その後も研究は着々と進み、培養槽の中ではナマエよりも遥かに巨大な生命が未だ眠りについていた。

「起こして、あげない?」
「まだ不要だ」

ナマエはただ単純に研究成果が早く動いている姿を見たいのだろう、ショックウェーブへ向けられていた期待に満ちたオプティックはしかしあっさり切り捨てられ、しゅんとしていたが、直ぐに輝きを取り戻してガラスの内を見上げていた。
そこでふっとショックウェーブはその薄青い光が以前よりも僅か明度を落としているように思えたが、問う前に「じゃあ、わたし、もどる、ね」そうナマエが笑顔で立ち去った為どこか宙ぶらりんのまま後回しにされた。アンバランスな後ろ姿を見送って、同じように培養槽へ単眼を移す。望まれる役割がなんであれ、少なくともたったひとりは純粋にその生を祝福してくれる事は幸福であるのだろう。思ってからショックウェーブは作業へと戻った。
ナマエは変わらず言動に不自由であったし、変わらずよく転倒しよく機体をそこそこへぶつけていた。けれど、ある日盛大にすっ転んだナマエが「あいた、た……」情けない声をあげるのに嘆息し、重い足音を響かせながら近付いて起こしてやる。

「あ、ありがと、ショックウェーブ」

へにゃっとした情けない笑顔で礼を述べるナマエへ「構わん」短く落としたところで、気付いた。ぶつけた箇所だろう、装甲がへこんでいる。咄嗟に有り得ないとブレインが弾き出すが、事実として視覚センサーへ映るその軽微な損傷にぎゅるりと思考の回転が速まる。
幾ら戦闘用ではない薄っぺらな装甲だとしても、この程度でへこんだりする筈はない。出会った当初の事を思い出そうとしたが、ナマエの機体の様子に興味はなく、気にした事もなかったせいで比較になりそうな情報は存在しなかった。何時からだ、何故だ、思うままに原因を、答えを弾き出そうとした。
ない口を噤んだまま注視されてナマエは、不思議そうに小首を傾げてショックウェーブを見つめていたが、不意に視界の隅の機器へ反応があった事により「ショックウェーブ」名を呼んで促す。
中断された思考は、反応するセンサーから導き出されるものへ瞬時に切り替わる。スキャナーが探知したのは不明なエネルギー、それも急増する大規模なものだった。

「これ……」

ショックウェーブ同様センサーを見つめるナマエが呟く。恐らく考えている事は同じだろう。思ってショックウェーブは「確認へ向かう」現地へ赴かねば正確な解は出ないとラボの出入り口へ歩を進めたところで、振り返った。

「お前も来るか?」
「ん……ううん、待ってる、ね」
「そうか」

誘いにナマエはゆるくかぶりを振り、ひらひらと上げた手を揺らすだけだった。一瞬機体のへこみが視界へ入って、しかしあの程度であればナマエが自分でも修理できる範囲であり、疑問の回答もまた急ぐものではないと結論づけ、ラボを後にした。
サイバトロンタンクへ変形し、錆の海を走る。距離があった為、ショックウェーブが最大限の速度を維持したとしても時間はかかった。久方ぶりのビークルモードで道無き道をゆきながら、不意にショックウェーブはナマエのビークルモードを見た事がないと気付いた。あの機体に見合わない大きな翼で天を駆けるのだろう。それは自由な思考を持つあの風変わりな科学者に似つかわしい姿だとショックウェーブは思ってから、らしくない想像だとも思う。ナマエと共に在ってから、時折知らず浮かぶ自身のらしくない思考は、しかしそう悪い気分ではないのだ。無駄だと思えどデリートは出来ない、そうしてそれでいいと許容している事が一番らしくない。
化学反応とも言うべきか。普遍の論理に変化はないと思っていたが、絶対も存在しない。偶然の産物でありイレギュラー。ショックウェーブ自身が少なからず影響を受けた事を驚くべきか、それともナマエという存在が己に影響をもたらすに足る存在だった事を驚くべきか。だが、やはり、一言で表すのであれば「悪くない」スパークの内で呟かれた言葉は走行音に掻き消された。

そうして、辿り着いた先でショックウェーブはノックアウト率いる調査隊、メガトロンの部隊との再会をようやく果たしたのだった。
開かれたブリッジを通り抜け、足を踏み入れた戦艦ネメシス。その主はショックウェーブの生存を喜び、彼を放置したNo.2の弁明は納得のいくものであった。
メガトロン直々に科学参謀の任を与えられ、状況を把握したショックウェーブはナマエの事を伝えるよりも、ホイルジャックからオートボットの情報を入手する事を優先した。結果として脳内侵入プログラムでもってしても情報は得られず、スタースクリームによる処分から逃げ果せたホイルジャックはしかし発信機を仕込まれており。合流したタイミングで一網打尽にするという作戦もまた、発信機の存在に気付いていたホイルジャックによって失敗に終わった。
見つからないオートボットへ痺れを切らすメガトロンへ、ショックウェーブは完成済みの研究を進言した。
スペースブリッジを開けと命じる主へもうひとつ「メガトロン様、この研究において役立った者がおります。その者を今後も補佐として傍へ置いておきたいのですが、宜しいでしょうか?」恭しく告げる。ほう、とメガトロンは興味を惹かれたように赤いオプティックを喜悦で歪めた。

「面白い。お前がそこまで言う者であれば、我の前へ連れて来るが良い」

くつくつと笑うメガトロンに、スタースクリームは「メガトロン様!そんな正体も分からないヤツを、此処へ招くなどと!」反対だと言わんばかりに喚いていたが一喝され黙る事となった。
一礼し、開かれた緑の光の橋を通り抜ければ、光年をほんのナノクリックで移動し、見慣れた、滅んだ母星へと戻ってくる。真っ直ぐラボへ向かえば、黄色い光源の傍らにアンバランスなシルエットが腰掛けていた。

「あ、おかえ、り、ショックウェーブ」

足音に気付いて振り返ったナマエが、ふわりと微笑む。

「メガトロン様と合流した。コレを地球へ運ぶ」

挨拶もなしに作業へと取り掛かりながらの端的過ぎる物言いにはナマエも慣れたものなのか、僅かにオプティックを瞬かせたのちに「よかった、ね」培養槽から離れショックウェーブを手伝いはじめた。

「お前の事も進言済みだ」
「……ディセプティコンへ、おさそ、い?」
「そうだ」
「んー……んん、うー……ん、ん、わかった」

本当に理解しているのか苦しむ会話だったが、言葉足らずはお互い様であり、通じているだろうという信頼は既にあった。
やがてバチバチと電力の集中する音と共にガラスの内から黄色の液体は排出され、暗かった眼窩へより鮮やかなイエローが宿る。培養槽は取り払われ、生まれて初めての空気に晒された金属の表面が急激に乾いていくのを見ていれば、重く鋭い音を立てて鍵爪が床を踏み締めた。
ショックウェーブよりも巨大な古の獣はしかし、そのどこか凶々しい外見に反し静かに咽喉を鳴らすとふたりの前まで歩む。ショックウェーブはただ完成したその機体の動作を確認していたが、ふっと隣に居たナマエが進み出た。

「おはよう」

柔らかな声音は初めから変わらない慈しみで満ちている。それに獣は冷たさすら感じる黄色をしかし細めて、ゆるく頭部を下ろした。間近へ迫った鋭利な牙の並ぶ口元に恐れる事なくそっと伸ばされた手が、優しく触れる。ゆるやかに撫でる手を振り払いもせず感受している様をショックウェーブは観察も忘れ見ていた。

「あやまりたい、けど、だめだから……どうか、あなたがいつか、自由に、そらをかけられ、ますよう、に」

祈りのようだと思った。珍しい長文を言い終えて、手が離れる。下がったナマエに、獣はショックウェーブを見た。

メガトロンの元へ通じるスペースブリッジを通り抜けた先で驚嘆と共に迎えられたプレダコンは、ホイルジャックのエネルゴンを頼りに夜空へと力強く飛び去った。
それを薄青いオプティックで見送るナマエが何を思っているのかは、ショックウェーブの知るところではなかったが先刻の言葉が無意識にブレインで再生された。そうして、プレダコンへと向けられていた全員の視線が今までその影を薄くしていた部外者へと向けられる。

「ショックウェーブ、その者がそうか」
「はい」
「名を何という」
「はじ、めまして、閣下。ナマエ、と、もうします」

答えようとしたショックウェーブよりも先に、ナマエは自ら進み出た。礼節を知っていたのかという少々失礼な感想をいだいた。

「ナマエ、ショックウェーブが認めるその頭脳。我の為に使うが良い」

背筋のぞっとするような猫撫で声を、破壊大帝の圧のある眼差しを一身に受けてナマエは。

「もうしわけ、ありませ、ん。わたくし、では、おやくに、たて、ません」

深く一礼した。

「…………」
「っ、ハアァ?オイオイ、ショックウェーブ!傑作だな、とんだ役立たずを連れてきたワケか!」

思わず沈黙したショックウェーブに対し、スタースクリームが甲高い声で嘲笑する。メガトロンのまとう圧が増し、鋭利な指先が玉座の肘掛けを神経質そうに叩いたが「貴様は勘違いをしているようだ、役に立つかどうかは我の決める事」まだ様子見の姿勢は崩されなかった。

「いいえ、閣下。そう、ではない、の、です。わたくし、は、サイバークロシスに、罹患して、いるので、す」

僅かも臆す事なく、真っ直ぐに薄青いオプティックで、何よりも深く赤い色を見つめてそう言った。
一拍の間ののちに、メガトロンの鋭い視線で射抜かれてショックウェーブはしかし反応出来ずにいた。感情の分かりづらい忠臣の珍しい動揺に、彼も知らぬ情報だと察したのだろう、メガトロンは視線をナマエへ戻すと「ノックアウト、調べよ」軍医へと命令を下す。
突如名を呼ばれたノックアウトは、遅れてから「はっ。では、お嬢さん此方へ」ナマエを連れて去って行った。その後を、殆ど無意識にショックウェーブもまた追った。
通路を歩むノックアウトのスムーズな歩みとは異なる酷く不恰好なそれ。既に見慣れたものであり、ナマエが全く気にかけた様子がなかったのも伴い、そういうものだと判断してしまっていた動作も原因を知った今であれば、節々のジョイントが軋み硬直し上手く稼働していない事は明瞭で、そこでようやくショックウェーブは気付いた。よく転けていた理由を、ナマエが遠出に難色を示していた理由を、そのビークルモードを一度も見た事がない理由を。変形しないのではない―――出来ないのだ。
連れられた医務室で、面倒ですねとぼやきつつもメガトロン直々の命でありショックウェーブの存在もあるおかげで職務を忠実に細かく検査した結果。

「末期ですね。死に損ないもいいとこ、よくもまだこれだけ動けたものです」

呆れたように軍医は主へあっさりと報告した。

「……成程、言い分は分かった。であればナマエ、貴様に用は無い」
「閣下、おゆるし、いただけるの、であれ、ば。母星で、しずかに、このスパーク、終えたく、ぞんじ、ます」
「良かろう。ショックウェーブの研究へ貢献した功績をもって許す」

ありがたく、そう深く頭を下げたナマエにメガトロンは「スペースブリッジを開いてやれ」そう部下へ命じ、そこでナマエへの興味は失われたようだった。もう一度礼をして光の向こうへ覚束ない足取りで消え去ったのを見届けていれば「ショックウェーブ」名を呼ばれる。

「始末しておけ」
「それは、」
「我の役に立たぬのであれば価値は無く、死に損ないであれお前が認める頭脳だ、不確定要素は僅かな芽であろうが摘むに限る。そうであろう?」
「……分かりました、メガトロン様」

ショックウェーブもまた一礼すると、スペースブリッジへその重厚な歩を進めた。

物寂しい死に満ちた星は酷く静かだ。その静寂のなか、ナマエはまるでショックウェーブが戻ってくると分かっていたかのように光を抜けた先で待っていた。

「わたし、の、こと、殺す?」

理解していて待っていた。変わらないやわらかな笑みで紡がれた真逆の言葉にショックウェーブはただ「それが命令だ」短く返す。

「やっぱり。はじめて、会ったけ、ど、猜疑心、すごそうだったか、ら」
「理解していたのであれば何故逃げない」

言ってから愚問だと思った。既に稼働限界に近い機体、変形すら出来ない機体、逃げた所で追うのは酷く容易い。ナマエもそれを分かっているから無駄な抵抗もせず、ただショックウェーブと向き合っているのだろう。

「ふふ、ショックウェーブ、らしくない、ね。でも、まだ時間のあるう、ちに、いわなきゃ、だめなこ、と、あったか、ら」

むしろ最期にこうしてふたりきり、会話する機会を与えてくれた命令に感謝しているのだと、ナマエは微笑んだ。

「わたし、ね、ショックウェーブに、嘘、ついてたか、ら」
「…………」
「あなた、を、知ってた」

聞く姿勢をとったショックウェーブにナマエは、ぽつぽつと語りはじめた。

「大戦中、よくいわれ、た、の、ショックウェーブよ、り、勝る武器、を、開発しろ、って」
「……オートボットだったのか」
「ん、すぐ、やめちゃっ、た、けど、ね」

苦笑とも自嘲ともとれる表情は初めて見るものだった。

「ともだち、が、ね、いたの。大戦前に」
「戦争が、はじまって、いつ、のまにか、連絡がとれ、なくて」
「わたし、は、戦争、きょうみなかった、けど、オートボットに、科学者……武器開発とし、て、さそわれ、て」
「つくる、の、すき、だったか、ら、いいかな、って」

そうしてオートボットに属し、武器開発へ明け暮れる日々の中でナマエは言われたのだ「ショックウェーブより勝る武器を開発しろ」と。他者へあまり関心をいだく事はなかったが、どれだけ優秀なのだろうと興味を惹かれショックウェーブの情報を閲覧した。

「だから、ショックウェーブのこと、知って、た」

知っていて助けたのだった。音と振動に驚いて出て来たのは事実だったが、ナマエは倒れていたショックウェーブを見つけてより驚いた。優秀であり、そうであるが故に恐れられている科学者の姿に、ナマエは忘れかけていた興味をいだいてしまった。ショックウェーブがここでなんの研究を行っているのかを知りたいと思ってしまった。確認すれば生きている。どうするかは悩んだ。なんの研究であれ、母星を滅ぼしてなお終わりない戦争の為であり、ディセプティコンの勝利の為の開発だ。思って、けれど、修理してしまった。

「わたし、は、結局、じぶんの、欲求がいちばんな、んだって、おもいしらされ、た……もう二度と、科学者とし、て、生きない、って、きめて、た、のに」

弱ったスパークの輝きを映すオプティックがより曇る。

「オートボットで、武器であって、も、ね、つくる、の、楽しかった、の」

楽しいか楽しくないかの物差しはショックウェーブには存在しなかったが、その感覚は分からなくはないと思った。研究も開発も、その結果生み出されるものがなんであれ、関係がないのだ。それが例え戦争の道具であったとしてもだ。

「だけど、ね……ある時、知っちゃった、の。わたし、の、ともだちが、ディセプティコンになって、て、わたしの、つくった、武器で、殺され、て、たって」

そこから先は、懺悔をするような声だった。後悔に満ちた嘆きだった。
わたしの作った武器で殺された。わたしのせいで友達は死んだ。道具に罪はなくとも、使い手に、作り手には罪があるのだ。仕方のない事だと誰かが気遣ってくれた。戦争をしているのだからと誰かが言ってくれた。わたしは戦争というものを何も理解していなかった。いや、したくなかったから今まで理解を放棄していたのだ。そんな甘っちょろい、なんの覚悟も持っていなかったわたしの作った武器で、ちゃんと覚悟を持って自分の道を選んだだろう友達は死んだのだ。そう思った途端、全てが嫌になった。だからオートボットのインシグニアを剥がして、関わらずに何ももう作らずに地下の奥深くへ閉じこもっていた。全てのセンサーを切って、何もない暗闇の中で、そっと。緩慢な自殺だ。もう起動する事がなくてもいいと思った。

「だけど、ね」

だけど、再起動した。機体の経年劣化だけではない軋みに、蓄えた膨大な知識には医療関係のものも少なからず存在した為、恐らくサイバークロシスだろうと判断する。治療法の確立されていない難病。もう少しで死ぬ、その前に起きてしまったのか。それもいいかもしれない。最期くらい逃げずに向き合うべきなのだろう。そう思っていれば届いた振動と音に、どれだけ経ったか分からないけどまだ戦争をしているのかと嫌になった。なのにどうしてだか気になって上手く動かない身体で地上へ出てしまった。
そうして、ショックウェーブを見つけた。
ショックウェーブと出会って、同じ事をしていると理解していても、一緒に開発するのが楽しかった。どうしようもないと自嘲する。結局どうあがいても自分は科学者なのだと軽蔑した。
この星で生まれたからこの星で死のうと、そのためにずっとこの母星で深い眠りについていたというのに今更こんな、幸福を。罰にしては趣味が悪いと思った。
それでも、ショックウェーブと共に過ごす日々を手放せなかった。

「楽しかっ、た……ほんと、に、ね、楽しかった、の」

武器として、戦争の道具として蘇生させられたプレダコンがオートボットを殺すとしても。ディセプティコンが勝利したとしても。

「こ、の戦争が、終わるなら、もう、なんだって、いい、よ」

伏せられていた薄青いオプティックが、ショックウェーブの煌々と輝く赤い単眼を真っ直ぐに見上げる。

「わたし、は、ただ、ショックウェーブが生きて、くれたら、それ、で、いいよ」

見上げて、酷く辛そうに、それでも幸せそうに笑って、そう言った。

「…………」

ショックウェーブはサイバークロシスに現状治療法がない事を知っていた。ナマエの持ち得る善性と退廃を知っていた。けれど、ナマエの事を結局何も知らなかった。知ろうともしなかった。ナマエもそうであり、それで良いと思っていた。思っていたというのに、何故。何故、今、知ろうとしなかったのだと思っているのか。
メガトロンから命じられた際の僅かな逡巡が、確かなものとなって左腕を上げさせない。知っていた。このレーザーカノンの威力であれば、病でより劣化し脆くなった装甲など容易くスパークごと射抜けると。計算する必要もなく理解していた。
何を躊躇う事がある。ロジカルの前にエモーショナルは無意味である、そう、ずっと生きてきた筈だ。それは今までも、これからも変わらない不文律であり普遍だ。
らしくない。ナマエに指摘されたとおり全くらしくない。ナマエの方が余程ショックウェーブを理解している。それは少々、言うならば、ショック、だった。認めた途端、優れたブレインが熱を持つ程回転を速めていた事に、そこでようよう気付く。排気を促し、そうして、静かに左腕を上げた。
構えたショックウェーブに、それでもナマエは泣き笑う表情のままだ。

「サイバークロシス、死ぬちょくぜんが、とっても、くるし、い、らしいか、ら、よかった」

ショックウェーブの手に掛かる事にさえ、いだくかも分からない罪悪感を気にかける、その姿に思考は澱みなく定まる。

「お前の言葉はあまりに論理的ではない」
「そう、ね」
「俺の考えともあまりに異なる。故に、静かに眠れ」

それが、ナマエへかけた最後の言葉だった。




白い灯りに照らされた室内は様々な器具やパーツで乱雑にとっちらかっている。それを見てナマエは自分のラボだと思った。
一番長く過ごしたそこを訪れる度に友人は片付けをした方がいいと呆れていたが、ナマエ自身はどれだけ錯雑としていようが何処に何があるのかを全て把握していた為必要性を感じていなかった。楽しい思い出ばかりの場所が一転、物の少ない室内へと変化する。オートボットから与えられた研究室だった。
自分だけのラボのようには過ごせなかったが、研究が出来ればそれで良かったのでたいした問題はなかった。物はあれど散らかっていない広い空間にほんの僅か窮屈だと思っただけだ。
より強力な武器を。より精度の高い武器を。敵を一掃するような倫理の欠けた武器であっても構わなかった。戦前であれば叶わなかった追求もまた楽しかった。
その結果に興味はなかった。
それが罪で、あれが罰だったのだろうか。偶々みかけたデータ。新しく開発された武器が実戦に投入される度に取られていたデータにその名はあった。見間違えようのない友人の名前があった。
その瞬間の生々しさを覚えている。忘れられる訳がない。薄い膜を挟んだ他人事のような戦争が、不意に鋭い刃で切り裂かれた。
意識を取り戻した時、一瞬全てが理解出来なかった。しかし直ぐに現状を思い出し、酷い記録の再生だったとスラブへそのまま身を預けた。少しののちに起きあがろうとして、出来なかった。把握した経年による劣化にしてはおかしい。記録の中から資料を探し出している間にどうにか動ける程に回復し、病気だと判断も下せた。
母星は残っており、自分も死に損なって、病を発症して、それでも何も変わらなかったのだと納得出来た。最低限以外何もない狭く無機質なこの場所で、このまま朽ちるのを待てばいい。外がどうなっているのか、戦争がどうなったのかにも興味はなかった。なかったというのに、またスリープモードへ移行する前に遠く振動を検知してしまった。
地上から届いたそれは無視すればいいだけにも関わらず、不思議と気になってしまった。深く考える前に軋む機体を動かしていた。
あまりに長い歳月の経った母星は廃墟と化していた。暗い静寂に包まれた何処にも生の気配はない。滅んだ星にもあまり感慨はなく、戦争の末に自分達の星を荒廃させた愚かさを思った。
既にビークルモードへの変形は不可能であり緩慢な歩みで音と振動の発生源へと向かえば、そこはラボのようだった。見知らぬ機体が幾つも倒れている。同じ姿形に量産型だろうと見当を付け、見渡した先へ唯一見知った機体があった。
重厚な紫のサイバトロン人。科学者でありながらもその左腕のレーザーカノンは酷く物々しく、威力の高いものだと理解出来る。そうしてそれよりも特徴的な赤く大きな単眼。何か攻撃を受けたのだろう、修理が必要だと瞬時に判断する損傷。今は機能がシャットダウンして暗い色をしているが、赤々と輝くのを知っていた。機能停止している量産型とは異なり生きている。現状から判断すればまだ戦争は続いているのだろう。気の長い事だ。このディセプティコンの科学者は一体ここで何をしていたのか。破壊された室内を見渡して、残骸にあれはスペースブリッジだろうかと思う。思って、凄いという想いがスパークへ灯る。空虚なそこへ一条の燈として。瞬時に絶望して、それからナマエは笑った。
知りたいと思ってしまった。見たいと思ってしまった。どうしようもないと自嘲しながら、修理の為の道具を探した。

起動する。淀みなくスタンバイモードになり、オプティックへ光がともり視覚情報が入ってくる。見知らぬ天井だった。ぼんやりみつめているとそこに夕日が現れる。違う、とナマエは思った。

「……ショッ……ク、ウェーブ……?」

口腔のパーツひとつひとつが軋むような声になってしまった。まるで何百年も稼働していなかったような違和感だった。紫の機体はじっとその夕日によく似た、ナマエがキレイだと思う単眼で此方を見つめていたがややあって「身体は動くか?」その問いかけにナマエは同じように軋む上体をショックウェーブに支えられながらどうにか起こした。
手を握って、開いてみる。幾度か繰り返せば次第に関節部の軋みは薄れ、動作はスムーズになってきた。そこで、おかしいなと思う。わたしの手はもうこんな風に動かなかったのにとナマエは思った。
視線を上げれば、やはり物言わぬ単眼がナマエの挙動をつぶさに観察している。

「ショックウェーブが、治してくれた、の?」

それを見つめて真っ直ぐ問えば「そうだ」返答は簡潔だった。そこで機体の違和にも気付く。

「重い……?」
「以前の装甲の薄さは病による劣化だ。全てある程度の強度の物へ新調した」

以前よりも感じる重さに気を取られていたが、よく見なくともへこみひとつない真新しい綺麗な身になっていた。

「ぴかぴか、ね」
「外装だけだ。声帯モジュールや各種パーツへ後遺症は残っている」
「ん、でも、だいぶマシだよ?」
「完璧に治すつもりだった」

ナマエにとってはとても快調だというのに、ショックウェーブにとっては不満の残る出来らしい。低い声音は僅か不服げな色が混ざっており、確かに逆の立場であれば同じ事をいだいただろうとナマエは納得した。
そうして、普通に会話をしてしまってけれど、ナマエは薄々と嫌な予感を思っていた。見知らぬラボ、治したのかという問いを肯定したショックウェーブ、そうではない可能性を思ったが、恐らく低い。

「“此処”には、ショックウェーブ、ひとり?」
「そうだ」

ああ、とナマエは思った。やっぱりそうだ、と思った。その途端、喜びと憤りと悲しみでスパークがぐちゃぐちゃになるようだった。

「……どうして、どうして、そんな事したの」
「やはりお前はブレインの回転が速い。その問いへ答えるならば、お前が諦めていたからだ」
「わたし……?」
「お前は最初から自身の治療を、生を諦めていた。俺が認めた才を持つ者が放棄した不可能を可能にする事は、俺にとって意義があった」
「……わたしには、ショックウェーブの貴重な時間を奪う、理由には、思えない」

どれだけ。どれだけの時間が経ったのだろう。戦争でそういった研究もまた失われたとはいえ、ナマエの罹った病は大戦前から治療法がないものだったのだ。それを秀でているとはいえ医者ではなく科学者のショックウェーブがその方法を確立するまでには、決して短くない歳月がかかった筈だ。
共に研究した日々よりも遙かに長い、途方もない時間がかかった筈だ。

「…………」

嘆くナマエをショックウェーブは静かにその単眼へ映していたが、ややあってから沈黙を破った。

「俺には理由になった、それだけだ」

そうして抑揚のない低音が、しようのない患者へ説明をはじめた。
レーザーカノンの出力を最小限に抑え、ナマエをシャットダウンさせるに止めた事。培養槽を改良したステイシスポッドにナマエを入れ、地下の隠れ家で存在を秘匿した事。ディセプティコンとオートボットの争いは、最終的にメガトロンがディセプティコンの解散を宣言した事により終結した事。復興でそれどころではないオートボットの睛を盗み、ナマエの入った装置と共に復活した母星を離れ、この辺境の小さな惑星でずっと治療法を探していた事。明瞭に語られる事実だけの言葉を受けてしかしナマエは。

「どうして」

問うてしまった。何故ならショックウェーブのそれは酷く合理性に欠けている。先程の理由だけでは納得する事など出来なかった。あまりに、らしくない。ナマエの知るショックウェーブは論理だけを追求する科学者であり、死にかけのがらくたを修理する事がショックウェーブの物差しに沿っているとは到底思えない。

「お前は以前、楽しかったと言ったな」

ショックウェーブの言葉にナマエは自然メモリを検索する。連鎖するようにブレインにはサイバトロン星でたったふたり、研究をした日々がまざまざと描かれる。

「お前と研究する日々は、酷く合理的だった。……いや、あれは、俺も、楽しかったと言うべきなのだろうな」

ぽつぽつと紡ぐような言い方も、その言葉もあまりにらしくなく、ナマエのスパークを掻きむしる。

「サイバトロン星へ戻るといい。船は用意してある」
「……ショックウェーブは?」
「戦争がオートボットの勝利で終結した今、俺は母星では戦犯として処理されるだろう。それも構わないが、お前はまた戦前のように生きていける」
「それなら、わたしだって同罪だ。ショックウェーブが裁かれるな、ら、わたしもそうだよ」

元とはいえオートボットへ貢献した事のある科学者として戻るのであれば、ディセプティコンに組しオートボットを殺す兵器を生み出した裏切り者として処断された方がよほどマシだった。

「やだ……嫌だよ。わたしも、楽しかった。サイバトロン星に、二度と戻れなくても、わたしはショックウェーブと一緒がいい、よ」

手を伸ばして、ショックウェーブの明るい紫の紋様が光る手を、ぎゅっと握る。母星への郷愁は確かに淋しさを伴ってスパークを焦がしたが、それでも、それよりも、今のナマエには大切にしたいものがあった。暗い色の機体で輝く模様はうつくしく、自分の指先と異なり鋭利に尖ったそれはやはり凶々しい。論理的ではなくとも、正しくなくとも、その手をとれる事は、たったひとつ、唯一の幸福だった。

「……やはりお前は論理的ではない」
「ショックウェーブだって」
「ショックだ」
「しょっく、ね」

ふふ、と笑う。振り払われない手に、あまりに不器用だと思った。自分もこういった事は器用ではないが、ショックウェーブは、おかしく、愛おしい程に不器用で、それがナマエには切なくなるくらい嬉しかった。

「……ならば、共に見に行くか」
「え……?」
「鉱物の雨だ」

ショックウェーブの簡素な言葉にけれど、ナマエは花開くように微笑んで「うん、ショックウェーブと、見たい」頷いたのだった。メモリに残る画像を思い浮かべ、けれどそれがいつかきっと自分のオプティックで見た映像に差し代わるだろう事を。共に見る景色はとてもうつくしいのだろう事をナマエは思った。
それは、ひとりで見るよりも、きっと。

「でも、あの時殺さないって言ってくれた、ら、良かったのに」
「言っただろう。静かに眠れ、と」
「…………」

言葉が足りない。自分の事を棚に上げてナマエはそう思ったが、ふっと機体から力を抜くと。

「ショックウェーブ、わたしを、起こしてくれて、ありがとう」
「いや……ああ、おはよう、ナマエ」
「ん、おはよう、ショックウェーブ」

そうして、夜明けのようにまばゆい笑顔で言ったのだった。

20231031

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