※カットシーンネタ



さあさあと降り続ける雨音だけの世界は、夜もあいまってどこか隔絶している。宵闇に慣れた睛に時折光を反射した雨粒がどこか眩しいなか、水の膜をはった地面を傘をくるくると回しながら歩く。
もう片方の手は胸元に、ちいさなブーケの花が濡れないよう。閉店間際の花屋で叩き売られていたとしても、瑞々しい色彩は未だ鮮やかでうつくしく咲き誇っている。そこで花の死とはどのタイミングなのだろうと思う。
切り花として既に根と離され、後は人間に鑑賞されるまま枯れ朽ちるだけのこれはまだ生きていると言えるのだろうか。とはいえ、植えたままでいても花が咲いてしまえば後は枯れるだけなのだからどちらでも同じ事なのかも知れない。そんな事をぼんやり考えているうちに、川沿いの人気のないそこに辿りつく。
今日はどうだろうかと思っていたけれど、彼はそこにいた。
赤いトラックはなんの変哲もない。ただ、こんなうら寂れた場所に似つかわしくないうつくしさだとは思う。
わたしがそう思うそれが何故なのか、たぶん、単純に車体の審美ではなく、彼だからなのだろう。

「こんばんは。いい雨だね」

一定の距離で立ち止まって声をかける。少し遠いと感じても、これ以上近付いてはいけないのだろうと思っているせいだった。彼を中心としたその広く透明な円の中へ入る事を、わたしはきっと、許されていない。

「…………」

返事がないのではたからみればわたしがただの頭のおかしい小娘みたいになっていても、まあ毎回の事だ。そもそも既にここへ来るなと釘を刺されている時点で、招かれざる客なのは自覚済みなのであまり気にしていないし、どちらかと言えばそれは彼の方でもあるからか武力行使された事はまだ一度もない。

「雨は嫌い?雨水って綺麗じゃないから、次の日は車洗わないといけないんだっけ」

近所のおじさんが雨の次の日によく文句を言いながら洗車している姿を思い出す。

「あ、それともやっぱり錆びちゃう?大丈夫?こんな雨晒しのとこにいて」

あんまり賢くなくとも、金属と水の相性が悪い事くらいは知っている。そろそろ止むのか、減った雨量はそれでも彼の全身を濡らし続けている。そうしてやはり返答はない。そう思ったところで、不意に金属音が空気を震わせた。
決して見逃さぬよう、瞬きもせず見つめる先で一瞬毎に形状を変化させるトラックは、ほんの数秒の間に原型をなくしていた。
自然と視線が上がっていた先で、青い輝きと合う。

「……この程度で錆びはしない」
「そっか、よかった」

首が痛い角度を見上げて微笑む。安心と喜びからだったけど、彼は青く光る双眸を静かにそらした。
最初の時のように恐ろしい剣幕で脅されるような事はなくなったが、彼の事を他の誰にも言わず何度も訪れるわたしという人間を不可解に思っている事はなんとなく理解できた。彼が何故ここにいるのかを知らなくとも、宇宙からやってきた金属のエイリアンがただ静かに車へ擬態しているのを邪魔する程野暮ではないだけだ。
名前すら訊いてないからロボットさんと呼んでいるし、名乗った名前を呼ばれた事も一度もない。彼の引いた線を踏み越える勇気もないまま、ぬるま湯のようなあわいで接しているのは淋しくとも心地がよかった。
詮索もしないまま、ただ一方的にとりとめのない言葉を投げかける。なんだかんだ律儀に相槌をうってくれたり、まれに応えてくれたり。きっと根は優しいひとなのだろう。一度誰かと通信しているのを偶然聞いてしまった時は、厳しくも深い声音に彼にちゃんと親しい相手がいると知れて嬉しかったものだ。
ここでひとりでいる彼は、どこか見ているこちらが切なくなるようでいけない。仲間と一緒にいればいいのにと思ってもそうしない理由があるのだろう。
あぶくのように勝手に思い浮かべてはぱちんと消す繰り返し。
そうしていると、不意に彼がじっとその静かに輝く双眸でわたしを見下ろしている事に気付く。

「どうしたの?」
「君のような人間の幼体が出歩く時間ではないだろう」
「夜ふかしは若者の特権だし、こっそり抜け出してるから大丈夫だよ」

珍しい彼からの言葉に自然口元が緩む。家にいないとバレたところで心配もされない。普段ならここで途切れるのに、けれど次いで「……送ろう」そう言われて嬉しさよりびっくりする。

「え……いいの?」
「ああ」

表情の分かりづらい金属のおもては、そのうちにある感情もさっぱり分からない。それでも彼の言葉は善意だと判断する。
どうしたのだろう。思っても問いかけはしない。いつの間にか止んでいた雨に傘を畳んで、そうだったと思い出す。
彼から離れて、川岸にいけば水面はどこまでも暗く、けれど、ふっと途絶えた雲間から射した月明かりが照らす。
青白く冷たい光を反射し、ちらと煌めくのは揺れる水紋でも魚の鱗でもない。
ーーー前よりも増えている。そう思いながら小さなブーケの包みを解いて投げ入れた。
僅かばかりの手向けは、水底に沈み続ける金属の遺骸の数々と、それを増やし続ける彼へ。
彼の同族でありながら敵だというそれに、彼等でさえそうならば、それは人間だっていつまで経っても人間同士の争いが終わらないわけだと思って久しい。振り返れば、彼が無言で佇みじっとこちらを見つめている。まるで墓場と亡霊のようで、やっぱり似合わない。
きっとここから立ち去れる事が一番なのだろうけど、それの叶わない現状に、願わくば、この星と人間が彼にやさしいものでありますようにと、それだけを胸に足を踏み出した。

2023/08/22
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