※年齢操作あり、
※生前コーちゃん、






それは己が五つを数えた年の、春の終わりなのか夏の始めなのか曖昧な陽気の日であった。

父に連れられて出掛けた先の大きな屋敷。まだ夜も明けきれぬなか眠たくて渋る私を無理矢理連れてきたのは父上だというに、おまえは庭で遊んでいなさいと早々に放られてしまっては不貞腐れるのも無理はないというもの。
あまり宜しくない気分で足を踏み出した、普段遊び場にしている野原や山とは違う整えられた庭園に目移りしたのはほんの僅かな間で、一頻りにぐるりと回ってしまえば、そこはもう目新しくもなんともなかった。

日は漸く輝度を上げ始めたあたりである。
一歩が届かぬ足元の飛び石を辿ることも止め、逸れた足で敷かれた小石を踏み締める。


つまらない、―――


足先に見つけた蒲公英の僅かに残る綿毛を空へ飛ばした瞬間、浮かぶ綿毛の向こう側、連なる垣根の更に向こうで何かが揺れた気がした。


あれは…――?


耳を澄ませば、いつからなのだろう、今まで気付かなかった金属音が響いている。しかし辺りを見渡せど、私の他には何物の姿も見えない。

それでもあそこに、確かに何かがいた気がするのだ。
することも無ければ止める者もいない。僅かな恐怖心は、膨れ上がる好奇心に打ち負け、左手に残ったしなる茎を投げ捨てて庭の奥へと足を向けた。




結論から言えば、そこに居たのは人間だった。
いつからここにいたのか、自身が先程この辺りを廻っていたときは何の音もしなかった筈であり、視界の片隅にすらここへと向かう彼の姿は捉えていない筈である。

それでも彼は、でかでかと欠伸をしながら手に持った鋏を変わりなく動かし続けていた。


「にいちゃんはここでなにをやっているんだ?ひまならわたしとあそべ、」


「暇そうに見えるのか、一応仕事中なんだがな、」


ちらりとも目を向けようともしない素振りで返され、口を尖らす。

仕事――、彼の傍らにはまだ花のつかないような枝がこんもりと積まれている。


「へたくそだな、この枝、つぼみがつくまえじゃないか、」


「先をみて刈ってんだ、」


七日後に来てみろ、今のお前の言葉がまるで嘘になるぞ、―――


自分としては素っ気ない返事に対する仕返しのつもりであった。それが返り討ちとは、なんと情けない結果だろうか。
噛み締めた下唇が少しだけ痛い。


「おまえなんて知らん!」


「安心しろ、お前なんぞ俺も知らん、」


捨て台詞のように口走り駆け出した背後では、何事も無かったかのように鋏の音が聞こえてくる。何故だか無性に腹が立った。





自分の失敗に気付いたのは、広い庭を屋敷まで走ったその足のまま飛び入るように父のいるであろう座敷の戸を開いた後だ。
立ち入る前の声掛けは自家でも徹底されているのに、まして余所様の屋敷で。帰ってから雷が落ちるのは確実だった。

しかし開いた戸の先、呆れた表情の父親はその目の前に座る信じられない人物を指してこう言った。


「三郎、ほれ、挨拶せい。」


お前の先生になるお人だ、―――


そこには、先程自分が置いてきた筈の青年の姿があったのである。





*





唐突な出会いから一夜明け、早速とばかりに"勉強"が始まった。
出会いは己にとってあまり良い記憶ではないが、それだけにその未知の青年から何を教わることが出来るのだろうと心は悦び跳ねていた。


「せんせいは何をおしえてくれるんだ?」


それは純粋な疑問だった。作法は昔から両親に仕込まれていたし、勉学は代々付き合いのある僧が見てくれていたからだ。
しかし、せんせい、と呼んだ自分にいきなり拳骨をくれた青年は、すまん、と軽く発しただけで一向に口を開こうとはしない。
釈然としない頭で、では何と呼べば良いのだと聞けば、そうだなコーちゃんとでも呼んでくれ、などと適当なことを返されて終わってしまった。

期待して損した。こいつは何を教える気も無いのではないか。――静まりかえる部屋でじっとその顔を睨み付けながらそんな事を考えていたとき、漸くコーちゃんが口を開いた。


「三郎、俺の顔に何か付いているか?」


「…………………何も、」


ふむ、と暫く考え込んだ後彼が発したのは、非常に不可解な内容だった。


「そうか、では俺はのっぺらぼうと言う事だな。初めて知った。」

「…………え!?いや!目と鼻と口が付いている!」


口を開けば増える不思議な言動にこれ程応えを焦る必要があったかどうかは知らないが、やっと開いてくれた口だ、ここで答えなければまた沈黙が降りるのは分かりきっていた。
身を乗り出しながら必死に口を動かす自分とは反対に、外を眺めたままのコーちゃんはその問いを出してから黙りこくったままだ。


「あ…あと!眉毛もだぞ!」


「……なんだ、ついに俺も妖怪の仲間入りをしたと思ったんだがまだヒトだったか。」


初めて合った視線を逸らすことは出来なかった。


「…コーちゃんは妖怪になりたいのか…?」


「まさか。…まあ、でも、出来ることなら最期まで人で在りたいもんだな。」


…さて三郎、お前はさっき、俺の顔に付いているものを述べたがそれに足りない物があるのは気付いているか――?


目、鼻、口、眉、…コーちゃんには髭がない。


「…わからない、何がたりないんだ?」


一の次に重要なものだ、それは、――


「肉と、皮。」


これから俺は、お前に一人間の作り方を教える。





*





父が何を思って幼い自分に変装を教えようと思ったのかはわからないが、コーちゃんの教えを受けて早三ヶ月、技術は未だ遠く及ばぬものの、その訓示は己の身に染み付き始めていた。

人を見るというより、肉より深くの、骨形を透かして見るようになってしまったのだ。

初日に彼が言った"肉と皮"、一の次に、と暈したその"一"とは骨のことであった。

目の前に広がる畑で百姓仕事をする老人の骨格を思い浮かべ、難儀しながら模写し終えて手を止め息を吸うと、ふわりと漂う彼の香りに行き着いた。


「なあコーちゃん、コーちゃんはいいにおいがするな、」


それは初めて会ったときから思っていたことだった。
最初は彼の周りで咲いていたやまつつじの香りかと思ったが、あれはそこまで強い香は持たないものだ。長く彼の隣にいて、それが彼の持つものだと気付いたのはつい最近のことだった。

手拭いを首に掛け、己が寄り掛かる桜の木に巻き付いた朝顔の種を摘み取っていた彼の動きが止まる。


「ほう、三郎、気づいたか、」


お前は妙に敏感だな、と先の模写を添削しながら言う言葉には何やら含みがあるようだった。


「しかし、まあ、この短期間でここまでできるようになるとは、」


返ってきた紙に書き足された朱墨は僅かなものである。
次に進むか、と笑う彼は、花を愛でる時と同じ優しい顔をしていた。




その次の日、待ち合わせに指定された場所に立っていても、彼は一向に現れる気配を見せなかった。
時間を違えたかと昨日をよく振り返ってみても、やはり間違えてはいないと思うのだ。
人通りの多い場所、過ぎる人の顔を観察しながら段々と沈み始める太陽に焦る気持ちは止められない。
ついには、からすが鳴き始めてしまった。


……そういえば、昨日の約束は少しだけ違った。


明日から、俺が来るまで毎日同じ時間にこの場所へ来い、――


……何だ、良く考えれば端から来るつもりもないじゃないか。
毎日毎日、熱心に付き合ってくれていた彼だから、騙されたのは最初だけだと思っていた。



――最初……、?


はっ、とした。

そして段々と暗くなる町で、弾かれたように手当たり次第に付近に居る人の顔を覗き込んでいく。


この人も、この人も、ちがう――!


昼前から、何をするでもなく立っていた奴が慌てたように何かを探し出したのだ。覗き込んだ数人は、不思議そうな顔をしていた。


顔を見るな、私が探すのは、その、下……!





「…コーちゃん!」


その人は自分の真隣に居た。
町の人も、私も、見ないふりをしてまで疎ましがっていた筈のみすぼらしい形から、それとは違う笑顔が覗いた。





よっこら、と腰を上げたコーちゃんは、町を出て周りに誰も見えなくなったことを確認してから変装を解いた。
変装の工程は誰にも見られてはいけない、と教えられた通りだ。

既に暗くなった小道を家へと歩く。今日は月明かりだけで歩ける夜だった。


「なあわたしをためしてたんだろ、ちゃあんとみつけてやったぞ!」


自分はというと、待ちぼうけを食らったよりも、彼の変装を見破れた方が勝っていた。
上がる気分のなかで、今日町で見ていた人物についての解釈を得意気に話す。黙りこくったコーちゃんは、悔しがっているのだと思っていた。

いつもの態度で、良くやった、と褒められると思ったのだ。




「―――長々とお前は俺に気付けなかった。」


それは何故だよ、三郎?――


だから、その言葉がすごく衝撃的だった。


「…しかたないじゃないか、だってさ、」


コーちゃん、いつものいいにおい、しなかった、から。


コーちゃん、いつものコーちゃん、じゃない……。
そう気付いた後に暫く続いた、静かな足音が痛かった。


「―――はァん、じゃあお前、あの香りじゃなかったら俺は俺じゃないってんだな。」


観察が出来るようになった、か。浮かれんなよ。それぐらいじゃ何者にもなれやしない。―――


響く言葉は、全くもってその通りだと思う。
昔から何でもそつなくこなしてしまう自分だったから、今のこの、よく分からない感情は特別なことだった。


「……あー……そりゃ、まあ、あれは俺の専売特許だからな、今までみたいに簡単に攻略されちゃたまったもんじゃねえっつう、云わば俺の意地だ。」


そこは譲れんが、まあ、お前は良くやったよ。――


様子の違う自分に焦ったのか宥めるように呟かれた言葉も、素直に捉えることもできない。待っていた筈の、頷く頭を乱暴に撫でつける手の平すらこの日は嬉しく感じることはなかった。










人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -