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幸村と柳の予測通り、修学旅行は延期になった。学年集会で学年主任が残念そうにそう告げたときのブーイングは酷かったが、通り魔事件が理由だと説明されれば、皆口を噤んだ。もちろん、雪を除いて。そして数日ブーブー言っていた雪であったが、次第にそのことも忘れ、またダラダラと毎日を過ごしていた。


「安里!これ見ろよ!」

「丸井うっせーな、私は今眠いのだよ」

「いいからこれ見ろって!」


丸井が嬉々として一つの雑誌をバシン、と雪の机に叩きつける。子守唄という名の授業を寝て過ごしていた雪は授業が終わっても夢心地であったが、その雑誌の見出しを見て覚醒する。


「通り魔事件、収束…!?」

「犯人は捕まってねえらしいけど、あんだけハイペースにやってたやつがパタリと止まったんだってよ」

「お、おお…と、いうことは!」

「いや、予約取り消しとかしちゃってるから修学旅行はねえからな?」


「チッ、」と盛大に舌打ちをした雪に丸井は苦笑する。うわー…露骨。丸井はふくれっ面で雑誌と睨めっこする雪の頭を小突き、「まあ、終わって良かったってことだよ」と綺麗にまとめた。


「12人も殺されたけどよ、もう被害が出ねえならいいよな」

「あー…そうだね」


そこで雪は数日前に人識から来ていた一通のメールを思い出していた。“ヒューストンに逃げるわ。赤色こわい”デジャヴを覚える簡潔さに雪は怒りを通り越して呆れていたのは記憶に新しい。「次はアメリカで殺人事件が起きるかもね…」「は?」遠い目をした雪はそう言った。


「てか、お前の兄ちゃん京都に行ってたんだろ?大丈夫だったのかよ」

「え、兄ちゃん?」

「え?」


若干噛み合ってない会話に、二人揃ってきょとんとする。「いや、幸村くん達が部室で話してたのを前に聞いてよ…」丸井の言葉に雪はその“兄”が、宵ではなく人識であることに気付く。「あっ、あー…うん、兄ちゃんね、大丈夫っぽいよ」取り繕うように言った雪に疑問を覚えつつも、丸井は「そーか。良かったな」と爽やかに笑った。周りの女子が頬を赤くしたのは言わずもがなである。


「丸井くん今日やけに優しいじゃーん?」

「は!?べ、別にんなことねーだろい!」

「なになに?この記事見て私のお兄ちゃんのこと思い出して心配になったとかあ?」

「だから!そんなんじゃねーって!」

「照れるな照れるな!丸井いいとこあるじゃん?」


「安里雪!」


うふふあははと二人がじゃれあっているところに、強引に割り込む声。怒気を孕んだその声に、騒然としていた教室は水を打ったように静まる。照れから顔を赤くしていた丸井も、ニヤニヤと笑っていた雪も、刃音の登場に顔を強張らせる。空気読めない略してKYですか柏木さんは!そう思いながらも「柏木さんどうしたの?」と、気持ち悪いほどの笑みを浮かべて、雪は口を開いた。貼りつけたような笑みに丸井はあの気持が溢れだす。―――気持ち悪い。そっと、丸井は雪から距離をとった。


「貴様、…………零崎双識を知っているな」

「、……どちら様?」


零崎双識―――雪にとって、陽織にとって重大なキーワードであるそれに一瞬反応する。取り繕った雪だったが、刃音はその一瞬を見逃さずに「……知っているのだな」と答えた。チッ、と先ほどは露骨にしたが、今度は心の中で雪は舌打ちをした。目ざといな。


「私は―――貴様達を許さない…!」


ありったけの憎しみを込めた声に雪は思わずは刃音と目を合わせる。その瞳には、零崎一賊に対する憎悪しかなく、それ以外には何も写していなかった。


「私の……私の兄上達は復讐を果たすために散ってしまわれた」

「はぁ?」

「…貴様の!兄のせいで!私の兄上達は死んだと言っているんだ!」


その言葉に静まり返っていた教室は再び喧騒をを取り戻す。安里のお兄ちゃんのせいで刃音さんのお兄ちゃんが死んだ?刃音が叫んだ内容は妄想を張り巡らせるのには十分な内容だった。


「いや、知らないし。大体さ、零崎双識って人が私のお兄ちゃんって…私のお兄ちゃんは安里宵、氷帝に通う善良な大学生だよ?人違いだって!」


からり、からりと笑う雪に、嫌な雰囲気であった教室は笑いに変わる。そもそも表世界において殺しだのなんだのと言われても実感が沸かないのが事実。笑い飛ばされれば信じるのは軽い方である。だが、刃音は引き下がらなかった。


「貴様が零崎であることなど疾うの昔にわかっている。私は柏木刃音。―――匂宮の分家の一つ、誇り高き柏木家の殺し屋だ!」


ピタ、と、雪の笑みが固まる。「殺し屋?」「刃音さんどうしちゃったの?」教室が再びざわめき出す中、雪の表情は硬くなる一方である。やっぱり裏世界か。予想が当たっていたことよりも、この一般人が大勢いる中で殺し屋だと声高に言う刃音に嫌悪感を覚える雪。何かに必死で周りが見えていないのだろうが、あまりにも軽率すぎる。私が零崎ってバレたら終わりなんだぞ。憤慨する雪であったが、固めていた表情をフッと緩めた。


「ふーん。ま、どうでもいいけど」

「っ、貴様!」

「いやあ、柏木さんが匂宮?の分家?で殺し屋?とかなんだとか、私には関係ないし…柏木さんが私のこと憎くても、私は柏木さんのこと憎くないし」

「関係ないだと…?貴様、知らぬとは言わせぬぞ、貴様の兄が―――」

「っていう冗談はここまでにしようぜ!ほら、みんな殺し屋とか真に受けかけてるじゃん!」


明るくそう言った雪の言葉に刃音はハッとしたように周りを見た。困惑した表情の丸井と目が合い、漸く刃音は自分の発言の場違いさに気付く。「そう、だな」雪の茶化しに乗った刃音にやっと困惑の視線が外れる。心なしか緩んだ雰囲気に、丸井はため息を吐いた。いつもと様子の違う刃音に、丸井は人知れず恐怖していた。


「あー、お腹すいた!はやく昼休みにならないかなあ…」


気の抜けた雪の声に、教室内は次第にいつもの雰囲気に戻っていった。そんな中、雪の携帯が震えたことなど、誰も知らない。