05

「っこのっ!糞餓鬼がぁ!!」
 人通りの少ないとある街路に、怒声が轟いた。怒声の主である中年の男性は、口に髭を蓄え、上質の黒いスーツを着ていた。そのスーツの腰あたりに、泥の汚れが付いているのが目立つ。男は青筋を立てて、汚れをつけた少年を睨み付けている。
「スーツを汚しやがって!!」
 びくり、と肩を震わせた少年に、男は拳を振り上げた。少年は、次にくるであろう衝撃に、目をつぶって構えていた。
 刹那、水が地面を叩きつける音が聞こえて、閉じていた目を開けると、水を掛けられてずぶ濡れになった男が、唖然としながら立っていた。
「今だ!」
 綺麗なブロンドの少年が、少年の手を掴んだ。少年はただひたすら、手を掴んでいる相手と共に走り続けた。
 追ってきていた男の声が遠ざかる。
「大丈夫か?」
 ブロンドの少年に声をかけられ、少年は、整えながら頷いた。
「俺はウィリアム。お前は?」
「僕は、トム」

 トムとウィリアムは、こうして出会ったのだった。
 ウィリアムは、スラム街で生まれ育った。親は物心がつく前に死んだ。そういったことを、スラム街の孤児の面倒をみる教会のシスターから聞いていた。教会の、お世辞にも美味いとは言えない食事を、今までずっと、一人で食べていた。そんな毎日に嫌気がさしてきた時、街路で金持ちそうな男に絡まれた少年、トムを助けた。この出来事をきっかけにして、ウィリアムに初めて、友達という大切な存在が出来たのだ。
 スラム街で出会った二人の間に絆が出来るのは、そう難しくなかった。彼らはいつも一緒で、笑い合い、本当の兄弟のように、幸せに暮らしていた。
だがしかし、その幸せは長く続くわけでもなく。
 ウィリアムには不思議な力が宿り、よく二人で遊んでいた。その様子が、教会に訪れていたある富豪の目にとまり、ウィリアムに養子縁組の話があがったのであった。
「私と一緒に暮さないかい?」
 優しそうな、中年の男性だった。目を見ることが中々できないウィリアムは、よく男性の、カサついた唇を見つめていた。ウィリアムは葛藤していた。トムとの生活をとるか、もう二度とないであろう金持ちとの養子縁組をとるか。
「いきな、ウィリアム。僕は平気だから」
 ウィリアムは、トムの今にも泣き出しそうな顔に、複雑な気持ちになった。だが、ゆっくりと、頷いたのであった。
「じゃあ、また」
 高級感の漂う黒い車のボンネットのつや、雨に濡れた地やトムの肌のつやに目を細めて、ウィリアムはぽつりと言った。その声は、いつもと違い、エンジン音にかき消されてしまいそうなか細い声に、トムも同じようなトーンで返す他なかった。
「うん、ばいばい」
 会話はそれ以上続くことなく、トムは自分の中で沢山の思いが溢れ、涙が滲むのを感じていた。ウィリアムは、トムをただじっと見つめていた。
「じゃあ、行こうか」
 あの優しそうな富豪の男性が、ウィリアムの背中を押して、車に乗るよう促しながら、トムを慈悲深い顔で見つめ、やがて車に乗り込んでしまった。ウィリアムはもう一度振り返りトムを見た。大粒の涙がトムの翡翠の瞳から流れ出しているのを確認すると、ぐっと唇を噛み締めて、あとはもうトムを見ることなく車に乗り込んだ。ウィリアムが泣くことはなかった。

 雨だけが、残されたトムを濡らしていた。


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