04

「只今戻りました」
 介入を終えた蝶子はUN-0基地内の大広間の扉を開けた。戸を開けてすぐ、ロンショウとウィリアムが賑やかに話している様子を見て、蝶子は意外そうな表情をした。
「どうかしたのか?」
 後ろから声をかけたガンダルは、右目から顎まで伸びる古い切り傷を触るように手を当て、薄く微笑んでいる。
「いえ、あの二人がいつの間にか親しくなっていたので、意外だなぁと」
「ま、ここに馴染んだってことだろ」
「馴染む?」
 蝶子が首をかしげ、ガンダルを見つめる。
「大体のエージェントは、自分の能力が原因で重い過去を背負ってる。だから、つい、自分の生きてる意味、そういうのが分からなくなって、自分の時計を止めてしまう」
 ガンダルはどこか遠くを眺望するように見つめ、顔の傷を摩る。この男も、その重い過去を背負って生きているのだと、蝶子は察した。
「でも、同じような過去を持つここの奴等と出会って、その時計が進んでいく意味を知ったら、自然と時計は進み始める」
 ガンダルは傷から手を離し、今度は腰に手をあてて、ロンショウ達の方へと視線をやった。
「ロンショウの時計は、また進み始めたってことさ」
(時計が進む、意味―…)
 蝶子は、ロンショウが笑顔を見せている様子を遠くから眺めていた。隣にいるガンダルの言葉を、心の中で繰り返しながら―…。
「おーい、お前ら!」
 ガンダルは蝶子に語り終えると、ウィリアムとロンショウへと声を投げかける。
「ガンダルさん!」
「介入先がスペインだったから、生ハム買ってきたぞー」
 驚いた様子の二人に、手に持った袋をブラブラと見せている時、
「ちょっと待った!!!!」
 広間の戸口から突然聞こえてきた声に、蝶子は肩をびくつかせる。
「それは私の…私の生ハム…」
 その声の主は、人一倍食に関して貪欲なレイチェルだった。どうやら、ガンダルが手に持っている生ハムはレイチェルのものらしい。凄い形相のレイチェルは、何処かのホラー映画を思わせる。
「げっ、レイチェル」
「げっ!じゃないわよガンダルさん!生ハム返せ」
「グハッ」
 レイチェルは目を見開いて歳上のガンダルに飛び蹴りを食らわせているのを、ウィリアムとロンショウは、某アニメの「マチルダさん!」的なノリで、「ガンダルさぁーん!」と悪ノリしていた。蝶子は思わず微笑んで、口元を裾で覆っていると、後ろからローゲンが現れる。もしかして邪魔だったのかもしれないと、直ぐに横にズレたが、それは違ったらしい。ローゲンは蝶子と同じく、ガンダル達のやりとりを見ている。
「ローゲンさんもお帰りでしたか」
「ああ…あれは?」
 あれ、とはガンダル達のやりとりのことだろう。
「ふふっ、生ハムの取り合いです。とても楽しそうで、いいですよね」
 二人の視線の先では、「生ハム返せ!」「いいじゃねーかハムくらい…」というレイチェルとガンダルの攻防が続けられている。
「…ああ、そうだな」
 フッとローゲンが微笑む。蝶子はどうもこの微笑みに弱いらしい。何故だか蝶子が照れ臭くなって咄嗟に俯いて顔を隠す。その顔だけでなく、黒髪から覗く耳までもが赤く、隠しきれてないことに気付かないまま。

  **

 広間の扉付近で話しているローゲンと蝶子を、ロンショウは横目で見ていた。
「おいロンショウ、何見てんだ?」
 横から小突くように現れたウィリアムは、ロンショウの視線の先を追う。
「蝶子とローゲンさん?なんか、あの二人って親子みたいだよな!」
 ウィリアムは何の気なしにそんなことを言ってのけたが、ロンショウはあの一瞬で見抜いている。―蝶子はローゲンを慕っていると。そして、このウィリアムが蝶子に向けている視線は、それと同じであることを。
「まぁ、お前が今みたいなアホだと、絶対に結婚できないネ」
「んだと!」
 ぺっと、唾を吐き出すように言ったロンショウに対して、ムキになるウィリアムを尻目に、結局攻防戦に敗れレイチェルに引きずられる四十代の男の姿があった。
まだ皆は気付いていない。そんな幸せが崩れる日がやってるとは―…。

  **

「蝶子…」
 写真立てに映る少女に、そう呟く男―…。

  **

「漣、蝶子…!!」
 ガッ!ガッ!
 写真に映る蝶子の顔をひたすらカッターで切りつける、狂気じみた女―…。

  **

 ―ゾクッ。悪寒が蝶子を襲い、蝶子は肩を抱くように摩する。
「どうかしたのか?」
 ローゲンは目だけを蝶子に向けながら問いかけた。
「いえ…」
 蝶子は、少しずつ、何かが自分というものを壊そうとしているのを感じた。


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