刮ト桜

その女は、毎日私の元へ飽きずに来た。
別に見返りを求めるでもなく花や食べ物などを供えて、手を合わせて帰る。
供える物も、戦後ということもあって別段贅沢なものでなく、寧ろ乏しさが伺えるものだった。
女は、25、6ぐらいだろうが、毎日毎日山奥にあるここまで来るのに時間をかけているわけだから、結婚はしていないものと思われる。

女が年のいった女性とここに来た時に、ツボミという名前であることを知った。
それくらいだ。後は何も知らない。いつも慎ましく微笑みを浮かべている彼女しかしらない。

彼女から私の姿は見えない。
だけれども私から見えている。別にこれといって私の存在を気づかせたいわけではないが、ここ何年も通われているので、顔ぐらいは拝ませてやりたいと思う。そんなことを考えながら彼女を見つめていると、今日は珍しく私に話し掛けた。

「今日は、私のかつて愛した人の生まれた日なのです。ですが、そんな今日に彼は先に逝ってしまいました。」

何年間も通われていて、初めて知ったことだった。
それは災難だったな、と声を掛けようともできないので目の前の女の話を聞いていた。

「その人は、茂龍という名でした。」

淡々と述べられた一人の男の名に、聞き覚えがあった。
だがしかし何処で聞いたかは思い出せない。

「あの人が戦地へ向かう前、一つ約束をしたのです。"もし私が帰って来たら、貴方の好きな桜の花を共に見よう。"そういって行かれました。不思議ですね、ここには沢山の桜が咲くんです。春じゃなくて、夏のこの時期に。」

もしかしたら、あの人の仕業かも知れませんね、と彼女は薄く微笑んでいる。
夏日が照りついている。だが私には暑さが分からない。そういえば何故私はここにいるのだろうか?分からない。

「もしこれがあの人の仕業なら、彼に伝えてくださいまし。もう十分奇麗な桜を見たから、無理をしないで頂戴と。」

そこで私はようやく理解した。
理解したと同時に、桜の花びらが忙しく散り始める。
散り始めたと同時に、彼女は驚きながら口にする。

「茂龍さん?」

そうだ私だ、元気にしていたか、母上の体調はどうだ、言いたいこともツボミにして上げたいことも沢山あった。
だけれど、最後に彼女に贈った言葉は、

"桜、奇麗だったな"

それだけが私の心残りだったようだ。

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