02

 昼食を終えたばかりだというのに、隣に座るレイチェルから聞こえてくる腹の音に対して、今にも緩んでしまいそうな顔を隠しきれないガブリエルを正面に、蝶子は、ローゲンの左耳から垂れるイヤホンを眺めていた。
 介入後であるローゲンのスーツは、介入前のシワのないものから、草臥れた様子の伺えるものになっていた。ローゲンは、澄んだマリンブルーに鋭い輝きをみせる瞳を、それぞれ招集されたエージェント達を一瞥してまつ毛に隠した。
「今回はここに集めたメンバーで介入する」
 メンバーは、ガブリエル、レイチェル、蝶子、ロンショウ、マキュール、そしてローゲンだ。このメンバーにまず疑問を抱いて挙手したのは、細く編まれた三つ編みを左側に垂らし、片目を閉じたチャイナ服姿の中国エージェント、リ・ロンショウ 18歳である。
「何か、本部班のエージェントが多い気がするヨ。今回の介入、本当に平気カ?」
 中国訛りのある英語で訊ねたロンショウに、ローゲンは顔を向けた。ロンショウが抱いた疑問は、決してエージェント達を見縊ったものではない。このメンバーのうち、ロンショウ、ガブリエル、マキュールの三人が本部班に所属している。本部班のエージェントは確かに優秀な人材ではあるが、介入の最前線に出るには不利になることが多い。例えばマキュールの技の、木を自在に操り硬い防具を作り出す能力は、防御には使えても攻撃に転用することは難しい。このように、防御技を得意とするエージェントが、今回の介入では三人いる。
「今回は、本部班の力が重要な役目を担う。今回は国家に潜入しなければならないために、ロンショウやレイチェル、ガブリエルの力が必要になる。…お前らは優秀な人材だ。案ずることはない」
 −やりたくないなら別だが。
 念を押すような声に、皆が皆首を横に振って応えた。
「他に質問はあるか?」
「国家に潜入…ということですけれど、今回は何処に潜入するのでしょうか?」
 何時もガンダルとのやり取りで粗雑な敬語を使っているレイチェルも、ローゲンを相手にすると畏まって丁寧な敬語を使っている。
「今回は…」
 チラリ、とローゲンが目をやる先にマキュールがいたのに、蝶子はいち早く気付いて、察した。
「今回は、カナダ政府への介入だ」
 ローゲンが厳格な顔つきでそう告げた時、マキュールの顔が心なしか強ばるのを、蝶子は感じていた。
「カナダ政府には今現在、反政府組織を武力で制圧している。その背景に、反政府の人々の大量虐殺の疑惑が浮かび上がっている。ここ最近、カナダ政府と反政府組織を見張っていたPKFが、"政府軍と思わしき者が、無抵抗の反政府組織人々を無差別に銃殺していた"と証言していたらしい。現在PKFは監視することしかできない。その為に、我々が政府への潜入調査を行う。ロンショウは政府内の情報収集、レイチェルはその援護に当たれ。俺とガブリエル、蝶子とマキュールは政府軍の行為を監視、必要があれば武力を使って介入する」
 他に質問は、という短い問いかけに、誰も挙手しなかったので、ローゲンは机に広げていた資料を集めて、机上でトントン、と綺麗にまとめた。
「それでは解散」

  **

 ――影を落としたマキュールの肩に、蝶子はそっと手を置いた。ぴくり、と小さく跳ねた体に「マキュールさん」と声をかけると、ゆっくり振り返って苦笑いを浮かべている。
「先程からずっと、顔色が悪いので…」
 別に聞かれたわけでもなかったのだが、マキュールの瞳には、無言の間には、声をかけた理由を問うているような気がして、静かな空間に紛れ込むような声でそう言った。蝶子の言葉を聞いて、暫く考えたように、肩に乗った手へと視線を落として、「…蝶子には教えておくね。」とマキュールは言った。
「うちの父親は、カナダ政府の重要なポジションにいて…。その父親からさっき電話があって」

  **

『もしもし、マキュールか?』
「珍しいね、電話かけてくるなんて。」
『今カナダの情勢が不安定なのは知っているな?』
「うん、新聞で見たけど。どうしたの?」
 だんだんと電話の向こうの空気から感じた、"悪い予感"が、マキュールの中で渦巻いていた。心臓に落ち着けと指示を出しながら、恐る恐る父親に聞き返した。その答えが悪いものでないことを願いながら。
『…ごめんな』
 短くそう言うと、マキュールの父親の方から切られてしまった。

  **

 あの一方的な電話に、納得できなかったマキュールは、今こうして、父親から遠く離れた場所で、一人不安を抱え込んでいた。
「珍しく電話してきたかと思ったら、謝ってくるなんて」
 色素の薄い彼女の睫毛から、涙が溢れそうになっている。蝶子はその涙に少しだけ目を伏せて、
「明日の介入で真実をつきとめましょう…きっと何かわかるはずです」と言った。
「そうね…」


prev / しおりを挟む / next

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -