あとがき

ほんとはもっと主人公と尾崎先生だけの閉じたおはなしだったはずなのに……どうしてこうなった(デジャヴー)。
今回は、はじめに浮かんだのが屍鬼と化した主人公が尾崎先生に殺してくださいって言うシーンだったので、漫画片手にその日がいつで、そこから主人公がいつ屍鬼になっていつ死んでいつ先生のことを好きになって……というのを遡っていったら、いつの間にか原作沿いの長編みたいになっていました。おかしいなあ!
何月何日にどういう出来事があったのかを、つい紙に書き出して表をつくってそこにこっそり主人公のことを割り込ませる作業でした。

そんなわけでしたが、原作をただなぞるというのが好きではないというか、それをすると書く気が萎えるので、なるべく主人公には出来事に直接関わらせないことで好き勝手に楽しく書けました。
(尾崎先生視点は途中、原作であった出来事をまるっとそのままなぞるだけだったのでちょっと億劫だったんですが、あそこ書いておかないと…!と思い)
なので、主要キャラとはほんの数人としか関わっていませんが、辰巳さんは万能調味料のように万能過ぎる動かしやすい方だったので、尾崎先生に劣らず結構関わりましたね…(……屍鬼界のどエスの双璧)。
尾崎先生がなんだかんだ主人公に甘かったので、辰巳さんに頑張ってもらった感じかと…。主人公が屍鬼と化してからは、どちらかというとわたしの中では、よし来たどエスな辰巳さんのターン!となっていたので…。

しかし、そんな尾崎先生のおはなしを書くにあたって、問題が。
先生って、なんていうか情が薄そうっていうか殆ど悲しんだり悼んだりする描写もないし(どちらかというと憤ってるか無反応か)、恭子さんとの諸々も家族間もアレすぎて……先生ってば主人公ちゃんみたいな恋とかしたこと……ねえんじゃねえのおおおおお!!!と思ってしまったからです。たぶん、間違ってない。
そして、更に最重要問題が…………尾崎先生、ぶっちゃけ、殺すよね☆屍鬼と化した主人公殺す選択肢しかないですよねええええええ!!!!!と。
殺さない選択肢のありえないことありえないこと……。というわけで、どうすれば先生が主人公を殺さなくなるかというのが問題だったんですが、なんとか…っ。なんとか…なった、ような……気がしないでもないんですが。どうなんだろう。
小説でもアニメでもなく漫画を選んだのは、漫画が一番尾崎先生容赦なくて大好きだからです(←)。千鶴さんとのところも、ああいう喜んでる千鶴さん見たら、そうかこの人も昔は人間だったんだよなあ…的な情がわいてもいいはずなのに、あの騙した時の悪い顔!!せ ん せ い…!!と思わず黄色い声をあげたくなりますね。
取水口内での尾崎先生と定文さんのコンビも凶悪すぎて、悶えます。先生足!!足っ!!と。

あと、書いている途中でだんだん「どうしよう、まだ主人公が死なない…!」というものが「や ば い !今日も死ななかった!」から「どうしよう……今日も殺せなかったんだぜ…」に日を追う毎に変わっていったのは今思わなくとも、当時からおかしなというか駄目なというか……。
いや、別に主人公が嫌いとかそういうんじゃなくて、ただ主人公が死んでからが本番といいますか……はい、そこからがまた長いのが分かっていたので……(切実)。おかげで無事に主人公が亡くなった時は、なんとか山頂に辿り着いた気分でした。ヤッホー!
そこからあとは、下り坂を転がるようにちまちま立てていたフラグを回収しながら下山の道のりが、やっぱりまた長かったんですが。

ちょっとした補足としましては。
@結城くんのお父さんの対応があれだったのは、あの日は午前中に田中姉弟がお見舞いにきた日で、お父さんは結城くんの部屋に貼られた、あのおびただしい数の護符とかを全て剥がしたあとだったからです。
A主人公が屍鬼化したあと、恵ちゃんや徹ちゃんといった知り合いと会わせようかとも思いましたが余計長くなりそうだったのでやめました。
B恭子さんのマンションは、葬儀のあともまだ片付けられていないままという設定です。主人公を隠しておくのに一番都合のいい場所だったので。しかし、そんな部屋で尾崎先生ったら……という展開になりましたね。堂々と浮気をさせている気分でした。

でも楽しかったです。三週間集中しぱなしで長かったけど、楽しんで書けました。達成感マジパネェ!
そんな、君を手折る四十九日とその一蓮でした。一蓮は、一蓮托生からとってきました。


20130427 むつり
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