「美味しそう。」

ぐるぐると鳴り響く腹の虫,口の中は甘酸っぱい酸で満ちている。食べたい,食べたいけど痩せたい。この近辺では美味しいと有名なケーキ屋のショーウィンドウに飾られているショートケーキが目に付いたのが悪い。しかも,ケーキバイキング実施中だって?食べろ,食べるしかないと言われてると同じようなものじゃない。…少しだけなら。うん,今日はいつもの倍の距離走ればいいんじゃないの。よし,そうしよう。

そう思い入口に手をかけ行く気満々な私の右手を誰かが掴んだ。

「ちょいちょいちょい,今ダイエット中じゃなかったっけ?」
「た,高尾君?」

どうしてここにと聞こうにも,気まずさからか言葉が出てこない。取り敢えずこっち来て,そう言われ手を引かれ公園に連れ込まれたわけだが,現在は一言も喋ることなくブランコの上で体と頭と思考回路さえもゆらゆらと揺れてしまっていた。

「ケーキ,美味しそうだったもんな。」
「…うん。」

最初に言葉を発したのは高尾君だった。さほど気にしているような感じではないし,リコさんに言いつけてやろうという感じでもないらしい。…ここは反省の模様を見せるべく,謝罪の一つでもしておくべきなのだろうか。

ブランコの上でもじもじとしていると,急に彼が軽々しく,すたりとブランコから飛び降りた。

「食べたいなら食べればいいんじゃない?」
「…え?」

返ってきた意外な言葉につい聞き返してしまう。謝ろう謝ろうと思っていたのにごめんなさいの一言も喉の奥底に消えてしまった。それほど吃驚したというか,意表をつかれたのだ。

「でも…私ダイエットしてるし…。」
「じゃあなんでケーキ食べようとしてたの?」

名前ちゃん,嘘つくの?

冷めたような冷たい目線が彼から送られ,口元だけが微かに笑を残していた。…ちょっと食べようとしただけじゃない。心の内で吐き出しただけで,彼に向かっては言えなかった。目線を下に下げて責められているという羞恥からか彼に責められているという悲しみからか涙が零れおちそうになる。

「ごめん…なさい…。」

やっと,忘れていたはずの言葉を弱々しく呟いた。彼の耳に届いたのか。その言葉だけが地面に吸い込まれるように消えていったような,そんな変な感覚を覚えながらゆっくりと彼の方を見ると,優しく微笑んでいた。

「いいよ,つか,俺が名前ちゃんにダイエットやめさせる権利なんてないし。」
「…ごめんなさい…高尾君,怒ってくれて…。」
「怒ったつうより,説教?うーん,説教ってそもそも怒ってんのか?」

難しそうな顔をして唸っていた高尾君が,諦めたように顔をあげた。

「とにかく,名前ちゃんは黄瀬を見返してやりたいんだろ。」
「…うん…。」
「それじゃあ頑張んなきゃじゃん。」
「…うん…。」
「でもさ,どうしても耐え切れなくなったら,俺に教えてよ。」
「…うん。」

あと,そう言って私から背を向けた。時刻は夕暮れ。夕日が差し込み影が長く伸びている。地面に映る彼のシルエットから,彼がぽりぽりと頬をかいていることが見て取れた。

「そのさ,もし黄瀬に断られたら…その…俺が,いるじゃん?」
「…うん…。」

…うん。

…ん?…あれ…。

「どういう事?」
「そういう事。」
「意味がわからないよ。」
「わからなくて結構。」




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