『きみにその橋は渡れない』のつづきでおわり
※カットシーンネタ



彼がいなくなってから幾許か経った。
今までも、行っても会えない時はあったからそれかなと思ってみたけれど、数度訪れても赤いトラックはそこになくて。薄れていく轍にここから去ったのだとようやく気がついた有様だった。
気づいて咄嗟に川の水底を覗きこんで、そこに彼が沈んでいない事を確認してしまったのはしかたない。たったひとりで何度も、何人も迎え撃って、この川底に沈めてきた彼はきっととても強いのだろうとはいえ、しかし絶対がないのも知っていたからだ。
まだこの星にいるのか、いないのか。それすら分からないけれど、でも、どちらにせよ彼が“ここ”からいなくなれたのはいい事だった。仲間には会いに行っただろうか。そうだといい。
喜ばしい事だと思って、胸にゆるやかに沈澱していく淋しさをそっと見ないフリをする。わたしのこの感傷は彼には関係がない。
なにも告げられなくとも、その程度の距離感を選んだのはわたしだ。感情が分かりづらいなかで、たったひとつだけ理解できた、あの青く光るうつくしい双眸にあった深い悲しみと憤り。それに手を伸ばす事は最後までできなかった。もう叶わないと分かれば途端に後悔が押し寄せるのだからどうしようもない。卑怯な距離だったのだから、当然の事なのだろう。
思って、それでも、彼がいないと知っていて人気のないそこに足を向けてしまう。
ぱらぱらと今日も水底へ花を手向けて、ぼんやりと眺める。雲ひとつない快晴の午后は、照りつける陽射しを水面が白く反射するその奥で、金属の遺骸がゆらゆらと見え隠れしている。
不法投棄、死体遺棄、これはどれに当てはまるのか。金属の墓場を前に人間の法律は果たしてエイリアンに適応されるのか。詮無い事だ。人間のように水中のいきものに肉を食われタンパク質が分解されやがて骨だけになるのとは違い、その金属の立派な身のまま錆朽ちていく方がどこか物寂しく思えて未だに訪れてしまう。
なにも意味はないし、死んだ彼等にとっても迷惑でしかないのだろうと思っても。
わたし自身もきっと悼んでいるというよりは、彼との非現実が現実であったのだと確かめにきている部分が大きいのだからやっぱり傍迷惑でしかない。退屈で鬱屈とした日常へ戻りきれないで、彼の影へ縋っているのだ。
そういえば、少し前にもの凄く巨大な雲が発生して天を覆い隠したのは超常現象じみていたなと思考がそれていると、不意に音が聞こえた。
近づいてくるそれに、車の音だと思い、こんなところにどうしてと瞬間焦って、けれど不意にこの音を知っていると思った。
彼だ、と思った。
振り返って見つめた先に、まばゆい程の赤があって、ただこちらへ向かって走ってくるトラックに何を思えばいいのか分からなかった。
ゆるやかに速度を落とした時には、金属の擦れる音とともにパーツが分解と同時に組み上がっていく。そのあまりにも滑らかな正確さに睛を奪われるのも毎回の事だ。もう見られないと思っていたから余計。
変形を終えた彼は、しかし何を言う前にそっとわたしの前で膝をついた。

「…………」
「…………」

そうして、わたしも彼もお互い何を第一声にすればいいのかと言いあぐねている沈黙が間に流れる。わたしは彼の真昼でも青く光っているのが分かる双眸を、彼はわたしの金属で出来ていない瞳を、じっと見つめている。
先に口を開いたのはわたしだった。

「どうして、戻ってきたの」

絞りだした声には載せるつもりのなかった非難じみた響きがあって嫌になった。
もう一度会えた喜びよりも、彼がまた“ここ”へ戻ってきてしまった事への悲しみとやるせなさが、ぐるぐると咽喉の奥で渦巻いていたせいだった。
彼はそんなわたしをその思慮深い青に映したまま静かに口を開く。

「ここへ来れば、君に会えると思ったのだ」

それはあまりに予想外の言葉で、ただ見上げてしまう。

「私がここにいた間、君には、あまりに礼儀を失した態度だったと申し訳なく思っている」
「え、えっと、いいよ気にしなくて」

少し傾いだ頭部に、遅れて頭を下げられたのだと気づき慌てながらも、酷く真面目に告げてくる真摯さに、きっとこれが本来の彼なのだと納得する。
ここから去った後、彼がどうしていたのかは分からずとも、何かがあったのだと思える変化。そこには切り花のようにうつくしくも危うげな佇まいだった彼はもういなく、しかとこの大地に根をはっているような落ちつきがあった。
それが良いのか悪いのかの区別はわたしにはつかなかったけれど、彼が自分にそれを赦している、その事実だけでいい気がした。

「今更だとは思うが、名乗らせてほしい。私の名はオプティマス・プライムと言う」
「オプティマス……」

つたない響きは、だけどとても特別な音として舌に乗った。いいの?と見上げると、ああ、と返ってくる。

「君に、私の事を知ってほしいのだーーー」

はじめて呼ばれた名前は深く澄んだ水のようにこころの奥へ浸透していって。わたしはあなたになにもしてあげられなかったのにと、ちょっと泣きそうになった。
だけど、全然気の利いた返しもできず、ただうんと頷いたわたしに彼が、オプティマスがほんの微かに、それでも確かに、そっと表情をやわらげたものだから、まだきっと遅くはないのだと思えた。

2023/08/22
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