01

 基地襲撃から三日が過ぎ、基地館内は落ち着きを取り戻しつつあった。割れた窓ガラスも、飛び散ったガラス片も血塗れた壁も、全てが元通りになり、凄惨な事件の面影はもはや無いに等しかった。
「ねぇ蝶子。今日も、マキュールの事を頼めるかしら」
 あの事件以来、眠りについたマキュールはずっと目を覚まさない。レイチェルと蝶子は交代しながらマキュールの目覚めを待った。交代を頼まれた蝶子は、マキュールの部屋へと向かい、いつもどおりマキュールの眠るベッドの横の椅子に腰掛け、彼女の顔を見ていた。部屋に入って一時間が経過したところで、マキュールの目がうっすらと開く。ガタンと椅子を押しやるほどの勢いで立ち上がると、急いで彼女の傍に寄る蝶子。
「マキュールさん!」
「おはよう、蝶子。どうしたの、そんなに慌てちゃって」
 完全に意識がはっきりしたマキュールは不思議そうに蝶子を見つめる。
「マキュールさんはこの三日間、目を覚まさなくて、それで…」
「本当?ごめんね、心配かけちゃって」
「あの、辛いと思いますけど、その…」
 蝶子は次の言葉が言えなかった。
「何が?」
 マキュールはケロッとしたように言う。
「あの、ガブリエルさんが亡くなって…」
「ガブリエル?そんな人居たっけ」
「え……」
 蝶子は冗談を言っているのかとマキュールの目を見た。マキュールの顔は、本当に知らないという表情だった。―ガブリエルを失うことの悲しみから逃げるために、苦しみから開放されるために、彼女の防衛機制はガブリエルを忘れることで彼女の心を守ろうとしたのだろう。彼女の意識とはまた別のところで。蝶子は胸が痛かった。
「本当に忘れちゃったんですか…?」
 蝶子はそれ以上何も言うことが出来なかった。

  **

 蝶子に交代を頼んだレイチェルは、基地の屋上へと向かった。足取りはあまり軽いとは言えない。彼女が屋上へ着いた時、人影が一つそこにあった。
「誰かと思いました、スティークさん」
「――レイチェルか」
 人影の正体は、スティークだった。
「どうしたんですか、煙草なんて吸って」
 煙草を毛嫌いするスティークが、煙草を片手に月を見ていた。手すりに置かれた灰皿には一箱は吸ったであろう吸殻が溢れ、灰塵に塗れていた。灰皿のすぐ傍には、ライターが無造作に置かれている。
「……吸いたくなったんだ」
「ガンダルさんに注意できませんよ、それじゃあ」
「今日だけだから―」
 いつも冷静でポーカーフェイスのスティークの顔には、悲しみの色が浮かんでいる。
「どうかされたんですか…?」
 スティークは顔を再び月へと向けた。振り返る様子はない。レイチェルの問いに答える様子もない。ただ、スティークの片目は半分欠けた小さな月を捉えて離さない。
「ガブリエルは、死んでしまったんだよ。救えなかったんだから、俺が殺したようなものだ」
 自嘲的に言いながら、煙草を更かし続ける。肺の空気をめい一杯吐ききると、その吹き出た紫煙の香りが少し離れたレイチェルにも届く。
「いつも、いつも救えない。レイチェル、君の姉も救えなかった」
 スティークは、屋上の手すりに両腕を乗せて項垂れている。レイチェルは煙草が香る空気を吸って吐く。
「君に合わせる顔なんてなかった。俺は君や君の家族に会う資格なんてなかったんだ」
「どうして…?姉が死んだこと、自分の責任だと思っているんですか?だとしたら、それは違うわ。私の家族も姉も、そう言うはずですよ」
 スティークは短くなった煙草を灰皿に押し付け、振り返ってレイチェルを見た。
「リリアンがどうして死んだのか、知っているか?」
「自殺だって聞きましたけど」
「何が彼女をそうさせたんだと思う?」
「それは……」
 リリアンが自殺した経緯まではレイチェルは知らなかった。両親が、貴女は知らなくてもいい、と教えなかったからだ。
「君の姉はね、自殺する五ヶ月ほど前に性的暴行を受けた。その結果、妊娠して、自殺したんだ。俺に相談せずに、彼女は死の道を選択した」
「そんな…!」
「俺はね、彼女が死ぬまで、彼女が暴行を受けたこともそれで妊娠していたことも知らなかったんだ。彼女は俺に相談できず、一枚手紙を残して逝ってしまった」
 苦しげな表情で淡々と語る。
「勝手に死を選んでしまってごめんなさい。ずっと貴方に相談したかったけれど、言えなかった。汚い女だと思われたくなかった。勿論貴方はそんなことを言う人ではない事は分かってる。だけど、お腹の中の子は貴方の子ではないし、この子を貴方にも育ててもらおうなんて、残酷な事はどうしても言えなかった。だからと言ってこの子には罪はないから、殺したくもなかった。でもこの子があの男に似てしまったらとか、貴方がこの事実を知ってもなお平気な顔してあの頃の二人に戻ることはできないこととか、私、どうしたらいいのだろう。私は貴方との子どもが欲しかった。貴方に心から私と子どもを愛して欲しかった。そんな幸せはもう、私には望めない。私も貴方も何処か違和感を残したまま、苦しんでしまうだけ。だから私はこの子と一緒に死のうと思います。この子を殺す罪を私も背負う。貴方とずっと一緒に居られなかった私を許してください。さようなら、愛しい人―」
 スティークが読み上げたのは、リリアンが残した手紙であった。スティークの手と声は悲しみに震える。瞳からは彼の慟哭が窺える。
「彼女は一人でずっと苦しんでいたんだ。それなのに俺は、彼女の苦しみを知らず、ただのうのうと過ごしていたんだ」
 スティークは後悔に悶えていた。レイチェルは痛々しいスティークの姿に心が痛めつけられる。
「貴方のせいじゃない、スティークさん。私は姉が死ぬ一ヶ月ほど前に、姉に『リリーなんて嫌い』って言ってしまったの。もし姉の変化に気付けていたのであれば、救えていたのかもしれないのに。姉の自殺の決定打は、私だったのかもしれません…」
 肉親である妹に頼ることもできず、心の支えをなくしてしまったのだろうか。それは本人でしか分からないところではあるが、彼女の自殺は周囲の人間が気付いていたら防ぐことが出来ていたはずだ。
「一人で背負い、責めないで。一人だけで後悔しないでください。私も一緒なんですから」
 二人には一人の女性の死が、一生後悔の種として残るのだろう。リリアンの死が、二人の能力を目覚めさせ、引き合わせた。そこに何か意味があるのだろうか―。
 レイチェルは、置かれていたライターを静かに取り、涙を浮かべながら微笑んだ。
「このこと、秘密にしおきますから」
 スティークも同じように涙を浮かべ、微笑みながら頷いた。


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