03

 寒くなってきた夜、手元のITE001に届く情報に目を通すと、ローゲンは温かい飲み物を取りに立ち上がった。その時、三ローゲンの部屋に訪問者が現れる。トントン、と響いたノックの音に、慌てる様子もなくITE001をテーブルに置き、ドアへと向かった。備え付けカメラで確認できた顔はウィリアムだった。珍しい訪問客に多少驚きながら、ドアノブを回した。
「すいません、こんな遅くに。この前のロシアの民族紛争への介入の報告書をガンダルさんから渡すように頼まれて…」
「また、あの人は…」
 介入で今はいないとは云え、直接渡しに来ないガンダルに呆れたように溜め息をつくと、申し訳なさそうな顔をしたウィリアムから報告書を受け取った。
「あの、ガンダルさん…何か光ってますけど…」
 ウィリアムが指さす方向には、先ほど置いたITE001があった。照明の光だけの部屋にITE001の液晶の光は特に目立った。
「すまない、助かった。ガンダルさんには確かに受け取ったと伝えておいてくれ」
「分かりました」
 ローゲンは直ぐにITE001を取りに行く。電話がかかってきたようだったらしい。
「もしもし、こちらはローゲンです。―ええ、はい。―はい、―承知しました」
 ウィリアムは空気を読んで一言断ってドアを閉めたのだが、ローゲンの持つITE001に興味があるらしく、ドアに耳をつけて盗み聞きしていた。
「蝶子ですか?ええ、それなら心配することは―はい。ええ、それでは」
 蝶子というフレーズに、ウィリアムはピクリと動いた。
(電話の相手は誰なんだ?)
 ―ガチャッ―。
「っ!」
 ウィリアムは思わず退いてバツが悪そうに俯いた。ローゲンはウィリアムを眉を寄せて一瞥すると、厳しい口調で言う。
「あまりいい趣味だとは思えないな」
「いや、まさかこんな鮮明に中の声が聞こえてくるとは思ってなくて、つい…」
 ウィリアムは、まさか中の声が聞こえる訳ないだろうと踏んでいたが、ローゲンの声が聞こえてきたために興味本位で聞いてしまった。ローゲンは呆れているが、特段焦った様子もない。ウィリアムは、聞かれて困る内容ではないことを理解したが、何処か突っかかる節があった―。

  **

 ウィリアムはあの後、ローゲンに軽く注意されたが、結局これといったお咎め無しだった。一人でだだっ広い廊下を歩いていると、角に突き当たった辺りで歩いてきていたロンショウに気付かず肩が当たった。
「おっと、ごめん」
「全く、もう少し気をつけろヨ」
「あのさ、ちょっと話したいことがあって…」
 ウィリアムのいつにない真剣な表情に一瞬驚いたが、ロンショウは直ぐに何かあったのだろうと思った。
「その様子だと、ここで話す内容ではないような気がするネ。仕方ない、我の部屋に来い」
 このツンケンした物言い、命令口調、ウィリアムにはこの時ばかりは有難いもので、ウィリアムは小さく感謝を述べてロンショウの後ろを歩いていた。
 ウィリアムが歩き出した後、曲がり角の壁には二人以外のもう一つの影があったことに気付かずに。

  **

「で、お前は何を悩んでるヨ?」
 ウィリアムはロンショウの部屋で、備え付きのソファに座り、一息おいて話し始める。
「俺、ガンダルさんに頼まれていたものをローゲンさんに渡しに行ったんだ。で、部屋の中で光ってたローゲンさんが使ってるITE001が気になってさ、ITE001に電話がかかってきたみたいだから、ローゲンさんの部屋の前で盗み聞きしてたんだ」
 ロンショウは直ぐにゴミを見るような冷たい視線をウィリアムに向けた。ウィリアムは突っ込みたいのを我慢して、続ける。
「ITE001が普通の携帯みたいな、端末タブレットだったのは分かったけど、会話の内容が引っかかって…」
「その会話は?」
「詳しくは分からないけど、蝶子の名前が出たんだ」
「蝶子の?」
「ああ…だから、引っかかって…プライベートでの会話ならともかく、仕事関係で使われるあの端末にかかる電話で蝶子の名前が出たのに驚いて」
「…簡単な話だヨ」
 ウィリアムはピクリと下がった眉を動かす。直ぐに視線はロンショウへと向けられた。
「その仕事関係の電話で、蝶子を知る人物が話題を出しただけだ」
「ということは、日本人か?」
 はあ、と嘆息したようにロンショウは目を瞑る。
「断定はできない。この手の仕事で蝶子を知ってる人ぐらいいるだロ。ほら、心配して損した、帰るヨ、ほら」
 そうしてロンショウは、ウィリアムを部屋から半ば強引に追い出した。しん、と静まった。ロンショウは、先程の会話で感じた違和感に胸のざわつきを抑えられずにいた。
(防音してあるこの部屋の音を、用意に盗み聞きできる訳が無い。考えられるのは、ウィリアムに第二の能力が現れたか、ローゲンさんがドアの寸分先で電話をしていたか―前者は可能性として低い。対して怒られた様子もないということは、聞かれて困る内容ではなかった、つまりはローゲンさんはわざと内容を聞こえるようにしていた…?)
「でも、何故聞かせたんだ?」
 思わずポツリと洩れたその言葉は、母国語である中国語だった。
(考えられるのは、蝶子だけしかない。蝶子だけにしか、ローゲンとウィリアムを繋ぐ鍵はない―…)

  **

「あいつ、追い出しやがったな…核心的な事に触れる前に。」
 ウィリアムは釈然としないまま自室へと戻った。
(きっとロンショウの奴、俺を馬鹿にして根源に迫る前に話を切り上げやがった。あいつ一人で今頃色々と考えているんだろうな)
 ロンショウが優しい奴なのを知ってるウィリアムは、きっと何か気遣っての事なのだろうとは分かっていた。
(にしても、ローゲンさんが敬語を使うってことは、上司…で蝶子を知っている)
 ウィリアムは、考えるのをやめた。考えるより行動にする事の方が得意なウィリアムの事をわかった上で、余計なことに気を揉まないようにロンショウは部屋から追い出したのだろう。
「明日、蝶子にでも聞いてみるか」

  **

 ローゲンは一人部屋のベランダで、十六夜の月を凝望していた。
「…気付いてくれ…」
 息継ぎをしたくても出来ない状況にいるような、救いを求める顔で呟いた。小さな額縁に入った一枚の写真を眺めながら―。


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