「笠松先輩はよーす。」
「…。」

もう酷いなー,無視しないでくださいよ。そう言いながら彼の背中を叩くと凄い形相で睨まれてしまった。と思った矢先に彼の右手が眼前に迫ってきている。なんですか,と言うが先に鼻をつままれた。つままれた,という言葉は優しすぎるか,これは。「鼻を引きちぎられそうになっている」という表現の方が合ってる気がするが。

「離ひてくだはいまへんか。」
「黙れ。」

殺されるー,と叫ぼうと思った瞬間に彼の指は離れていった。面倒くさそうにため息をつき自身の髪の毛を掻き乱しながら笠松先輩が言葉を放つ。

「…えっと,その…苗字,痩せた?」
「…何を今更。」
「その目やめろ。」

まさか笠松先輩からそんな言葉をもらえるとは思ってもいなかった。何言ってんの今更,と冷めたようなけなすような目つきで彼のことを見ながらも内心は嬉しくて仕方がない。凄く嬉しい。ふふん,と鼻を鳴らしながら決めポーズをとったところ,さも私という存在がいないかのように私の横をすり抜けて歩いて行ってしまった。

「無視は酷い。」
「じゃああのポーズすんなよ。」
「だって,私の好きなモデルさんがやってたポーズ…。」
「やる奴によって可愛さなんて変わるに決まってるだろーが。」
「酷い!」
「…じゃあ俺,次移動教室だから。」
「はーい。」

さよならと手を振り廊下の右手へ曲がっていく笠松先輩の姿を見送る。さて,私もそろそろ教室に戻ろうか,先輩に嬉しきお言葉をもらえたこともあってか少しながら機嫌がいい。小さくスキップしながら廊下を進んでいたのが悪いのか浮かれすぎていたのか,どんと肩に衝撃が走り,あ,と思った瞬間には地面にお尻がついていた。

「すんませ…ん。」
「…あ。」

二度目の「あ」だ。吃驚しすぎて言葉が出ない。「あんたは!」「…なんで?」「ちょっとどうしてくれるのよ!」「この前はよくも…。」「貴方のためにダイエットしてるのよ。」いろんな言葉が頭の中を回り始める。なんて言ったら良いのだろうか。取り敢えず,こういう場面では定番であろう,彼の名前を呼んでみた。

「き…黄瀬君。」
「…。」

なにか反応してよ。心の内にそう吐き出しながら彼の方を見ればどことなく困惑しているようだ。ここで私は調子に乗る。ふふ,私がちょっと痩せて吃驚してるのかな,黄瀬君。よいせ,と手をつき体を起き上がらせて彼に向き直ると,はっとしたように黄瀬君が言葉を呟いた。

「ご,ごめん。大丈夫っスか?」
「うん…え。」
「…?」

な,何故優しい?てっきり,「少し転んだぐらいでなんともないでしょ。いいクッションがついてるっスもんねー。」なんて嫌味を言ってくるかと思い身構えていたが,まさかの心配の言葉?どうして?もしかして,痩せすぎて前に自分に告白してきた相手だと気付いていないのだろうか。それとも私のことなんてもう忘れてしまったのだろうか。それは少し,寂しい。

「ほんと…大丈夫?」
「あ,大丈夫大丈夫!」

ほんと大丈夫だから,と顔の前で手を振り,そそくさとその場をあとにした。




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