∴あのひとの過去



「やあ、ごめん、待たせたかな」

香織は、仕事を終えて山本と近くの居酒屋へと向かうことになった。山本が仕事を終えるのを待っていると、少し息を乱し、慌てた様子の山本がやってきた。

「いえ…お疲れ様です」

「さあ、いこうか」

香織と山本は歩き始めた。

**

「大成の話を聞きたくて、酒が弱いのに居酒屋にまで付き合ってるあたり、本当に大成が好きなんだね」

「いえ、あの、好きというか、憧れというか…」

香織は、ロックの梅酒が入ったグラスを揺らしながら、顔を伏せて照れを隠す。山本は、香織の初な反応に微笑む。

「あいつ、潔癖だけどさ、人がいれた飲み物や人が作った食べ物とか、意外と平気なんだよ」

「確かに…」

「そこまで酷い潔癖ではないんだけど、人に触られるのは極度に嫌がるんだ。何でだと思う?」

「人間が一番汚いから、ですかね?」

「少しだけ正解。だけどね、人に触られるのがダメになったのにはきっかけがあってね」

寂しげな表情で淡々と語る山本は、一気にグラスの酒を飲み干し、カタン、とテーブルに置いた。

「あいつ、昔、年上の女にかなり残酷な振られ方したんだ。それから、人に触れられるのが徐々にダメになっていったんだ」

「…残酷な、振られ方ですか?」

「俺とあいつが、この会社に入りたてだったころかな。取引先で出会った年上の女性に惹かれて、大成はその女性と付き合ったんだけど…その女、大成と付き合う前から妊娠しててさ。それを隠しながら大成と付き合ってたんだ。で、大成がふとした拍子に女のお腹を刺激しちゃって、胎児が死んでしまったんだ。そんな事故をさ、あの女、『あんたのせいでこの子が死んだ。人殺し』って大成だけを一方的に責めて、会社同士の取引もパーになって…会社でも大成は上司からこっぴどく絞られて絞られて…あいつ、悪くないのにな。クビにならなかったからよかったものだけど…」

「そんなことが…」

「そうそう、潔癖になった原因の話だったよな。最初は、あの女が使ってた香水の匂いがダメになって、次にあの女が使ってた口紅が…そうやって、とうとう女に触れられるのがダメになってしまった…で、ついには家族と俺とか昔なじみの同性ぐらいにしか触れさせないようになったんだ」

「そう、だったんですか…」

香織は眉を寄せながら、梅酒に口をつける。声には少し震えが伺える。

「…だから不思議だったんだ。酔った君を自宅に一度連れて、介抱しただなんて、よっぽど君に気を許してるんだろうなって。嬉しかったんだ、友人として」

山本は、笑顔を浮かべて正面に座る香織の肩に手を置いた。

「君なら、あいつの心の闇を晴らせる気がするんだ。愛してやってくれよ」

にっこりと微笑む山本につられて、香織も自然と微笑む。香織は、友人思いの山本の気持ちに、胸が熱くなった。

「任せてください」

香織は先程の山本と同じように一気に梅酒を飲み干し、力強く誓った。



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