日光一文字の食べ方は綺麗である。
そう気付いたのはいつだったか、審神者も男士と揃って大広間で食事をとるタイプの本丸で、その時々で席を変える審神者の向かいがたまたま日光になった時であったように思う。審神者を隣へと呼んだ今剣と合間に会話を楽しみながらも、ふとしたタイミングで目に入ったのだ。
ちょうど箸の間にこんもりと盛られた米がその口内に消えていくところであった。擬音をつけるのならば、ぐあ、というような口唇の開き具合だと審神者は思った。それが意外だった。
特に近くも遠くもない距離の関係性で、日光は物言いに威圧感こそあれど基本静かに淡々と言の葉を紡ぐ。歯を見せる程のものではない涼やかな口元からよくとおる低音が発せられる。審神者にたいしては常にそうであった。
戦場ではより声を張り、高笑するのを知っているが間近でみた事はなく。また時折、なにか南泉がやらかしたのか、どこからかどら猫と思わずこちらまで肩を竦めてしまうような叱責の声が聞こえてきても、それもまた審神者は傍で目にした事はなかった。
その為であろう。食事の際も日光はそのようにして食べるのではと勝手に審神者がイメージを抱いていたのは。
しかしそれとなく注視すれば、決して豪快という訳ではないが一口は大きく、閉じた後は無言でしっかり咀嚼し、飲み込むとまた次の料理に箸をのばす姿は、機械的な作業のように綺麗な流れだった。正座で背筋を伸ばしたままというのもそれに拍車をかけているようだと分析する審神者は、不意に伏せられていた密度の濃い睫毛の向こうから現れた薄い青紫の瞳で真っ直ぐみつめ返され固まった。
しかし直ぐ様視線に気付かれて当然かと、へらりと身に染みついた反射で笑顔を向ければ勘違いされたのだろう、ちょうど日光が箸をつけていた椀の中の煮物を足りぬのかと寄越されそうになって慌てて断る羽目になった。そんなに物欲しげにみえていたのかと審神者は少々反省する心地であった。

そんな事をたまたま小腹が空いたと珍しく誰もいない厨で、中華まんを温めていた審神者は同じくたまたまであろう暖簾をくぐって顔を覗かせた日光に一口食べる?と訊きながら思い出していた。こんな風に気安く接する間柄となったのもいつの事だったか。
最後の一個だったための申し出を饗けて、日光は口元に差し出されたほかほかふかふかの生地へ躊躇なくかぶりつく。それをみて、あ、と審神者は思った。

「餡子か」

甘いなと、無言の咀嚼ののち口内を空にしてから呟かれた身も蓋もない感想に「あんまんだからね」と返した審神者はそのまま、それだけでいいの?と問おうとしてけれど咄嗟に野暮だと思い口を閉じる。
伸ばしていた手を戻し目前に返ってきた白いふかふかは、艶やかな餡子が湯気とともに断面から覗いているがそれは僅かだった。自分とたいして変わらない一口の小ささに、ごく自然に当たり前にこういう事をしてくるのだからこのたらしめと、審神者はどうにも面映ゆい気持ちになりながらそっとかぶりつくのだった。

2023/08/22
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