか、と。そんな事は不可能だと言う事は、己が一番、痛い程わかっているのに。
「鍾離様、見てください」
くるりと振り向いた名前は琉璃百合色の瞳を細め、両の掌を鍾離の方へ差し出した。受け皿のようになっている真っ白な掌の上には、桃色の花弁がちょこんと数枚彩っていた。
「本で見て、自分の頭の中で想像することしかできなかった櫻に、己の目で本物を見て、触れて、香を感じる事が出来る。…僕は、本当に幸せですね」
瞼をおろし、道中の様々なことを思い出しているのだろう。名前の口角は時々ゆるりと上がっていた。琉璃百合色の瞳が覗いた時には、先程よりも少しだけ増えた手中の花弁をふわりと宙へ投げやった。
「たまにでいいので、緋櫻球を供えてくれたら嬉しいです」
一生の別れを惜しむように、櫻の大木を見上げて呟いた名前の背中はこんなにも小さかっただろうか。
(2023.12.31)
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