を頂きたいのです。氷のように冷たく肌を切り裂く風がびゅうびゅうと、戸の外から迫ってくる雪の夜でした。わたくしの指先や、頬、耳殻もこゝに来るまでの間に、かたく感覚をなくしてしまいました。茶を淹れて頂いた陶器はまるで溶けた鉄の塊のように熱く、じわりと指先をあたゝめてゆきます。

女官長さまは、わたくしが幾度も幾重にも繰り返し思い浮かべたとおりに、何故と疑問を口にされました。それにわたくしはおなじように、何度も繰り返した残像をなぞるように、故郷の母も高齢なので親元で孝行したいのですと、すらすらと吐き出された言葉にはなにもありませんでした。虚言だからです。けれど、まるきりの嘘というわけでもなかったのでそこには親を想う子の気持ちが少しはこもっていたのでしょう。わたくしとは異なり、人の親でもある女官長さまは難しいお顔をして、そう、と零しました。その哀愁の漂う彼女の深い声音に、わたくしは猫の爪が引っかく拙さで真実を申し上げたい気持ちに駆られます。おそろしいことです。わたくしの意志があまりにも脆弱だということが証明されてしまったからです。けれど、その衝動を腹を裂いて取り出したばかりの血塗れた生温い臓器を飲み込む速度で、ゆっくりと暗々とした臓腑の奥へ滑り込ませます。あなたの居場所はそこなのですと、じめじめと光の射さない赤黒いそこを思います。そうすると同時に、あのうつくしい星色の瞳がよみがえって、ひっと悲鳴をあげそうになりました。あゝ、わたくしはいつからこんなにも弱くなってしまったのでしょう。強く在ったつもりは毛頭ありませんでしたが、こんなにも、こんなにも、まるで夜の闇を怯えるこどものようではなかったと、古い記憶に縋ろうとしました。けれど、それさえどうで在ったかをわたくしは思い出すことができませんでした。すべては暗々と塗り潰されてゆきます。夜の闇は決して怖いものではないのです。月や星をより輝かせ、静かに包み込んでくれるものだと理解っているのです。恐怖心は人の身から蛆虫の如くあふれ出るものなのです。そうして、それとおなじようにあの御方が決しておそろしいものではないことも、頭では理解しているつもりなのです。だって、そうでしょう。あの御方は身分の高低関係なく、誰とでも明るく気さくに接せられます。それはわたくしたちのような女官に対しても分け隔てなく、決して偉ぶることもないのです。将軍という位を冠する御方のなかではとても珍しく、そのおかげで誰の目から見ても色んな人々から慕われている御方でした。わたくしも幾度か言葉を交わしたことがありますが、いつだってこちらを気遣うやさしい御方でした。だというのに、わたくしはそれがおそろしくて仕方がないのです。

はじめは、遠目にあの御方が誰かと接せられているのを見ている時は、違いました。わたくしは、あゝ、なんてすばらしい御方なのでしょうと、明暗様々なことの潜むこの城のなかで、春の日差しのあたゝかな気持ちになれたものでした。わたくしはあの御方に憧憬にも似た好意の印象を抱いていました。それは、庭に咲くうつくしい花を遠目から眺める気持ちでした。だというのに、どうしたことでしょう。わたくしの抱いていたそれは今でも変わりません。確かにそこに在るのです。けれど今のそこには同様に、赤黒く血腥いものばかりがどろりどろりと内側から腐ってゆくようなのです。まるで相反するものがわたくしの身の内に巣食い犯しているのです。わたくしはこゝでいつも思います。眺めているだけならば、良かったのだと。わたくしはあの距離を保つべきだったのです。けれど、そんなことをあの時のわたくしは知る由もありませんでしたし、この城内に居る限り不可抗力なことだったのです。はじめてあの御方と言葉を交わした時でさえ、あれは避けようのないことでした。
ある休みの日に街へ出掛けたわたくしは親しい女官の方たちから様々な使いを頼まれ、城に戻ったあとは各々のもとへ品物を届けに忙しなく歩んでいました。「ねえ、」そううしろから声がした時、最初わたくしは自分へのものだとは思いませんでした。「ねえ、きみってば」再びの声とともに、肩に触れた感触によって、ようやくわたくしは呼び止められていたのが自分だと気付き歩みを止め振り返りました。そうして、驚きに目を見開きました。そこにいらっしゃったのは、いつも遠目にしか見ることのなかった御方だったからです。わたくしは直ぐに頭を下げ非礼をお詫びしました。将軍さまを無視してしまったのです。人によってはお叱りを受けることです。ですが、あの御方は「ちょっと、頭を上げてよ。気付かなかっただけなんでしょ?」そう仰ってくださり、わたくしは安堵と喜びとともに顔を上げました。そうして、心臓が止まりました。間近で見るあの御方は、癖のある枯茶の髪が彫りの深い輪郭を彩り、くちびるは無邪気なこどものような弧を描き、色素の薄い瞳は星の色がきらきらとうつくしいものでした。こんなにも整ったお顔立ちをしていらっしゃることは、遠目からでは知りえないことでした。けれど、わたくしが墓石のようにかたまってしまったのは見惚れたからではありませんでした。ぞっとしたからです。なにゝ、そうなってしまったのか、わたくしは自分のことだというのに、その時はなにも分かりませんでした。分からないまゝであれば、もう少ししあわせだったのかもしれません。今となって例えるならば、あれはきっと蛇に睨まれた蛙の例えが合うものだったのでしょう。「はい、これ。落としたよ」そんなわたくしの心情とは別に、世界は静止したりしません。あの御方が笑顔で差し出したのは見覚えのある絹紐でした。頼まれもののひとつであり、他のものと一緒に腕のなかに抱えていたはずのそれがないことに気付いたわたくしは、ようやくその言葉と同時に落としていたのだと合点がいって、慌てゝまた非礼とそして謝礼を申し上げました。たゞの身に染み付いた腰の低さとはいえ、咄嗟に出たことを褒めてあげたくなりました。だって、あの御方の笑顔にわたくしの咽喉からは、なぜだか悲鳴があふれそうになっていたからです。絹紐を受け取りもう一度お礼を申し上げる間も、ぞわりぞわりと、なにかおぞましいものが背筋を這う感覚にわたくしはたゞ、今直ぐこゝから逃げ出さなければいけないという強迫観念じみたものに駆られていました。踵を返そうとしたわたくしに「もう、落とさないようにね」気遣いの言葉がかけられましたが、もうお顔を見ることはできませんでした。失礼のないように平静を装って、わたくしはたゞ歩みました。なにも、わたくしのこのおぞましいものを決して悟られてはいけないと思ったからです。奇しくも、直ぐに出会ったのは絹紐を頼んだ女官でした。彼女に話しかけるわたくしは自然と笑みを浮かべていました。そうして、ようやく気付いたのです。わたくしはあの御方の前で笑えていたのかどうか以前に、どんな顔をしていたのかすら分からないことに。それはおそろしいことでした。わたくしは物心ついた時から人との対話に笑顔を絶やすことはなかったからです。誰を傷つけることも誰と心を通わせることもなく、自分を哀れむ人間を憐れみ、微笑みとともに望むことを叶えてあげればよかったのです。薄っぺらく浅い人間関係ほど気楽なものはないからです。わたくしはとうの昔に誰かに理解されることも理解することも放棄してきたからです。浅ましいほどの幸福に心躍ることも、嘔吐するように咽び泣き傷つくこともわたくしにはありませんでした。その隣で他人の幸福をひそやかに彩り、誰よりも自分が一番不幸なのだと嘆く背を慈しみで見守るのです。わたくしという人間はとてもこころの冷たい、残酷で自分だけを愛するいきものだったのです。たゞ、わたくしは誰に対してもにこにことしていれば良かったのです。それだけでこの世界はなにもなく平穏さを保てるのです。他人が知れば上辺だけの仮面のような笑顔だと罵ることでしょう。ですが、わたくしはそんなものをつけている気は毛頭ないのです。そこにあるのが喜びでも悲しみでも怒りでもなにであっても、わたくしは自然と笑みを浮かべることができたからです。理由などどうでもよいことだったのです。
ですが、あの御方の前でだけは異なりました。あれから度々間近で言葉を交わす機会はありましたが、その度にわたくしは自分が今どんな表情をしているのかゞ分からなくなりました。鏡や水面で確認することもできないので、わたくしはあの御方を前にするといつもおそろしくてたまりませんでした。あの星色の睛に、わたくしがどううつっているのか分からなくて吐き気が込み上げてくるようでした。いつも身体は強張り、ぞわりぞわりと蟲の這う厭わしさにその双眸から隠れたくなりました。笑みをかたどった口唇から吐き出される言葉はどこまでも気さくで快活なものでしたが、わたくしは身を切り刻まれるような酷い眩暈にいつも襲われました。わたくしは、あの御方がおそろしくて仕方がなかったのです。まるで、おぞましいいきものと相対しているようでした。これだけでも耐え難いことでしたがしかし、わたくしの恐怖にはまだ先があったのです。

ある時わたくしは親しい女官とふたりで雑事をこなしていました。そんなわたくしたちを呼び止めた声に、一瞬でサアっと血の気が引くのが分かりました。わたくしはもう声だけで分かるようになってしまっていたのです。あの御方はいつものように明るい声音で「いつもお疲れ様。はい、これお裾分け。きみたちで食べてよ」饅頭の入った包みを彼女に渡しました。わたくしはほっと安堵していました。他に人間がいれば、わたくしはまだ平静を保てるからです。喜び礼の言葉を述べる彼女と一緒に、にこにこと笑みを浮かべて受け取れば良かったからです。ですが、わたくしの愚かで淡いそれはいとも容易く無残にも打ち砕かれました。「はい、名前のぶん」あの御方は包みを差し出しながらそう言ったのです。身の毛がよだつ気分でした。たゞの数多いる一介の女官のひとりでしかないわたくしの名を、あの御方は呼んだのです。それはあの御方の睛が声が笑みが意識が、わたくしという個に向けられているのだという事実を物語っていました。まるで逃げ道を断たれた足元ががらがらと音を立て崩れ、血腥い真っ暗闇へと堕ちてゆくようでした。わたくしは空おそろしくて仕方がありませんでした。近付きたくなくても明確な逃げ道を確保できないわたくしを嘲笑うかのように、じわりじわりとわたくしとあの御方の間にあったものが確かに狭まっているのを感じたからです。わたくしは臆病者です。けれど、わたくしも考えることにしました。何故、あんなにもわたくしはあの御方がおそろしくてたまらないのかと。その忌むべき起因を、わたくしは自分のことであるというのに知らなかったからです。知らないからこそ余計に恐怖心が増長されているのだと、そう思い込もうとしていたのです。
わたくしはあの御方に対して、特別ななにかを抱いていることを再認識しようとしました。それは恐怖であり嫌悪であり畏怖であり、得体の知れない憂惧でした。一抹の可能性として、今まで抱いたことのなかった好意の裏返しじみたものなのでは、とも思いましたが好悪で考えるのならばわたくしは魏延さまに対しての方が余程好印象を抱いていました。魏延さまは厭われることが多く、女官たちはことさらに顕著でしたからまずその風貌だけで魏延さまを敬遠していました。悲しいことです。わたくしはその度に、謂れのない理由に物憂い気分になったものです。魏延さまは不器用で心根の優しい御仁だと、わたくしは知っていたからです。わたくしがまだ城中に不慣れだった頃、あの日は春の風がひときわ強く干していた洗濯物も幾つか飛ばされてしまったため探し回っていました。その内のひとつが木の枝に引っかゝっていましたが、それはわたくしでは幾ら手を伸ばしても届かない位置にありました。これは、あとは恥を捨てゝ木に登るしかないと決意した頃、通りがゝった魏延さまが布を取ってくださったのです。わたくしは魏延さまのよくない噂ばかりを耳にしていて、御本人と直に接するのははじめてでしたので、身構えてしまいました。けれど、魏延さまは気を害するわけでもなく、たゞ無言で布を差し出すのです。押し付ける程の強さだったので反射で受け取って、それからわたくしは馬鹿なことをしたと思いました。どんな噂であろうと、自分の睛で見たものを信じることが大切なのだということを忘れてしまっていたのです。愚かしいことです。魏延さまは困っている人間をほおっておけないような御仁だったのです。そして気付きました。気を害することすらないほど、魏延さまにとってわたくしの反応は当然のものだったのかもしれないことに。それはなんと悲しいことでしょう。ですからわたくしは踵を返そうとする魏延さまを引き止めて、心から御礼を申し上げました。不誠実なわたくしでも、本当に誰かになにかを伝えたい時があるのです。魏延さまはやはり無言でしたが、唸るように頷いたあと去っていかれました。わたくしには魏延さまが驚き、戸惑われたように思えました。勿論、仮面のしたのお顔を想像することなどできませんが、それは不快なものではなかったように感じられました。たゞ、慣れていないだけのように、わたくしにはうつったからです。それ以降わたくしは魏延さまとおはなしをする機会はありませんでしたが、ごく稀に擦れ違い挨拶する時は偽りなく心から笑顔で挨拶することができました。それはとてもさゝやかなことでしたが、わたくしにとっては大きなことでした。きっと魏延さまはわたくしのような人間が一番苦手なのだろうと思っていたからです。野性味の溢れる風貌の通りに魏延さまは酷く鋭い御仁でしたので、上辺だけの愛想笑いをなによりも嫌っている、というよりは不可解に思っている様子でした。魏延さまの仮面のしたに隠されているものは、わたくしなどよりもずっとうつくしく、とても素直で雄弁なのではないかとわたくしは思っていました。まるでおなじで、逆だと思っていました。内に在るものを隠す仮面はおなじでも、そこに秘められたものはまるきり逆だったからです。なんておかしなことでしょう。遠目に魏延さまを見かけた時そんな考えについ、ふふっとひとり笑ってしまいました。ですがそれは一瞬で凍りつきました。「楽しそうだね」直ぐうしろから聞こえた声は、ゆっくりとわたくしの隣に並びました。わたくしはその間、針の筵に座る心地で息を詰めていました。わたくしはできるだけ顔を見ないように、短く応えて立ち去ろうとしましたが「きみはさあ、」その言葉に逃亡は許されませんでした。「魏延殿にだけは、ちゃんと笑うんだね」なにを言われるのでしょうと身構える暇もなく笑みをふんだんに孕んだ声音で紡がれたせいで、わたくしの脳は簡単に停止し役立たずへと成り下がりました。見透かしたそれに、わたくしはなにも返すことができませんでした。肌寒い季節とは異なる理由の薄ら寒いものが、背筋を撫でるようでした。なにを紡ごうと考える以前に口唇が動こうとすると「駄目だよ、名前」あの御方が遮りました。見たくないという意思の通りにわたくしの視界はぼやけ、焦点の定まらないものと化していましたが、そっと肩に触れた手によって急激に鮮明さを取り戻しました。「ちゃんと俺の睛を見て話さなくちゃ」まるでなにか妖術の類のようでした。嫌だと悲鳴をあげるわたくしのこころを裏切って、軋んだ音を立てゝ動く首を今直ぐ切り落としてしまいたい衝動に駆られました。見上げた先で、あの御方は笑っていました。そうして、睛を見て、ようやくわたくしは気付いたのでした。

あゝ、わたくしはこの御方の睛の声の笑みの意識の届かないところまでなりふり構わず逃げなければいけないと。そうしなければ、わたくしというものが、

あゝ、いけません。もうよいのです。もう終わったのです。女官長さまはわたくしの言葉を聞き入れてくださいました。荷物は最初からまとめてありました。明日の朝一番に親しい女官にだけ挨拶をしてから発てばよいのです。それでわたくしは故郷に帰り親孝行をしながら平穏に暮らすのです。あまり自分のために使うこともなく金銭は貯めておいたので、道中になにか土産を買って帰りましょう。女官長さまの部屋を訪れた時はびゅうびゅうと化物の鳴き声のように吹雪いていた外も、いつの間にか降り積もった白銀の雪が宵闇の音を吸いしんとした静けさを湛えていました。厚い雲の去った墨を流したような夜天には、透徹った蒼白い月がうつくしく輝いています。それを見上げながらひとり、ほうっと息をつけば暗闇に淡い白が色づきます。凍える前にはやく自室に戻らなくてはと、歩みを再開させようとして、できませんでした。道の先に、人影をみとめたからです。こんな夜分に衛兵の方でしょうかと、浮かれていたわたくしはまだ夜目に慣れていなかったせいで無防備に近付いてゆきました。月影があらわになって、わたくしは一転絶望の淵にまで叩き落されました。あの御方だったからです。咄嗟のことで真正面から見てしまったあの御方は笑っていました。わたくしを見て、笑っていました。ぞっとしました。亡霊でも見た気分でした。いゝえ、そんなものよりももっと性質の悪いものです。あゝ、なんということでしょう。嫌で嫌でたまりません。おそろしくて、おぞましくて仕方がありません。けれど、こゝは自室までの一本道で他に逃げ場はどこにもありませんでした。大丈夫です。わたくしは自分に言い聞かせます。なにを言われても構わず立ち去ればよいのです。わたくしにはもうこの城内で失うものはなにもありません。わたくしが一歩一歩茨の上を歩む心持ちで進む度に、どんどん距離は狭まりました。幸いにも道幅が広いおかげで擦れ違うぶんにはなにも支障はありません。あの御方はなにも仰いませんでした。ですが緊張は解けません。

「こんばんは、どうされたのですかこんなところで」
「うん、厠に起きたら月に照らされた雪があんまり綺麗だったから。きみこそ、どうしたの?」
「いえ、わたくしもおなじです」

笑みを深めて空々しいことを仰るので、わたくしもおなじように返しましたがやはり自分がどんな顔をしているのかは分かりませんでした。ですが、それも、もうどうでもよいことなのです。では、失礼しますと隣を抜けようとしたわたくしに、

「逃げちゃうの?」

そう声がかけられ、身構えていたというのにぴたりと足は地にはりつきました。どうしてこんなにもわたくしを凍てつかせるのがお上手なのでしょう。軽い現実逃避すら許されません。

「駄目だよ、名前。駄目だって、前にも言ったのにきみってば酷いよね」

明るい声音はどこまでも血腥いにおいをさせ、ぞわりぞわりと地獄の底を這うおぞましさでわたくしの身に絡みつきます。臓腑にまで染み渡るようなそれに吐き気がしました。たゞ身体の横に垂れ下がっていた手を、音もなくすくいとられます。やんわりと繋がれたてのひらは、まるでやさしくあたゝかいものでしたがわたくしはそこから腐っていくのを感じました。

「大丈夫、大切にするよ。大事に大事にしてあげる。やっと見つけたはらからなんだから」

その手を引かれ、身を屈め狭まった距離の先で、視線が絡めとられます。宵闇でいっそう輝きを増した星色は笑っていません。いびつに細められたそこにはたゞ、わたくしがうつっていました。いゝえ、違いました。笑っていたのです。わたくしが今まで見たことのない笑顔で、貼り付けた仮面ではない笑顔で。片方の手が頬を撫でます。ひゅっ、と悲鳴のかわりに寒々しく掠れた息が零れました。

「馬岱、さま、」
「俺のことをそんな睛で見てくれるのはきみだけなんだ、だから」

逃がしてなんかあげないよ。頬に触れていたはずの指先がするりと首にまわっていたことに、わたくしは気付きませんでした。

20130124

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