∴お酒の席では慎みましょう



山本に連れられて、一行は会社から徒歩で行ける所に佇む、老舗と思われる趣深く古びた居酒屋にやって来た。香織は、何故来てしまったのであろうかと、一人とりとめのない考えを巡らせながら、頭を抱えていた。

「今日は俺の奢りだよ、好きなだけ飲んでね。」

山本はやけに上機嫌に声を弾ませてそう言った。好きなだけ、と言われても、香織はお酒が得意なわけではなく、寧ろ嗜む程度にしか飲めないほどである。そんな香織を余所に、山本の部下である女性社員は、目を輝かせて「流石先輩!」と、こちらもまた声を弾ませている。

「何故断らなかった。」

若干機嫌の悪さを見せた大成の口調に、香織は身を強ばらせて「嫌ではなかったので…。」と、まさか貴方がいらっしゃるからと言える訳でもないので、誤魔化しながら苦笑いした。

「ほらほら、君も飲んで。勢いで君を誘ったけど、名前聞いてなかったね。俺は君の上司の同期の、山本和明。君は?」

「私は、東雲香織です。」

隣に陣取って座っている山本に、香織は身を引くように距離をとろうとするが、生憎横が壁であるため、泣く泣く諦めた。

「おい大成、こんな可愛い子いるなら早く紹介しろよなー。」

「お前の好みなんて知ったもんじゃない。」

眉を寄せて焼酎グラスを傾ける大成の隣には、山本の部下である女性社員が座っている。彼女の名前も
人柄も知らない香織は、あまりいい心地はしないものの、目の前にある梅酒にちまちまと口をつけながら、横目でチラリと大成を見ていた。その時、正面から女性社員が「ねぇ。」と声を掛けてきたために、目線を女性社員にやると、香織はグラスから噎せ返る酒の匂いを一度吐き出すように呼吸して、「なんでしょう。」と応えた。

「香織ちゃん、よね?私は坪田京香。多分あなたよりはおばさんよ。」

「坪田さん、凄く若く見えたので…同じ年かなと思いました。」

「お世辞が上手いね!これでも入社してもう5年は経つのよ。」

香織は、京香の若々しさに驚きを隠せなかった。当の本人の京香は、もう既にジョッキ3杯めに差し掛かっていて、それもまた香織を驚かせるのには十分だった。

「どうだ大成、京香は綺麗だろ?試しに付き合ってみろよ。」

「冗談は軽々しく言うものではないぞ。」

「あははっ、先輩面白いこと言いますね。私的には香織ちゃんの方が大成さんには似合うと思いますよ!」

香織はあまり敏速な人間ではないので、自分を除く3人の会話について行けずに、あたふたとする他なかった。そうして、隣の山本、正面の京香に勧められるままにお酒を飲み続けて、とうとう、目の前が真っ暗になったのであった。



香織は目が覚めて、仄かに香る芳しい珈琲の香りに鼻をくすぐられ、ズキズキと熱を孕んだ頭を抱えて辺りを見回した。黒いソファに寝ていたらしく、上質な革の手触りに心地よさを感じながら、目の前に広がる質素な部屋に、ただ疑問符を浮かべた。

「目が覚めたか。」

後ろから声が掛かる、香織は焦ったような上擦った返事を辛うじてすると、大成の仏頂面が目に付いた。



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