01

「ねぇ、エリーナ、いつかここの紛争が終わった時―」
「わかってるわ、わかってるわよ、でも、でも―」
 二人の若い男女が、人気のない廃屋で、凍える身体を寄せ合いながら目に浮かべた涙を光らせていた。ロシアの小さな地域に生まれた二人は、民族紛争に巻き込まれていた。二人は対立し合う民族同士で、結ばれることは困難だった。二人は人目を盗んでは、親しい人の手引きでこうして会っていた。暗く、お互いの顔などもう月の出た日にしか見ることなど出来ない。だが、二人にとって顔を見ることではなく温もりを確認し合うというのが、生を感じる瞬間だった。
「私ね、父からもう貴方に会わないようにって言われたの。大好きな父の言う事を聞きたいと思うけれど、でも、私は…」
「僕は大丈夫だよ。君にこれから先会うことが出来なくても―ずっと、僕は君を想い生きていくよ。だから、君のお父さんの言う通りにするんだ。…それが、君が安全に暮らせる最善策だ」
「貴方は酷い人だわ。僕に着いて来いって言ってくれないんだもの…でも、ありがとう。貴方は優しい、この世界の誰より…私も貴方をずっと、永遠に想い続けるわ」
 エリーナが心のどこかで望んでいた言葉は、紡がれはしなかった。この青年、ルイ・ブリャンスキーから現実味のない言葉が出るとは思ってはいなかったエリーナは、内心ほっとしていた。何時もの彼だった。それだけでエリーナの心は満ちる、今宵の月のように―。

  **

 ロシアエージェントのルイ・ブリャンスキー 三十歳は、個室のベッドに腰掛けながら祖国の紛争終結をラジオで聞き、追憶していた。ベッドに寄る皺を更に増やすように掌を投げ出して、ベッドへ沈み込んだ。溜め息を漏らす余裕さえもなく、ぐるぐると廻る記憶を断ち切るように部屋を飛び出した。

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 エリーナとルイは、あの満月の夜約束してから会うことはなかったのだが、数年後、紛争解決の兆しが顕れ始めた時にもう一度会うことが出来た。二人はまたあの廃屋で夕日に包まれながら、再会を噛み締めていた。しかし、夕日の赤と夜のインディゴブルーが調和したような薄暗い中、一発の銃声が轟いた。ルイの目にはエリーナが口から血を流しながら倒れる姿が見え、コンマ数秒後に視界は銃声と共に消えた。
 エリーナとルイを銃撃したのは、ルイの民族の若者。銃の腕に長け、極端にエリーナの民族を嫌悪し、エリーナの民族を無差別に銃殺していたらしい。エリーナの民族の地域にあるこの廃屋にいたルイまでもが撃たれ、彼は失明した。そして、エリーナは死んだ。脳を貫通していた。エリーナの眠る顔も、何一つ見ることが出来なくなったルイは、心も目の前が真っ暗だったと言えるだろう。結局その若者の行動が紛争悪化に大きく起因し、解決の道は遠ざかってしまった。

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 十年以上も経つ。想い人のエリーナが死んでからもう十年以上も経ち、やっと紛争が終わった。呆気なく収束したこの紛争に、ルイは無性にやるせなさを感じていた。ざわつく心を落ち着かせるように、トレーニングルームでひたすらダンベルを持ち続けた、きっとこれを置いたら頭にエリーナが浮かんでしまうと。ギラギラとしたその眼には、うん百万とする高品質の義眼がはめられている。凍てついたかのように色素の薄いグレーの瞳。彼の心を顕しているかのようだ。
「おいおい、無茶な鍛え方してるじゃねぇか」
 背中からかかったハスキーボイスは、ガンダルのものだった。


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