夜のアイアコン・シティは日中あれだけ宙を行き交っていた飛行タイプのトランスフォーマー達の姿も殆どなく静寂に包まれている。
スリープモードへつく者が多くとも、見下ろす街並みはカラフルなネオンの色彩に満ちていてうつくしい。摩天楼の中でも一際存在感のあるタワーの上からはそれらが一望出来る。活気があって、平和で、皆日々の生活にそう不平不満のない理想的なーーーそこまでで酷くスパークが軋む。気持ちが悪いと嫌悪感に全身が支配されるようだった。
一歩足を進めれば、へりの向こうへ爪先が出る。もう一歩踏み出せば落下するだろう。翼ではなく車輪を持つこの身ではなす術なく眩暈がしそうなこの高さを落ちきって、硬い金属の地面へ強かに激突して、そうしてきっと死ぬ事が出来る。この苦しみから解放される。

「…………っ」

思うのに、足は動かない。普段からよく見知った景色が夜闇の向こうで、底の見えない高さが無情なほど恐ろしいものとしてわたしのなけなしの勇気を飲み込んでしまうようだった。
やるべきだ。終わらせるべきだ。思うのに、気付けば後ずさっていた。一歩、二歩、三歩、完全に絶壁から離れたところでようやく意識が鮮明になるようで、チカチカとオプティックが明滅するなか胸元を抑えて深く喘ぐ。
少しして嫌な緊張感で強張っていたジョイントも元の稼働を取り戻す。一度ゆっくりと瞬きをして、踵を返した。その先に青い光があった。

「ぁ……、」

オプティックが交差して、彼が、センチネルが緩く笑う。

「はは、飛び降りてしまうのかと思ってハラハラしたぞ!」

腕を広げて、大仰に言う姿は酷くわざとらしい。いつから、思ってもそれは愚問でしかなく、わたしの事などお見通しなのだろう。

「……夜景を見ていただけです」
「そういう事にしておいてやっても良いが、それならその辛気臭い顔をどうにかするべきだな」

ゆったりとこちらへ歩んでくる姿は、僅かな光源へ照らし出されても光り輝く黄金が眩しい。英雄に相応しい姿だといつも思う。それが欺瞞にまみれたメッキでしかなかったとしてもだ。
感情の制御がままならない今、諸悪の根源を前に貼り付け慣れた部下の顔が出来ないのは自分でも理解していた。しかし同時に自業自得だと自分を嘲笑う。
まだプライム達がこの星を統治していた時。クインテッサ星人との戦いでわたしは疲弊しきっていた。長いサイクルを勝てるかも分からない戦争の中に身を浸し、昨日笑い合った仲間が今日には物言わぬ骸になる毎日を過ごして摩耗しきっていたスパークに、センチネルの言葉は酷く甘かった。少なくともこの戦争は終わる。この地獄から解放される。だから彼に協力した。
思惑通りに仮初の平和を手にして最初はこれで良かったのだと思った。良かったのだと思い込んだ。アイアコンは繁栄し、誰もが平穏を手に出来たのだ。誰もが戦争の苦痛から解き放たれたのだ。
“真実”を高らかに謳うセンチネル・プライムへの僅かな嫌悪だって簡単に蓋が出来ていた。なのに、それなのに枯渇したエネルゴンの代わりとなる鉱物の採掘に、労働ロボットを、起動前に変形コグを抜き取るという、わたし達“トランスフォーマー”にあるまじき所業を前にした時から狂いはじめた。仕方のない事だと納得させようと思っても、アイアコンが繁栄するに比例して増え続け、地下深くで奴隷のように働かされる労働者達に、平穏な景色すら劣悪でおぞましいものにしか見えなくなった。
なのに、誰も気にしていない。センチネルもエアラクニッドも護衛の者達も市民も労働者達ですら、誰も。
湧き出なくなったエネルゴン。今は鉱山でまだ十分な量が確保出来ている。だけど、それが永遠に続く訳がないのだ。星は有限であり限りある資源がいずれ尽きるのは分かりきっている。
そうなった時、遅らせた滅亡が待っているのだ。

「貴方はよく笑えますね」
「湿っぽい顔をしてどうなる?思慮深いのは君の美点だが、些か後ろ向きに過ぎるな」

だが、と続けながらセンチネルがわたしの手をすくい上げる。あまりにも自然な動作に拒絶するのも忘れた。

「君のそういった憐れなところが、私には酷く愛おしい」

指と指が絡まって、引き寄せられる。華美に誂えられた空間で、音楽でもあればまるでこのまま踊り出しそうな雰囲気があった。逃れる事すら忘れて、間近にある彼の整った顔立ちを見つめてしまう。
そこにはいつだってーーープライム達を陥れ殺害した時だって、起動前の同胞からコグを奪った時だって、市民に“真実”を語りこのいびつな都市を眺める時だってーーー変わらない笑みがあった。
それは怖いくらい魅力的で、センチネルの事を信じたくなる笑みだった。例えわたしが彼の欺瞞を白日の下に晒そうとした時に、簡単に見破って処分してもきっと同じように笑っているのだろうとしてもだ。

「……わたしは、貴方が嫌いだ」
「ははは!なに、それで良いとも。何故なら君は私と踊り続けるしかないのだから」

青い、綺麗なオプティック。うつくしい弧を描く口元。どれだけ後悔と慚愧をいだいても自死する勇気すらない臆病さまでもが、その笑顔に包まれてしまう。
それがわたしには眩し過ぎて、そうして、どこまでも恐ろしくてたまらなかった。

2024/10/01
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