※オメガバース設定なのでご注意ください

く燥いた道をガサガサとビニール袋の音をBGMに歩む。海の匂いの濃いこの地は基本的に晴れ渡った青天が広がっており、今日も例にもれずからりとした穏やかな時間が流れているようで、なんともなしに機嫌がよくなってしまうのは仕方ないというか当たり前の事なのだろう。とはいえ、このウラウラ島は海辺から離れもうちょっと奥まった10番道路へ向かうと途端に降水確率はぐっと上がり、しとしとと潮の匂いとは異なる水の香りがするのだけど、そちらの方にはあまり行く用事がないのでなじみが薄い。
つい思い浮かぶのはスカル団と我らがウラウラ島のしまキング、クチナシさんだがどちらも雨の印象とマッチしているように思うなか、ふと前方から歩んでくる人影に、この人もそちらの方が似合うだろうになと感想を抱く。
たぶん、きっと、わたしが気付くより先にこちらの存在をみとめていたのだろうその人は睛が合った途端薄く口を開く。

「危ないぜ、それ」

それ、がなにを指しているのか直ぐに思い当たったので「らいじょうぶれすよー」とやや不明瞭になってしまったのは、口に物を咥えているからだ。危ないと言われたそれ、原因のアイスの棒をぴこぴこ動かしていれば、やれやれと呆れられるものの、どこか柔らかさを含んでいるので反省ができない。

「あ、アローラ!ギーマさん。それにこれ、当たりなんですよ!」

お互い進行方向だったため直ぐに近くなった距離で、口から離し棒をよくみえるよう手にかかげれば余計その隈の酷い双眸に憐みの色が宿った気がした。うーん、今日も今日とて不健康そうだ。むしろ健康そうなところをみたことがないので、最近これがデフォルトで落ち着いてきたけど、ギーマさんはこんな真昼に出会うとちょっと心配になってしまう。陽射しの強さに掻き消えてしまいそうな雰囲気があるのは、わたしとは全然違う青白い肌の痩躯、氷の色をした瞳にその下を色濃く彩る隈のせいだろうし、ギーマさんの持つその独特の雰囲気のせいでもあるのだろう。クチナシさんやグズマさんに近しいのに、一番吹けば飛んでいきそうにも、ふらっと陽炎のように揺らぎ去りそうにも、夜の海に消えてしまいそうにも思える。一度みたら忘れられないアローラでは目立つ特徴的な着流し姿に、手持ちがあくタイプばかりだからか、灰汁の強さもある筈なのにどうしてもそれとは正反対の儚さも感じてしまうのだ。
ギーマさんは、気付けば日常にぽつんと染みのようにいたので、同様に気付けばいなくなっているのだろうと、そう思わせる人だった。

「しかし、大荷物だね。買い過ぎじゃないのか?」
「それが買い過ぎじゃあないんですよー!明日から従妹が泊まりにくるので、その準備なんです」

イッシュから遥々やってくるんですと付け加えても、ギーマさんの表情に変化はみられない。前に近所のおじさんがギーマさんはイッシュから来たらしいと言っていたのだが違っただろうか。まあいいや。わたし自身は、ギーマさんがどこから来たのだとか、そういうのはギーマさんが自分から語らない限り聞かない事にしている。たまに庭のきのみを食べにくる野生のポケモンに接するような距離感だ。いつ食べにこなくなっても、その事実だけをすとんと飲み込める距離。
顔を合わせれば挨拶に、二言三言とりとめもない会話をするくらいの仲で、わたしにとってギーマさんはそんな認識だった。




さてはて、この世界には男性と女性とは別に性の種類がある。アルファ、ベータ、オメガ。その3種のバース性の方が前者より重要な意味合いを持っている。ものの、わたしはベータだし、家族も全員そうだったので、バース性の重要さは薄かった。
そんな中、我が家に二週間滞在する事となった従姉妹のナツハちゃんはオメガだった。空港まで出迎えに行ったわたしを発見した瞬間ぶわっと涙を溢れさせたナツハちゃんは、話を聞くにどうにも長年交際していた幼馴染のアルファの恋人に運命の番が現れてしまい、その途端にいとも簡単にポイっとゴミ箱に要らないものを放るみたいに捨てられてしまったらしく、今回の急な来訪は傷心旅行だということだった。
大変だな〜と、ちょっと他人事みたいに思ってしまうのはしょうがない。ベータにとっては、オメガとアルファにまつわる諸々を本当の意味では決して理解できないのだから。
それでも仲良しの従姉妹なので、理解はできなくても傍にいて話を聞くくらいの事はできる。アローラの長閑さはバカンスには持ってこいだろうし、ナツハちゃんが滞在中少しでも気晴らしできるようにそっと心を添わせるくらいはできるのだ。
そんなナツハちゃんは情緒不安定のなかどうにも人恋しいらしく、寝る時に布団を並べて雑魚寝していたら度々朝起きた時にぎゅうっと抱き付かれていて、キテルグマに締め付けられたらこんな気分だろうかと思っていた。
でもそれも「ナマエちゃんがアルファであたしの番だったらよかったのに…ッ」と涙目でさめざめと言うくらいにはメンタルが不安定な状態の彼女をみれば、まあいっかと思うような事で。日々ナツハちゃんを連れて、海に花畑に天文台に街中の庭園にとウラウラ島だけでなく、他の島にも足を延ばしたりと満喫して過ごした。
そうして観光案内をしまくった二週間後、ナツハちゃんは多分まだ完全に吹っ切れた訳ではないんだろうけど、彼女本来の明るく溌剌とした気質を取り戻し「うじうじしたってしょうがないわ…!こうなったらあたしだって運命見つけてやる!絶対アイツより素敵でお金持ちでハイスペックなのがあたしの運命の番なんだからっ!」と逞しくアローラの青く美しい海に叫んで帰っていった。その様子に、見習わないといけないな〜と思いながら、そっと幸せを祈っておいた。


それから数日後。静けさと穏やかさを取り戻した、ちょっと寂しさも感じる日常で、ナツハちゃんと遊ぶのにお小遣いは貰ってたとはいえ散財してしまったから、ナマコブシなげのバイトをしに行っていたアーカラ島から戻ってきた帰り道。日の長いおかげで夕方に近づこうとしているのに、未だ天は真昼のような明るさを保っている。それでも斜に射す太陽光にはほのかな夕日の気配が混ざっている気がした。
軍手をしていたものの、ナマコブシのなんとも言えないもにょっとした感触がまだ手に残っているのを思いながら歩いていると、見知った着流しの後ろ姿を発見してしまったのでつい駆け寄る。

「ギーマさんアローラ〜!」
「やあ、きみか……っ、」

振り返った表情は何時もと同じように物憂い雰囲気の半眼だったのに、言葉の途中でそれが微かに見開かれる。
どうしたんだろう。珍しい様子に、わたしの姿どこか変なとこあったかな?そう思う。うっかりナマコブシ触った軍手外さないまま顔に触っちゃって、粘液がついたのもちゃんと洗った筈だけど。幾らナマコブシの身体を覆っている粘液に保湿効果があっても、スキンケアようのはそれ専用に加工されたものであって、直の粘液はちょっと生臭いというか潮臭いというか、そんななので。
とりとめもない思考がそれているなと自分で気付いた頃、ふっと、いい香りがした。それは今まで嗅いだ事のない芳香で、花のように甘ったるくもなく、何処か瑞々しくも暗くスパイシーな、不思議で、だけどとても魅力的な、ずっと嗅いでいたいと思うような匂いだった。
思わず、すんすんと香りを辿ってしまう。吸い込むそばから肺を満たし、幸福な気持ちになるようで。それってもしかして何かやばい香りなのかな、と思わなくもなかったけど。麻薬的な。でもその酷く甘美な香りの発生源が、睛の前の、ギーマさんだと察して余計不思議になる。
そこでやっとわたしはギーマさんが無言でわたしを見下ろしている事に気付いた。着流しでラインは分かりづらくてもスマートな肢体のギーマさんは、モデルさんみたいなので、必然身長差がある。スーツなんかきっちり着たらさぞ様になるんだろうなと、また思考が横道にそれたのを軌道修正しつつ。でも幾らちょっと人相が悪くても、ギーマさんが怪しい葉っぱに手を染めているとは思い難いから、香水だろうか?今までにギーマさんからこんな香りがする事はなかったので新しく買ったのかな?そう見当をつけ口を開く。

「ギーマさん、なんだかいい匂いしますけど香水とかつけてるんですか?」

わたしの言葉にギーマさんは何故か無言で眉根を微かに寄せる。そうして、ややあってから思案顔のまま。

「きみ……一度病院に行った方がいい」

紡がれたのは返答ではなく、全く身に覚えのない言葉だったのでぱちりと睛を瞬いてしまう。
え?病院?なんで?わたしの嗅覚に異常が発生してた?そんなクエスチョンマークがぽんぽん出てしまっていたのだろう、ギーマさんはふっとひとつ息を吐く。そこでようやくギーマさんが薄らとした緊張感を纏っていたのだと気付く。気付いたところで理由はやっぱり全然定かでないのだけれど。
そんなわたしにギーマさんは「置いていくよ」勝手に言って歩き出してしまう。その方向は確かに小さいけど病院があったなと思いながら、まるで当たり前みたいに歩む後ろ姿に、相変わらずクエスチョンマークを飛ばしながらもその背を追ってしまった。

「わたしの疑問の答えくださいよー…」

保険証はお財布の中に入っていた筈だと思いつつぼやいても、ギーマさんはチラリと横目で薄くみるだけで「今私がきみの疑問に答えるにはまだ不確定なうえに、言ったところできみが信じるとは思い難いからね、診察を受けてからさ」そう素っ気ない。意味が分からないけど、そんなギーマさんに連れられておとなしく病院に向かっている時点でわたしもちょっとあれなんだろう。
ギーマさんの事をよく知らないくせに、何故だかこの人には警戒心がいまいち働かないのは、こちらが何かしでかさない限り何もされないだろうという感じがあるのと、その水の膜を張った向こう側にいるみたいな存在感のせいだった。
ナツハちゃんと一緒の時にも一度顔を合わせたけど、ナツハちゃんはまだ情緒不安定な頃だったのでギーマさんに対しては警戒心がバリバリだったなと思い出しつつ。二人でてくてく歩む内に病院に着いてしまう。病院なんて何時以来だっけ、久しく風邪も引いてないしな〜。ごそごそ立ち止まって保険証を取り出しているとギーマさんはさっさと受付へ向かい何やら話をしているようで、追いついたわたしは自分が何の症状で来たのか分からないから、本日はどうされましたか?とか訊かれても答えられないと思い至って焦ったのに、受付のお姉さんはにこやかに保険証を受け取ると待合室でお待ち下さいとだけ言い受付が済んでしまった。あれ?ギーマさんが伝えてくれたのかな?よかったけど、相変わらず疑問は疑問のままだ。
その後あれやこれやと検査され、また待合室で待たされ、次に呼ばれた診察室。

「オメガですね」

そこで白衣を着たお医者さんの口からあっさり告げられた言葉に、一瞬理解が追いつかなかった。オメガですねって、オメガ?誰が?わたしが?アンサーに辿り着いても全然自分の事だと思えなくて。

「え…?えっと、わたし今年初めの健診の時はベータだったんですけど…」
「うん、そうですね。ベータだったけど、今はオメガになってますね」

えええええ。困惑するわたしを他所に、気さくな先生は偶にあるのだと言った。正しくは後天性オメガといい、わたしのような思春期の頃合いはまだバース性は不安定であり、変性する事があるのだと。そこまでで「後はアルファやオメガの影響を強く受けた場合もありますけど、身に覚え、あります?」と問われて。強い影響……とぼんやりする脳裏に、ナツハちゃんの姿が浮かぶ。

「……こないだまで、オメガの従姉妹が二週間程うちに滞在してて、一日中一緒に過ごしたり、同じ布団で寝たりしてたんですけどそれは…」

恐る恐る言えば「その可能性はありますね」そうさくっと肯定され撃沈する気分だった。
その間にもオメガとしての性質や注意事項等の説明を受け、最後に抑制剤の処方箋出しておきますからと告げられ後にした診察室。お会計のために待合室に向かえば、ギーマさんが椅子に座って雑誌を読んでいたけどこちらに気付いて顔を上げる。

「医師に診断されてもその顔では、私が言っても信じていなかっただろう?」

どんな表情をしているのかは自分で定かでなかったけど、言葉通りだったのでぐうの音も出ない。

「否定できないです…」

ぼやきながら隣に腰掛ければ、フッと笑う気配があって余計口がもにょもにょする。

「でも、ありがとうございました。わたし自分の事なのに全然気付いてなかったから」

お医者さん曰く、まだオメガに変性して日が浅いせいでオメガとしての性質が薄いのだろうという事で、当人であるわたしはおろか家族も、今日のバイト先でだってそれを指摘する人は誰もいなかった。そこまででふと思う。

「あれ?そういえば、ギーマさんなんで分かったんですか?」

思ったまま考えなしに問いかけていた。横を向いて見上げた先でギーマさんの薄碧い、よく晴れた雲ひとつない朝の天にも似た瞳と真っ直ぐ交差する。

「なるほど、まだ察知能力も低いのか……簡単な事だ、私がアルファだからさ」
「え」

え。これまたあっさり告げられて固まる。特に気にした事なかったから知らなかった。でも、よく考えればギーマさんはベータっぽくないし、オメガかアルファかと問われるとアルファなのでは?という感じだったから、当然の事なのかもしれない。

「きみは警戒心が足りないからな、ベータであれば問題なかったが、オメガと化した今はもう少し持った方がいい」

静かに言われて、どう返答するか悩んでいる間に名前を呼ばれたため、ギーマさんに断って受付に向かう。お会計と一緒に渡されたオメガ性の事が書かれてある薄い冊子と抑制剤を手にしても、どうにもまだ実感がわかない。
わかなかったけど、それらは持っている以上に重いような気はした。


ギーマさんに再三お礼を言って別れて、帰路を歩む頃には遠くみえる水平線を朱に染めながら、大きく丸い陽が沈もうとしていた。
美しい夕焼けを背に帰宅した先で家族に伝えても、え?オメガ?ナマエが?という反応だったので、アローラらしいおおらかな気質を再認識するだけで終わった。
正直わたしもまだそんな気分だったけど、でもわたしは自分の事なので何時迄もそんなのじゃ駄目なんだろうなと思うなか。でも日常は相変わらず長閑で穏やかで、特にベータの頃と変わらない気がした。発情期がまだ来ていないからだろうか。ヒートと呼ばれるオメガの発情期は大体三ヶ月に一度らしいものの、今回が初めてのわたしの場合どのくらいのタイミングで来るのかは定かでないらしい。抑制剤も処方されているとはいえ、その効き目にも個人差は存在するので実際そうなった時に抑制剤がどの程度効果を発揮するのかも分からないそうで、分からない事だらけだった。
ナツハちゃんには暫く黙っている事にした。わたしは気にしてなくとも、彼女は自分のせいなのではと気にするだろうから。実際明確な原因がなんなのかは分からないのだし、折角前向きになったところに水を差すのもナンセンスだ。
カラカラと抑制剤の入ったケースを振りながら、とはいえ思い悩み過ぎるのも疲れるし、発情期が来てからじゃないと分からないしと、家族と同じく生来能天気な気質のわたしはまあいっかと、なるようになるに任せる事にして、何時も持ち歩く鞄にケースを入れたまま変わらない日常を過ごしていた。




その日はバイトも早く終わったため、久しぶりに海辺でまったりしようかなとマラサダと飲み物を買ってやってきた白い砂浜で、ちょうどいい木陰に平べったい岩をみつけると鞄を横に置いて座り込む。
寄せては引く波はキラキラと水面に陽射しが反射していて、ここからみても目映い程で、時折みずタイプのポケモンの影が泳いでいる。つい平和だな〜ともさもさマラサダを食べていたら、視界の隅に動くものがあって、視線を向けたらコソクムシがいたけど睛が合った途端にササっとちょっと離れた岩陰に隠れてしまう。
飲み物で流し込んでいたら、そ…っという感じで顔を覗かせたコソクムシは、でも睛が合うとまた隠れてしまい。そんな事を二度程繰り返したところで、流石のわたしも察した。マラサダを千切ると立ち上がって、なるべく音を立てないように静かに歩んでちょうど中間地点の部分の小さな岩の上にそれを置く。
そうして同じように元いた場所に戻ると「美味しいよ。よかったらお裾分け貰ってくれる?」あんまり大きな声になり過ぎないよう声をかけて、後はさっきと違いそちらに背を向けて座るとまた自分の食事を再開する。
食べ終わった頃に振り返ってみたら、マラサダもコソクムシの姿もなくてつい口元が緩む。このくらいの距離感が好きだったし、コソクムシは酷く臆病で腐ったものでも喜んで食べるとはいえ、美味しそうなものは美味しそうに映ったんだろうなと思うと嬉しかった。ひとりでくすくす笑って、もう何処かへ行ってしまっただろうかと覗き込むように前のめりになっていると不意に「楽しそうだね」声が降ってきたのでびっくりして顔を真逆に向けたら思ったより近い距離にその白い肌のおもてがあってより驚く。

「ギーマさん!びっくりした…!あ、アローラ〜」

何時の間に隣に座っていたのか、全然音も気配もしなかったのに。顔馴染みの姿にへらっと笑って挨拶をすれば、溜息がひとつ落とされた。げせぬ。

「こんな人気のない所にいるものじゃない。危機感も足りないな、きみは本当に」

哀れむような視線で言って、ギーマさんは組んでいた腕を解く。それにしても間に鞄があるとはいえ近い距離だ。勝手にパーソナルスペースが広いタイプだと判断していたのでちょっと意外だなと思いながらも、そう言われてもという感じだ。

「でもこの辺りって観光客もあんまり来ませんし、地元の人なんてみんな知ってる人ばかりですし」
「何かあってからでは遅いという話をしているんだが……そうだな、その能天気さはきみの長所とはいえ、コインの裏表のように短所にもすり替わる事を忘れるべきではない」
「うう……正論だー…。あとギーマさんそれ褒めてます?」

長所の使い方あってます?訊いてもギーマさんは、あっているさと、つい一瞬前まではその手になかったコインを、長い指の間でくるくる移動させ弄びながら薄っすら笑うだけだった。うーん、手玉にとられている。
ギーマさんがアルファだと知っても、オメガの自覚が薄いわたしにはいまいちこれも実感がなくて、つい普通に喋れてしまう。いい事だけど。そういえばナツハちゃんがギーマさんに会った時に警戒心高めだったのは、アルファだと分かっていたからなんだろうなと今になって思い至った。あの頃のナツハちゃんは正直元カレ以外でもアルファ全てが憎し、みたいな雰囲気だったから…。ギーマさんは何も気にしていない風だったけど、とんだとばっちりだったんだなとしみじみしていると、ふと浮かぶ疑問があった。

「ギーマさんって、運命の番っているんですか?」

そのまま口に出したわたしに、ギーマさんは切れ長の三白眼の中、瞳だけでちろりと見下ろしてきて。

「運命の番か……そうだね、私もアローラに来る前は色々あったが、結局運命とやらには出会わずじまいだったな」

退屈そうに吐き出された言葉に、やっぱり出会う確率は低いのかと思っていると「きみは」ギーマさんが言葉を続ける。

「きみは、運命に出会いたいと思うか?」
「うー……ん、それは微妙なとこですねー…。こないだ来てたわたしの従姉妹のナツハちゃん、あのこアルファの恋人に運命の番が現れてフラれちゃって、それで傷心旅行だったんで…なんていうか、こう、印象がいまいちで…」
「ああ、バカンスにしては時期を外していると思っていたが、成る程」
「それにまだオメガだっていうのも実感がないのに、運命の番って言われてもなんかファンタジーというか現実味がなくてですね…」

話していると、また視界の隅に動くものがあったので、ついそちらをみてしまう。さっきの岩陰からチラチラ、今度は睛が合っても隠れないで小さく鳴いているコソクムシの姿に、お礼でも言ってくれているんだろうかと微笑ましい気持ちになっていたおかげで、ギーマさんに背中を向けていた事に気付かなかった。

「実感は、もう少し持っていた方がいい」

アローラの気候に似つかわしくない、まるでラナキラマウンテンから吹く風みたいにひやりとした声が背筋を撫でる。思わず凍っていると、次いでうなじをするっと撫でられ「ひうっ」情けない声が漏れる。そこで勢いよく振り返ったら、右手が組んだ腕の裾の中に戻っていくところで、その青白い指先が触れたのだと思って、未だ肌に残る低い体温を思った。

「ぎ、ギーマさん…?!」

抗議の声を上げても、ギーマさんの薄く笑みの貼り付けられた表情はどこ吹く風。むしろその口角をより吊り上げて。

「今のきみは曲がりなりにもオメガだからね、その無防備な背をアルファに向けるのはよした方がいい」

クツリと笑うと立ち上がり、そのまま去って行ってしまったので、わたしはただその背を見送るだけだった。コソクムシはわたしの大声にびっくりしたのか今度こそ何処かへ行ってしまったようだった。




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