…何をしているんだろう。
 疑問というよりは呆れに近い感覚で自分の状況を鑑みる。こんな筈ではなかった。今自分のいるべき場所は此処ではない。考えながら視線は上に移動し、薄暗い中でも比較的目立つ赤い髪で止まった。常よりも大分近くにある見慣れた男の顔。眸は閉じられているが眉間に皺が寄っているため不機嫌そうに見える。




 眠れない夜がある。どんなに疲れていても、何日も眠らないハードな任務の後でも睡魔が一向に訪れず、無駄に広いだけの部屋で目を閉じて月が沈むのを待つ夜が。
 そうして眸を閉じた世界には何もない。何も見えない何も聞こえない真っ白な空間。それが何処なのかは至極どうでもいいが、如何せん見慣れてしまった。退屈だけれどどうせ朝日が昇るまでの間だ。そう思ってぼうっとしていると、不意に足元に違和感を感じた。
 緩慢な動きで視線を下げると、つま先が水に浸かっている。
「…?」
 よく解らずに足元を凝視していたら、何故か水嵩が増してきた。その上、水が増えるごとに呼吸が出来なくなっていく。水なら平気な筈なのに。底冷えするような冷たさにあっという間に呑み込まれて、気付けば一面の青。呼吸は相変わらず出来なくて、もがこうにも手足が全く動いてくれない。頭の芯から冷えていく様な感覚。苦しい、くるしい。
「………っ」
 そこでようやく、ブルーベルは目を開けた。だだっ広い部屋の天井が見える。もう呼吸は出来ている筈なのに未だ息苦しい。それでも睡魔はやはり、尻尾すら掴ませない。けれどここで目を閉じたらまたあの青が襲ってきそうで嫌だった。窓の方へ顔を向けると最後に見たときとあまり位置の変わっていない月。いっそ眩しいほどの光に嫌気がさして、日付が変わって何時間か経つのも構わず部屋を出た。


「…」
 溜息を吐きたい気持ちで、男の眉間に寄る皺を見つめる。当然のように追い返されると思っていた。いつもの様に呆れたような、心底面倒臭そうな声で、ふざけるなガキとか、他を当たれ電波とか、その他諸々失礼なことを言われると。その為に此処へ来たのだ。そう言ってくれれば自分だって遠慮なく言い返せた。いつもの様に大して理由のないうるさいだけの喧嘩に得体の知れない恐怖を紛れ込ませて。そうすれば、あとはその勢いのまま自分のベッドで不貞寝のフリをして眠ってしまえる筈だったのに。

 あの後。
 不明瞭な青から逃げるようにして正反対の髪色を持つ男の元へやって来た。ノックもせずに扉を開き「ブルーベルがねむれないからいっしょに寝てあげる!」と全く道理の通らない宣言をしたら、どうやら就寝直前だったらしいザクロは案の定、心の底から嫌そうな顔をした。その顔のまま動かないので更にもう二言三言よく分からない台詞を言った気がする。適当に喋ったので内容は覚えてないが。
 そうして返事を待った。正直、口論になる内容なら何でもよかった。暫くあーとかうぇーとか意味を成していない音を漏らした彼の口から漸く出た意味のある言葉は、しかしブルーベルが欲しかったものではなかった。
「…別に構わねーが」
「……………………………は?」
「何だよ。そっちから言ってきたんだろ」
「ニュ。それは、そうだけど」
 どうしよう明日弾丸の雨が降るかもしれない。ああでもそれじゃあいつもとあまり変わらない。そうだ花だ花の雨なら彼の態度と同じくらい有り得ない。ああでも以前我らがボスが大量の花をばら撒いていたような。
「オイ取り敢えず扉閉めろ。帰るなら帰れ。オレはねむい」
 予想外の展開に思考がトリップしかけたところで声がかかる。ザクロはそそくさとブーツを脱ぎ始めていた。
 ああそうか眠いのか。それならまだこの反応も頷けるかもしれない。ブルーベルなんてどうでもよくて、さっさと休みたいのだこの男は。
「だれが帰るか!」
 乱暴に扉を閉めて勝手にベッドに潜り込む。ろくに相手にもされず邪険にされるだけされて帰るのはプライドが許さなかった。瞼の裏に青が走った気がしてひるんだ、というのはこの際なかったことにする。


 そして、現在。
 すっかり予定が狂ってしまって、それでも未だ眠れないので取り敢えず赤い彼を見ている。そうでもしないとまたあの氷のような青に捕まってしまいそうだった。しかし本来の目的を果たせなかったブルーベルはすっきりしない気持ちのまま。第一レディを放って爆睡ってどうなんだ。
「…」
 眠って、いるのだろうか。
「…ザクロー」
「…」
「…ザクロってばー」
「…」
「このオマヌケマグマやろー」
「…」
「だらけマンー」
「…」
「…」
「…」
 何だか腹が立ってきた。普段は要らないことばっかりぺらぺらと喋るくせに。
 睨んでも効果がないので、八つ当たりのような気持ちで彼の腹目掛けて軽く拳を飛ばした。
「痛ぇ」
「やっぱり起きてた」
 狸寝入りするから悪いんだもん、と少々むくれる。むくれたついでにもう一発。だるそうな抗議の声は無視だ。大体、普通の人間だって肋骨の一本も折れやしない力しか加えていないのに、この程度でこの男にダメージがある筈がない。
「何だよ」
 諦めた様に目を開いたザクロは仕方無さそうにブルーベルと視線を合わす。
「ブルーベルはねむれないの」
「バーロー、オレが知るか」
 もう一発お見舞いしてやろうとしたら、その腕を掴まれた。そして疑問を浮かべるより速く、体ごと彼の胸に収められる。
「…」
 元々近かった距離が更に近づいてしまった。抱き込まれているため身動きが出来ない。さながら先程の青の中の如く。
 ただ、決定的に違うのは、
「…あったかい」
 ああしまった、と眉根を寄せる。思ったことが、そのまま口から出てしまった。特におかしなことを言ったわけではないがなんとなくバツが悪い。
 反応は期待していなかったのだが、意外にも言葉が返ってきた。
「お前がな」
「ナニそれ」
「子供体温」
「…………次言ったら頭かち割ってやる」
 すると彼は何が面白いのか、喉の奥で低く笑った。いつもの馬鹿にしたような笑い方じゃなくて、本当に可笑しそうな。
「なに」
「別に?」
 ぽんぽんと、宥めるかのように頭を軽く叩かれる。
「…」
 気付いて、いるのだろう。ブルーベルが此処に来た理由に。嫌そうな顔をして追い出さないのも、何も言わないのも。
 分かっていて素知らぬ振りをする所が憎らしい。それなのに手だけがこんなにも優しいのだから、
「オラ、ガキはもう寝ろ。明日も任務だろ」
 頭上から直接声が響く。同時に、くっついている彼の胸から音がした。
 心音。
 立場上いつ止まってもおかしくないその音は、今はゆっくりと一定の速さで響く。すると今まで一向に訪れなかった睡魔にすぐさま捕らえられた。
「………ん。」
 眸を閉じる。青はもう何処にもない。

「          」

 遠くで声が聞こえた気がしたが、もうよくわからなかった。温かい。今はただ、響く心音が心地良い。



 いつなくなってもおかしくない音と温度。けれど少なくとも、朝日が月を消しにかかるまではこのままだ。




2010.04.12 「ルージュは要らない」
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