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一種の狂気を孕んだ人識と、まるで緊張感のない雪というちぐはぐな二人が見つめ合っていたその時、雪の家族が帰ってきた。「あーあ」とつまらなさそうに人識は呟き窓から飛び降りてどこかへ行ってしまった。それに対し雪は何事もなかったように家族が居るであろうリビングの方へ降りていった。トントン、と軽快に階段を降りると聞こえてくるのは家族の雑談をする声であった。


「おかえりー」

「まあすすぎちゃん!帰ってきてたなら連絡ぐらいちょうだい!」

「ごめんてお母さん」


慌てる安里母に雪は苦笑した後、安里妹の方へと目を向けた。殺気を含んだその視線とは裏腹に満面の笑みの妹。雪は嫌味のように笑みを返し、「おかえり、暖」と言った。それに対し暖は「ただいま、お姉ちゃん」と顔を歪めて笑った。


「今日はパパの帰りが遅いみたいだから、ケーキ買ってきちゃった!」

「お母さんってばおっ茶目ー!」

「あら、パパには内緒よ?」

「わかってるって!」

「ふふ、じゃあ準備するから、すすぎちゃんとひなたちゃんはお部屋でくつろいでなさーい」

「はーい」


そう言い母は紅茶の準備などに取り掛かり始めた。その様子を見て、雪は暖に「じゃあ行こっか」と笑いかけた。暖はそれに答えず、ただ無言で雪の後を着いて行った。痛んでもっさりしている雪の髪とは違い、痛みを知らない美しい黒のストレートロングの髪を揺らしながら、暖は雪の後を追う。彼女らの部屋は隣り合わせなので、行く方向が一緒なのだ。「ねえ、」そう長くはない廊下で、暖が口を開いた。「すぐに準備できるだろうし、少し話さない?」どうやら話がしたいらしい。特にやることもなかった雪はそれに頷き、二人は雪の部屋に入っていった。


「お姉ちゃんさ、丸井先輩と仁王先輩と一緒のクラスだよね」

「んー、そうだね。丸井と仁王くんとは一緒のクラスだし、割と話すね」

「ふうん」


さらり、と一束の髪が顔にかかる。雪は暖の髪を見て常に思う。黒髪羨ましいな、と。雪は好きで金色に染めているわけではないのだ。染めなければいけない理由がある。


「他にテニス部の知り合いとか居るの?」

「うーん…幸村とか柳とか?」

「他は?」

「ええー…、居ないかなあ…」

「あぁ、そう」


何かを吟味するような口調。尊大さが滲み出ている暖の態度が気になった雪だが、それより暖が丸井と仁王を知っていたことに驚いた。驚いただけで口には出さなかったが、なぜピンポイントで彼らの名前が出たのか気になった雪。あれ、暖ってイケメンに興味ないはずなんだけどなあ…。テレビとか見ててもフン、とか鼻で笑ってるし…。少しだけ困惑した雪だが、割とどうでもいいことだったので気にしない事にした。


「仲良いの?」

「あ!そうそう聞いてよひなたぁ!実はね、お姉ちゃんね、友達が出来たのだよ!」

「丸井先輩と仁王先輩と幸村先輩と柳先輩?」

「前の二人は微妙だけど幸村と柳は紛うことなき私の友人だね!ふっふーん、お姉ちゃんの初友だよ…!」

「おめでとう」

「ありがとう!そしてありがとう!」


両手をバッと広げて言う雪に薄ら笑いを浮かべる暖。感情の篭っていないおめでとうであったが、雪には慣れたことなので気にしなかった。というか雪の中では暖に関してのことは気にするだけ無駄だと判断されている。暖は雪が出会ったときから可笑しかった。途中からこの家に来た雪。家族が異常なまでに寵愛していたにも関わらず、それ対して嫉妬するどころか笑みすら浮かべていたのだ。あぁ楽しい、もしくは楽しみだとでもいうように。今では両親の寵愛という過保護も収まりつつあるが、そこでも暖は可笑しかった。過保護じゃなくなるほどに暖は面白くなさ気な顔をするのだ。異常だ、と雪は思った。特別愛されたい、という感情があるわけではないが、雪だって自分に向けられていた愛が他の人へ向いてしまったら少なからず嫉妬する。しかし暖はそれがなかった。まるで両親に向けられていた愛になど興味がないとでもいうように。


「準備ができたわよー!降りてらっしゃーい!」


下の方から母の呼ぶ声がした。雪は立ち上がって「以外にはやかったね、行こっかー」と暖に手を伸べる。しかし暖はその手を取らずに立ち上がり、こう言った。


「幸村先輩と柳先輩ってかっこいいよね」

「うん?まあイケメンだとは思うね。ムカつくぐらいに!」

「ふふっ、そうよねえ、イケメンよね。お姉ちゃん、嘘は駄目だと思うよ?」

「え?」

「なんでもなーい。行こ?お姉ちゃん」


気持ちが悪いほどの笑みを浮かべ、暖は先に行く。嘘って何ぞ?一人首を傾げる雪に母の急かす声が飛ぶまであと数十秒。