煙の匂いが鼻につく。嗅覚のセンサーを燻るそれを情報として処理していれば、ガンッと鈍い音が響いてトップスピンは胴体ごと顔を向けた。ぐらつき、伏せられたおもての口端からエナジョンを滴らせる機体はそれでも倒れるには至らず、相対する拳を振りきった体勢のドリルが特徴的な後ろ姿もまた直ぐさま激情を抑えきれない様子でその手を払う。

「もう一回言ってみろよ」
「……センサーもイカれたのか?御大層なドリルで向こう見ずに突っ込むしか能がないのか、と言ったんだが」
「テメエ……ッ、」
「おいおい、そこまでにしておけ」

拭う事もせず、淡々と吐き出した静かなおもてへ向かって再度振り上げられた拳を止めたのはトップスピンだった。

「熱くなり過ぎだ、ツインツイスト。ナマエも口を閉じろ」

両者の間へ割って入り、物理的に距離をとらせる。ナマエはおとなしく閉口し、感情の読みづらい、その藍色に近い青でじっと仲裁者を見るだけだったので一先ず未だ熱のおさまらないでいる相棒を宥めた。
まだ任務が終わったばかりの、ディセプティコンの死骸があちらこちらへと転がる現状でやるべきではない事くらいはツインツイストも承知しているおかげで、オルトモードへ変形すると土煙をあげスプリンガーの方へと向かっていった。
それを見送って、ひとつ排気したのちに振り返ればナマエはちょうどエナジョンを拭ったところだった。

「悪いな、ナマエ。しかし珍しいな、お前が誰かに突っかかるなんて」
「少々苛立ちが抑えられなくなっただけだ。トップスピン、きみに謝罪される謂れはないよ」
「いつも冷静なお前にもちゃんとそういう面があるんだな」

静かで抑揚のない声に、あまり表情の変わらないせいで鉄面皮などと揶揄されるナマエが他者へ喧嘩を売るような物言いをするのをはじめて聞いたせいで、トップスピンは興味津々といった体であったが、ナマエは「私にだって喜怒哀楽くらいあるさ」と無表情でのたまうものだから一瞬冗談かそうではないかの区別がつかなかった。けれどこのレッカーズの中距離、遠距離担当の狙撃手が冗談を口にしているところを見た事がないと思い出して、後者だろうと判断する。

「八つ当たりのようなものだ。ツインツイストには悪い事をした、後で謝罪しておくよ」

恐らく不機嫌もあらわにオルトモードのままエンジンをふかしている相棒よりも、淡々と言うナマエの方が余程できていると感心すると同時にやはり一抹の申し訳なさがトップスピンのスパークを、ちり、と焦がす。

「そいつは助かるが、言葉に対して手を出したアイツの方が悪いだろう。相手がお前じゃなければ今頃乱闘騒ぎだっただろうしな」

好戦的な集団なうえに、先程まで戦闘をしていたのだ。沸点の低さが通常とは異なる。トップスピンの言葉にナマエは、ツインツイストの去った方を眺めていた視線を戻した。

「私がツインツイストに手をあげる事はないよ」

戻して、真っ直ぐにトップスピンのよく晴れた天にも似たスカイブルーの鮮やかなバイザーをみつめて言った。
淡々とした抑揚のなさは変わらないというのに、酷く真剣な声音に聞こえた気がして瞬間トップスピンの右手が軋む。しかし、その錯覚を振り払うと「ツインツイストは、お前が無意味な暴力に訴えないヤツで助かったな」シニカルに笑って応えた。

言葉通りにナマエはトップスピンとの会話を終えた後、ツインツイストの元へ足を向けていた。遠目でも謝罪を受けて相棒が気まずそうにしている様が見てとれる。殴ってしまった手前バツが悪いのだろう、しかし性根は良い奴であるのだ。真っ直ぐ対峙し、恐らく「……悪かった」と謝っているであろうその声も再現は余裕であった。
とはいえ、それを受けてもにこりともしないナマエの方はなにを考えているのか、トップスピンにはサッパリだったが。同じレッカーであっても、そう親しい訳ではないのだ。知っている事といえば、大戦前からセンチネル・プライム率いる警備隊へ所属していたような、生粋の戦闘派であるという事と、荒くれ者の多いレッカーズの中でも酷く冷静沈着であるという事だ。フィジトロン著のレッカーズ秘録を読んだとしてもそれくらいの情報しか載っていない。
今回のように無用な、戯れにも近いような喧嘩では決して手も銃も出す事がなく、軍の規律を正しく体現したかのような清廉潔白さは少々浮いていたが、それを補ってあまりある狙撃の腕によって入れ替わりの激しいレッカーズでもそれなりに長く務めている。
敵の死にも、仲間の死にも顔色ひとつ変えない冷血さはある意味“向いている”のかもしれない。狙撃手らしい戦場を俯瞰する広い視野を持ち、的確にディセプティコンを撃ち抜くその手腕にはメンバーの全員が多かれ少なかれ助けられていた。近頃はカップのお目付役として配属されたパーセプターによって、仕事が楽になったと言っていたがやはり真顔のせいで軽口かどうかの区別は誰にもつかないままだった。
絶えず凪いだ深い藍色の静謐な鋭さを思い出して、トップスピンは知らず右手を抑えていた事に気付く。観察眼に長けているのだ、もしかすると見抜くまではいかずとも勘付かれている可能性はあるのかもしれない。吹聴するタイプではないだろうが、確認した方が無難か。そんな事をブレインへ巡らせたのちに、トップスピンもまた任務の後始末へと取り掛かったのだった。

結論から言えば、トップスピンの懸念は間違いではなかった。
意識し、注視していれば、ほんの僅か、ナマエの狙撃によるフォローやサポートがツインツイストとトップスピンへと傾いているのが分かったからだ。それはあくまでも、そう意識してみなければ決して気付かれない程に些細でありながら、だからこそ状況を判断し最善の引き金を等しく引くナマエらしくない違和となって現れていた。事実、察しているのはトップスピンだけだろう。誰も常に静けさをまとった、酷く“機械的”なナマエの感情の機微に気付かない。たったひとり、自分だけというそれはどこかトップスピンに秘密を独り占めしているような甘い優越と、自分の勘が当たっていた事への苦い憂鬱をいだかせた。

「トップスピン!」

スプリンガーの声にハッとする。一瞬前まで目前にあった光景とは全く異なる現状に、瞬間判断が遅れた隙に迫ったディセプティコンの攻撃は避ける術のないものだったが、死角から走った鋭い閃光が紫のインシグニアを射抜いた。
的確にスパークを撃ったその弾道の先で、ナマエが敵の攻撃に被弾しているのが見えたが、周囲にはまだ此方を狙うディセプティコンがいるのだ。そちらのフォローへ回れるような余裕はなく、ナマエが直ぐに立て直し構えるのを視覚センサーの隅で確認するとトップスピンもまた銃の引き金を引いたのだった。
任務遂行ののちに報告もまとめ終えたトップスピンは、エンジェックスとグラス片手に船の中を歩んでいた。医療ベイの扉を開ければ、スラブへ腰掛けたナマエと器具を片付けているパーセプターのオプティックが同時に向けられる。

「どうした?トップスピン、お前も修理する箇所があったか?」
「いや、パーセプター。ナマエに用事があるだけだ」

軽く口端を上げ、瓶を振ってやれば納得いったように頷いたパーセプターが「ちょうど終わったところだ。俺はこれで失礼しよう」トップスピンの隣を抜けていった。

「パーセプター、ありがとう」

その背へナマエが声をかけ、扉の閉まった後には沈黙だけが残った。それを払拭するようあえて明るい声で「今日は悪かった。もう良いのか?」言いながらスラブへ近付く。

「私の注意不足が招いた事だし、パーセプターの腕は確かだ」

損傷した箇所が綺麗に直っているのはトップスピンにも見てとれた。サイエンティストからスナイパーへ転職して、本人は腕が落ちたと言っているが精密な作業へ長けている事に変わりはないのだろう。

「俺のフォローに回らなければ撃たれなかった事くらい分かってるさ」

生真面目な声に肩をすくめると、グラスを差し出す。ナマエは海の底にも似た深い藍でトップスピンをじっとみつめてきたが、やがて静かに受けとった。

「それが私の役割なのだから、前線に心配されるのは名折れだよ」

それでも、とぽとぽと注がれるエンジェックスを眺めながらそんな事を言うのでやはり頑固というか真面目だとトップスピンは内心嘆息する。同時に、自分にたいしての無用な配慮が嫌になった。

「……訊かないのか?」
「なにを?」
「気付いてないとは言わせないぜ、お前のオプティックに俺の隙はさぞ間抜けに映っただろ」
「…………」

沈黙。らしくないそれに確信へと変わる。バイザー越しでも分かるトップスピンの鋭い視線を直に受けてナマエは、ふっと小さく排気した。

「私はまわりくどい物言いには長けていないから、単刀直入にきみのいだいているだろう疑問へ答えるしかない。……きみとツインツイスト、分岐スパークの事を訊きに来たのだろう?」

そうして真っ直ぐに、淡々とした物言いでトップスピンへと問いかけた。

「パーセプターに聞いたのか?」
「いいや、自分で気付いて調べただけだよ」

トップスピンとツインツイストを悩ます症例を知っているのはレッカーズの中でも極一部だ。そのうちのひとりがパーセプターであり、情報源だと思っていたが違ったらしい。

「お前が言いふらすような性質じゃないのは理解してるが、他言無用にしておいてくれ」
「元よりそのつもりだが、きみにそう思われていたとは光栄だ」

釘を刺す必要はないとお互い思っていても一応の保険であるともまた理解している物言いに、トップスピンは肩の荷のおりた気分でグラスを傾けた。そうして「しかし、流石レッカーズの誇る狙撃手様だな。たいした観察眼だ」軽口をたたく余裕が生じた揶揄うような笑みはしかし「いいや」と短い声によって遮られた。

「いいや、トップスピン。それは違う。私が気付いたのは、きみをずっと見ていたからだ」

は?と、瞬時に疑問がブレインを駆け巡ったが、残念ながらトップスピンは鈍くも野暮でもなかった。

「あー……っと、それは、つまり」
「きみに好意をいだいていると言っている」

そうしてナマエもまた自身の言葉の通りに、単刀直入な物言いを好む性質だった。はっきりと疑いようもなく明言されてしまえば、逃げ場などない。こちらも珍しく言葉に詰まるトップスピンへ、助け舟を出したのもまたナマエだった。

「気にしなくていい。きみが私をどうとも思っていない事くらいは承知している。きみからなにかを返してもらおうなどとは望んでいない」

やはり感情の読めない静かな声音には、諦観すらも含まれていない。事実を事実として正しく認識し、それ以上でも以下でもないのだと甘やかさの削ぎ落とされた精神があるのみだった。そのせいで本当にナマエが自分へそんな想いをいだいているとは到底思えない気分へ陥ったが、もしかすればそれを意図しているのかもしれないと察してなんとも言い難いものがスパークを満たす。
ナマエの言葉に違わず、トップスピンはナマエへなにも特別な感情を寄せてはいない。同じレッカーズの一員であるという、ただそれだけだった。だからナマエの想いへ応える事などできない。できないのだが、最初からなにも望まれていないというのはそれはそれで癪だった。
それでも、だからこそ、ナマエの言は正しい。
次第に悪化の一途を辿るだけの、改善の見込みのない自分と相棒の症状を思えば、ここでナマエへ関心のひとつでもいだく事すら憚られる。ツインツイストもトップスピンも互いになにも言わなかったが、自分達が崖へと転がり落ちている事くらいは了承していたからだ。いずれ致命的で決定的な出来事がこの先に大口を開けて待ち構えているという予感を思えば、ナマエに向けてほんの僅か手を伸ばす事さえ許されない気がした。

「私はただ、きみ達を後方から援護するだけだ」

それくらいは了承しておいてくれと、ナマエはエンジェックスを飲み干しグラスを置く。トップスピンがなにを返す前に、酷く澄んだ音が室内へ響くなかナマエが「美味しかったよ」言って立ち上がる。

「ナマエ、」

立ち去ろうとする背へ、思わず呼んでしまうが後に続く言葉は出てこない。なにも言う資格はないのだとスパークが訴えている気がした。

「ああ、そうだ。トップスピン。もし私より先にきみが死んだらその墓前へインナーモストエナジョンを全部供えてやるから、それだけは覚悟しておいてくれ」

ただ扉をくぐる寸前、振り返ったナマエの告げた、やはり冗談か本気かの区別のつかないおかしな脅しに、下手くそな笑いを返すしか出来なかった。




それ以降もトップスピンとナマエの関係はなにも変わらなかった。
記録は確かにブレインへ残っていても、たまに思い出さなければナマエが自分を好きだと言ったのは夢幻か、はたまたやはり冗談だったかと思う程に向けられてくるものはなにもなかったからだ。けれど確かにあの時、真っ直ぐにみつめてきて言い放った声音も深い藍色もトップスピンに刻まれているし、ナマエが誰にも気付かれない程度のフォローを戦闘中行っている事もまた、あれが確かにあった事なのだと知らしめた。
ずっと見ていたからだと言っていたが、知った後でも特別視線を感じる事など決してなかった。会話をしていてもそういった甘さの欠片もない。本当にコイツは自分へ好意をいだいているのかとトップスピンが訝しむ程に、ナマエは熱を感じさせなかった。普段であっても、戦闘時であっても、トップスピンは一度もナマエが熱くなっているところを見た事がないと思って、そこでふと思い出す。唯一の感情の発露を知っていると。瞬間、右手が確かに他よりもほんの僅かやわらかな金属の頬を殴った感覚が―――錯覚がよみがえり、思わず握り締めてしまう。錯覚ですらない。代理的認知、擬似体験とでも言うべきか、ツインツイストがナマエを殴った時に感覚を共有していたのだ。
だからこそ、トップスピンは思わずナマエへ謝罪したのだが、今思えばあれはと連鎖的にログがブレインを巡る。苛立ちに、八つ当たり。分岐スパークを承知していても、ツインツイストは正しくレッカーであり、その生来の気質でもって損傷を厭わず果敢に前へと出る事をトップスピンはそういうものだと、仕方のないヤツだと受け入れていたが、恐らくナマエは違ったのだ。そう気付いた途端にらしくもなく頭を抱えたくなった。
あの時の諍いの火種は自分だったのだ。相棒は察していないだろうが、ナマエの言動といいそう考えれば辻褄が合ってしまう。
常に冷静なナマエが、私情を決して挟まず淡々と任務をこなすナマエが、同じレッカーとしてツインツイストの事を理解してそれでもたったひとつだけ感情的な行いをした、その要因が自分であるという事実はどこか恐ろしくも甘美だった。
そのせいかある時「お前、最近ナマエの事見過ぎだろ」ツインツイストから言われて面食らったものだ。

「……見たのか?」
「バーカ、そんなモンなくても分かりやすいって言ってんだよ」

軽く吐き捨てられ、そこまでの自覚がなかったせいで思わずバイザーをおさえたトップスピンを楽しげな笑いが追う。

「なんだ、ああいうのが好みだったのか?」
「違う」

反射で答えたそれは事実だったが、しかし言った後でどうにも苦いものが舌へ広がる気がした。そういった感情は変わらずない。ないというのに、気付けばブレインはナマエの事ばかりで占領されているのだ。流石に笑えない。
ナマエがいだいているという好意が何時からだとか、どこをだとか、疑問はあげはじめればキリがないのだ。好意を向けられる要因に覚えが全くなく、気になりはすれどもナマエへ直接訊くのは憚られるそのせいで一向に解答欄の埋まらないままならさ。ナマエの言葉通り気にしなければいいのだろうと思えど、それが出来る程トップスピンは非情ではなかった。
逆に涼しい顔をしているナマエがいっそ忌々しいくらいでもあったが、それら全てをバイザーの下へ秘める事もまたトップスピンは長けていた。なにもないままでいいのだ。既に時限爆弾のタイムリミットは迫っている。戦死に次ぐ殉職。誰も彼もが死んでいく。生きる為に殺していく。誰しも平等に訪れるジ・エンドが早いか遅いかだけの問題だ。
そうして、トップスピンはもうとうの昔に選択をしたのだ。今更そこへ余分なものを挟む余地はない。

「俺が言えた台詞じゃないが、どうせ後悔しかしない生き方してんだ。ひとつでも減らしておけよ」

それでもトップスピンには、ツインツイストの勘違いを訂正する事すら出来なかったし、そうこうしているうちにメンバー補充やガーラス9への突入作戦の準備で慌ただしくなりそれどころではなくなっていた。ロードバスターにホワール、サンドストームやブロードサイドに代わり新兵が加わる事となる次の任務に向け、ウルトラマグナスの船へ乗った頃にはそういった事を考える余裕もなくなっていたとも言える。
必要以上の接触がないナマエとの関係性は以前と同じく希薄であり、姿を見かけてもそうスパークが騒つく事はなくこれでいいのだとトップスピンは自身を納得させていた。
イグ湿原燃料庫で新たなレッカーを拾い、ガーラス9への航行中。フィジトロンであるアイアンフィストが、トップスピンとツインツイストの情報を得られなかったというなかで、ならナマエはどうなんだと興味本位で訊ねてみれば「ナマエの情報は開示されていましたが、あまりにも“素気ない”ものばかりで……人物像の描写に心配があったんですが、実物も、その、」本人を前に言い淀むので、ツインツイストが「無愛想で冷たいって事だ」茶化していた。
ナマエはと言えば自分の話題であっても興味はないらしく、それどころかレッカーズ秘録を読んだ事がないという事実が発覚し一同を驚かせたものだった。緊張と不安はあれどまだマシであった空気を変えたのはインパクターの乗船と、それに伴うオーバーロードの情報だった。最悪のディセプティコンが待ち構えていると分かった途端、知っている者は皆悪態をついたがその時であってもナマエの“鉄面皮”が崩れる事はなくいっそ羨ましく映った。恐らく、誰が相手であろうがやる事は変わらないとでも思っているのだろう。
大まかな作戦は決まり、時間まで各々分かれるなか、トップスピンは変わらずツインツイストと顔を合わせていたが「いいのか?」不意に問われ思わず相棒を見返す。

「ナマエとも、少しくらい話をしておけよ」

あれ以来特にのぼる事のなかった話題に、らしくもなく反応が遅れたトップスピンの肩を白い手が叩く。話す事もなければ、なにを話していいのかも分からなかったが、ぐいと押されるままに、おとなしく足を向けてしまった。
静かな一画によく居ると知っていた通り、銃の手入れをしている機体を見つけてしかし第一声に悩んでいれば「どうした、トップスピン」顔をあげないまま声がかけられる。

「いや、お前は……なんというか何時もどおりだな」
「ただのルーティーンだよ」

その言葉に、もしかすれば大戦前からずっとこうしてきたのだろうかと、トップスピンは自身の知らないナマエの過去を思うと同時にやはり地図製作者であった己とはあまりに違うと隙のない張り詰めた糸のような機体をみつめた。

「恐ろしいと思った事はないのか?」
「どうだろうか……ラングの所見によれば、私はそのあたり、感情というものの発露が酷く希薄な性質らしい。ようは出力が低いのだろう」

恐ろしいと思ってもそれは引き金を引かない理由にはならず、誰かの死を悼み悲しいと思ってもそれは足を止める理由には至らない。そうやって今まで歩んできたのだと、珍しく自分の事を語るナマエの抑揚のない声をただ聞いていた。

「だから、きみへいだくこの想いも恐らく他の、多くの者がいだくものよりは、あまりにちっぽけなものなのだろう」

だから、ともう一度紡ぐ。

「だからこそ、私はこれを大切にしたいと思ったのだ」
「……なら、もっと俺に伝えれば良かったんじゃないのか?」

思わず傲慢な言葉がトップスピンの口をついて出たが、ナマエは銃へと落としていた視線をようやくあげると。

「これは私だけの感情だ。きみには関係がない」

そんな事を真顔でのたまうので、トップスピンは一発殴ってやろうかと思って拳を握りしめたがやめた。馬鹿真面目に思って言っているのだと理解できたからだ。こうまで潔いと逆に呆れるというものだ。欲がないともいえる。

「そうか。なら、俺のこれもお前には関係がないな」

だから代わりにトップスピンは距離を詰めると開いた手でナマエの腕を掴み、引き寄せた。
金属同士の触れ合った音はけれどあまりにささやかであり、間近にある藍色のオプティックはやはりどこまでも深く澄んでいるとトップスピンは思った。色気もなにもなく、ただ触れて離れただけだというのに、スパークは酷く忙しない。
咄嗟の事でも銃を手放していなかったナマエは、瞬きも忘れたように未だ近い距離へある鮮やかなスカイブルーのバイザーをみつめている。いつもの無表情のようでいて、ほんの僅か間抜け面ともいえる貴重なその表情をトップスピンはしっかりとメモリへ記録した後、破顔してみせた。

「どうだ?」
「…………」

混乱しているのか困惑しているのかは不明だが、兎にも角にもナマエが珍しく情報を処理しあぐねいている事くらいはトップスピンにも予想が出来た。何故ならば、もうそれが分かるくらいは―――見てきたからだ。
意表をつけた事への満足感をいだいていれば、ナマエの口唇が小さく震える。ようやくなにか言えるようになったらしいと眺めてしかし。

「……もう一度、いいだろうか」

か細い声を、はじめて聞くような、聴覚センサーの感度を上げなければならない程に小さな声をけれど、はっきりと収拾した時には合わせていた。
行くあてなどない想いを、泡沫の甘い夢を、全てを理解していて、いっそ装甲が歪む程抱き合えれば幸福だろうかと思う金属の身を、それでも確かに重ねたのだった。

突入作戦の遂行の間は、既に普段通りのふたりであった。誰もなにも気付かないだろう距離で、ナマエは淡々と歩を進めたしトップスピンはより悪化した代理的認知に苦しめられていた。
トップスピンがパイロへ説明する時も一言も口を挟まず周囲を警戒しているそこには、既に怜悧で無情な狙撃手がいるのみでありそれでいいと思った。ローターストームが撃たれた時でさえぴくりとも表情を動かさなかったが、その下になにもないのではないと知っている。それだけで良かった。
南棟の一室の前でフォートレス・マキシマスを解放し、エクイタスがなにかをパーセプターが説明する頃にそれは起きた。突如繋がった感覚は酷いなどとすら言えないものであり、トップスピンはナノクリック前とは異なる苦痛と視界に全ての感覚が支配されるのが分かってもどうしようもない。それは側から見ているだけでも今ツインツイストがどういった惨状にあるのか想像に難くない有り様であり、パイロやパーセプターが一先ず寝かせようとすれば静かにナマエがそれを手伝った。
ベリティとアイアンフィストにトップスピンを任せ、ナマエもまたエクイタスのアクセス端末を探しに向かう。その間にアイアンフィストが語ったレッカーズの逸話が終わる頃には、トップスピンも起き上がれるようになっていたがそこでまた新たな問題が生じた。
エクイタスの起動には誰かひとりが自主的にそのスパークを捧げなければならないという事実に、新兵は狼狽えた様子であり口論が発生する。ツインツイストの視界を、苦痛を、共有しながらも、レッカーズへ入隊したばかりの者へ自分から死ねというのは無理があるという事くらい理解できていたトップスピンは、不意に視覚センサーへ映ったものにハッとした。相棒の見ているものではない、これは自分のだと思った瞬間「ナマエ?」顔をあげた。
話し込むメンバーの後ろを何気なく通り抜けていた機体が、既にエクイタスへ触れられる距離にいるナマエが振り返る。

「時間がないのだろう?ならさっさと済ますべきだ」

なんて事のない風に、淡々とあっさり自死を告げた狙撃手に息を呑む音が聞こえるなかで、トップスピンだけは瞬時に「やめろ」と進み出た。

「いい、俺がやる。もう沢山だ」

拷問を受けるツインツイストに死が迫っている事くらいは分かっていた。既に耐え難い苦痛を与えられ続けたのだ、もういい、もう充分だろう。これ以上の痛みも、尊厳を傷つけられる事も、相棒にそんな死を迎えさせる事もトップスピンの望みとはかけ離れていた。救う事が出来ないのであれば、せめてもう解放してやりたかった―――解放されたかった。
この優れた狙撃手よりも、感覚を共有する度、無様に足手纏いとなる自分の方が余程相応しい。後ろ暗い思考のまま、ナマエの肩を掴みぐいと退かす。ただふっと、最期にこれだけは言っておかなければならないと気付いて口を開いた。

「ナマエ」

すまないと紡ごうとしたトップスピンよりも先に「謝るな」真っ直ぐな声が遮る。

「謝るな、トップスピン。私はきみに謝罪される謂れはない」

思わず振り返った先で、眩しいほど真っ直ぐに、藍色のオプティックに貫かれる。
真剣な声音。甘さの一切ないその真摯さが、けれどありがたかった。トップスピンは我ながら酷いヤツだと思ったが、こうやって想ってくれる相手に見届けてもらえるのであれば悪くない気がした。

「ありがとな」

ほんの僅か軽くなったスパークのまま、トップスピンはナマエへ笑いかけるとエクイタスへその身を委ねたのだった。




「ロードバスター」

日課のルーティーンをこなしていた機体は懐かしい声に名を呼ばれ振り向いた。
少し離れた場所には思い浮かべた通りの、レッカーズの狙撃手の姿があり「ナマエ」手をあげて応える。このデブリへの来訪者など殆どないなかで“生きている者”との会話は何時以来だろうかとロードバスターは思った。

「邪魔をしたか?」

武器開発中だった様子にナマエはそう問いかけてきたが、退屈を紛らわせる行為よりも仲間との会話の方が貴重であった為に否と返答するも、ナマエはにこりとも笑わずそうかと頷いただけであった。
淡々とした口調も、感情のあらわれないおもても相変わらずだと、やはり懐古がスパークを満たす。とはいえ、感傷など持ち得ていないようなこの機体がわざわざなんの用事だろうかとも疑問は浮かぶが、そんなロードバスターを尻目に「土産だ」言ってナマエは持っていた二本の瓶のうちの一本を差し出してきた。

「助かる。随分良い品だな」
「きみの行いに見合った礼のようなものだ。スプリンガーは?」
「変わらずだ。会っていくか?」
「ああ」

銘柄を眺めれば上等なエンジェックスだと分かる。真面目で面白みがないようでいてもこういった気遣いは出来るので、あまりに異なる毛色だとしても軋轢を生む要因にはならなかったと思い出す。その清廉さは煩わしくも、眩しかったのだ。どれほど任務が陰惨なものと化そうが揺らぎない一筋の光のような存在が、折れる事のない真っ直ぐさが、疎ましい以上に安堵にも似た落ちつきをスパークへもたらしていた事などこの狙撃手は知らないのだろう。スプリンガーが増幅器であるとすればナマエは安定剤のように作用していたのだ。
スラブの上で沈黙を保ち続ける緑の機体を見下ろし「スプリンガー、きみは随分と寝坊助なのだな」冗談なのかそうでないのか分からない声をかけているナマエを眺めながらロードバスターはどこか不思議な気分だった。インパクターやガズルと共に行く事もなく、上層部の指示のもと戦場は違えど未だ前線へ赴いているあたりはやはり生粋の軍人なのかもしれない。レッカーズ秘録を読んでもナマエの人物像は非情で怜悧なものとして描かれている事が多いのを思い出していれば、何時の間に顔をあげたのか深い藍色がロードバスターへ真っ直ぐに向けられていた。

「ロードバスター、きみには感謝している」
「……礼を言われるような事じゃない」
「それでもだ」

後ろ暗い事だらけだというのに、同じ戦地を駆け回ったというのに、何故こうも潔くあれるのだろうと思えども未だ答えはロードバスターの中にはなく、恐らくこの先もないままだろう予感だけがあった。
ただナマエがあの時ポヴァへ居なくて良かったと思った。もしもこの公明正大なレッカーがいればなにを選択し、なにかが変わっていただろうか。詮無い事をそれでも思ってしまいながら口を開く。

「他の奴らにも会っていくか?」
「そのつもりだ」

あっさり言ってロードバスターと別れ、追悼の地へ向かう後ろ姿を見送りながら不意にナマエの持つもう一本の瓶、揺れる鮮やかな液体にまさかと思ったが、それしてはありえない量だとその考えを払拭したのだった。

柩のひとつずつへ声をかけるナマエの姿は、ロードバスターの朝の日課と被る光景だったがそれを指摘する者はいないなか、最後に残ったその前で足は止まった。
刻まれた名を藍色の眼差しだけでなぞると、口を開く。

「久しぶり、トップスピン。中々時間が取れず、来るのが遅くなってしまった」

静謐を保ち続ける柩へと落とされる声音からは、やはり感情を読みとる事は出来ない。台詞だけでいえば申し訳なさそうだというのに、その一切が全く込められていないように聞こえるのだからいっそ器用だと、もう起きる事のない彼が以前思った声が続ける。

「ここは、良い所だな。皆居るし、ロードバスターが綺麗に保ってくれている」

錆のひとつもない冷たい表面をそっと指先が撫でる。まるでそれが彼そのものであるかのように、酷く優しく丁寧な所作だった。しかし、ほんの僅か、オプティックが細められたのちに音もなく離れる。
そうして、手にした瓶をまるで見せるように胸元へ掲げ「トップスピン」名を呼ぶ。

「トップスピン、きみはあの時笑ってくれたから冗談だと思ったのだろうけど、残念ながら私は本気だったよ」

手の内で揺らされた瓶の内では、鮮やかな液体がちゃぽんと音を立てた。
ロードバスターがありえないと判断したのも無理はない。その量は、ナマエの機体のサイズを鑑みたとしてもその“全て”だと断ずるに足るものだったからだ。通常使用されるものよりも遥かに大きな瓶を満たすそれは、以前ナマエがトップスピンへ宣言した脅しが正しく履行された事を物語っていた。

「心なしか少し機体が軽くなった気がする。最初で最後だ。全部きみに押しつけさせてもらうよ」

スパークケースを覆い満たしていたものは今や空っぽなのだ。一度も摘出した事のなかった、正しくナマエが生を受けてからこれまで誰にも寄せられる事のなかった想いの全てであり、今後誰にも寄せる事のない感傷のあらわれ。トップスピンが笑うしかなかった程に重いそれを柩の傍らへ置くと、ナマエは背を向けて歩み出した。
気付けば視線で追っていた、ずっとみつめてしまっていたその理由が自分で分からずとも、ナマエにとってその想いは大切だったのだ。それも全てここへ置いていく。この先に、トップスピン以外へこんな想いをいだく事はないだろうと自分の事を理解していたナマエは、ただ戦場へと向かう。他者へ話した事はなかったが、ナマエにはレッカーズへ志願した確固たる理由があった。感情の起伏が薄く命令にただただ忠実なナマエは大戦前から上にとって都合の良い“オートボット”であり、それに疑問をいだいたとしてもそれはナマエにとってたいした問題ではなかった。
しかしそれでも塵のように少しずつ降り積もっていたものがあったのだろう。だからある時特殊部隊の噂を聞いて思ったのだ。そこへ所属するものはレッカーと呼ばれる。ならば自分もオートボット―――オートマン、機械人形ではなくなれるのではないかと。
その結果、多くのものを得たと思えた。志しもなくとも、らしくないと言われ続けようが。

「死ぬまで私はレッカーだ」

静かな呟きを遠く柩だけが聞いていた。
明くる日、追悼の地で何時もと異なる光景を前にロードバスターは驚き、呆れ、憐れんだが、しかして最後にはただ、まばゆいものを見る心地で静かに柩と瓶を眺めたのだった。

20231201

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