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話しているときは確かに普通なのに、少し遠目に見ただけでどうしてこんなにも気味が悪いものに見えてくるんだよ、と自分の席を離れ、クラスの女子と談話している安里を眺めながら丸井は思った。別に変なオーラが見えるだとか霊感があるとかそういうわけじゃねえし、人の好き嫌いも激しいわけでもない。いや、そりゃあ普通の人よりは選んでる方かもしんねえけど、仁王よりは酷くねえ、うん。そんな俺がこんな変な嫌い方するなんて、こりゃあ絶対なんかある。丸井は一人で頷いた。何があんのか検討もつかねえけどな!


「丸井ー?なに一人で頷いてんの」

「何でもねーよ」

「あっそー」

「おい仁王、起きろよ!」


ほら、普通なのに。一人惰眠を貪っている仁王を起こす。仁王は最初から安里のことが嫌いだったということは薄々気づいていた丸井だったが、それでも道連れにできる仲間が欲しかったからか、眠いとごちる仁王を無理やり会話に参加させる。


「仁王くん、おっはようございまーす」

「……」

「うっわ、仁王くん機嫌悪っ。寝起きっていつもこうだったりする?」

「んー、まあこんなもんだろぃ」


女嫌いも混じってるけどな、とは言わなかった。そもそも仁王の安里嫌いは女嫌いなんて超えたところにあるからだ。仁王は不快感を隠そうともせず、眉を寄せた。「おいおい、そんなしかめっ面だと老けて見えるぞー」あっけらかんと言う安里に仁王の不快感は増す。人の気も知らんで、馴れ馴れしく話しかけてんじゃねーよ。もう一回寝るか、保健室にでも行こうかのう、いや、保健室行こうそうしよう、と仁王が決意し、席を立とうとしたとき、安里がタイミング良く「あー!」と声をあげた。いや、仁王にとってはタイミング悪く、だが。


「な、何だよぃ」

「あ、あれ!教卓の近く!や、やべえ、あ、あれは、…歪みなく、老け顔!ブフッ」


安里の言葉に丸井は背筋が凍る思いだった。お、おい、この学校に安里が爆笑するレベルの老け顔とか一人しか居ねえじゃねえかよ!同じく仁王もピタリと動きを止めていた。老け顔て…まさか、まさかじゃなくてもアイツじゃろ…。二人の脳内に思い浮かんでいる顔は一致していた。だが、その後に続けられた「うお!その隣に娘としか思えない童顔美少女大和撫子が!」という言葉に浮かんでいた顔はその特徴を持つ少女のものに変えられていた。途端に、二人の心は浮きだつ。急にそわそわしだした丸井と仁王を怪訝に思いつつも安里は教卓近くで教室をキョロキョロと見回している二人に集中した。一人はとんでもない老け顔。一人はとんでもない美少女。かっこ童顔で洋風か和風かと聞かれたら和風!わっふーい!と答えたくなるような顔立ち、かっことじる。顎に手を当て真剣に考察する安里は見た目だけは探偵さながらであったが、普段の阿呆としか言い用のない振る舞いのため、周りから探偵のようだ!何を考えているんだ!もしかして事件か!と思われることはなかった。当然だが。そう考えている内に老け顔の方の少年は探しものを見つけたらしく、安里たちの方向に歩いてきた。


「貴様が安里雪か」


口を開いたのは、少女のほうだった。まるで刃が音をだすような、鋭いながらも美しい声だと安里は素直に思った。「刃音!」丸井が少女の名前を呼ぶ。「流石、行動がはやいのう」仁王も続いている辺り、彼らと彼女は知り合いらしい。うん…?刃音?刃音ってあの仁王くんが認めていると私の中ではかなり有名な刃音さん?ええーっ、めっちゃカワイコちゃんじゃないか!それにしてもなんちゅう古風な喋り方なんだ。なんかなあ…、やりにくい。まあ喋り方だけでやりにくいってわけじゃないけど。そこで安里は一旦思考を止め、いつものように笑いながら口を開いた。


「左様でござる。それがしが安里雪にござる!」

「ふむ、礼儀は弁えているようだ。私は柏木刃音だ」

「ふうん、柏木刃音、ね」

「貴様、初対面の者に対してそのような態度はなんだ!」

「よい、弦一郎」

「じゃが刃音の名前を嘲笑うように読み返したのは安里なり。真田、もっとやっちまえ」

「雅治!口を慎め!」


ほうほう、美少女は柏木刃音、老け顔は真田弦一郎ね。真田って幸村とコンビ組めばいいんじゃね?真田幸村!戦国武将!と考えている安里の側で仁王が舌打ちをした。柏木は「すまない」と苦笑を携え、謝罪の言葉を口にした。


「いやあ、全然気にしてませんよ!ワカメ少年に初対面で暴言を吐かれたあの事件に比べたらダメージは少ないから!」

「何?ワカメ…赤也のことだな?あの馬鹿め…」

「え、柏木さんのお知り合い?」

「あぁ…切原赤也と言ってな、我が立海テニス部の部員なのだ。私の後輩が失礼をしたようで…、すまない」

「へー、ワカメくんって切原くんって名前なんだ。めんどいからワカメでいっか」

「あ、おい。あいつワカメって言ったらやべえことなるから言わないほうがいいぜ」


割って入ってきた丸井の言葉に安里は首を傾げた。「なるほど、ワカメと言われるとブチギレるの?」と安里は笑った。


「だったらむしろ好都合だよ!あんだけボロクソ言われたんだもーん、仕返ししなきゃ割に合わないぜ」

「いや、マジで止めとけって。タダじゃ済まねえから」

「タダじゃ済まないってお前、笑っていい?」

「マジだから!あいつがキレたら刃音以外の言うことを効かなくなるんだよぃ…ありゃ、悪魔だ」

「へえ、でも私、そんなに柔じゃないから安心したまえ!」


バン!と机が音を立てて割れた。それは柏木が机を力任せに叩いた結果だった。え、ちょ、なんで机割っちゃったの…?と割と本気で狼狽える安里を除き、周りはその大きな音と、滅多に怒ることのない柏木の怒りに震えていた。柏木が過去に怒りを露骨に露わにしたのはただの一回だけ。


「私は―――貴様のように自分の実力も弁えずに過信し驕る者が一番嫌いだ」


氷のような目で柏木は安里を睨んだ。柏木が一度だけ激怒したときの理由、それは切原赤也が立海テニス部において最も強いといわれる三強の真田、幸村、柳の三人に、無謀にも試合を申し込み、ボロボロに破れ、それでも引き下がらなかったときであった。そのとき、柏木は切原のことを高く評価していたのだ。柏木は理由もなく人を嫌うことはないし、余程の馬鹿ではなければ救いの手を伸べる、聖人のような者であった。言葉遣いこそ鋭いが、根は優しい少女であった。そんな柏木は、そうやって気に入った者が道から外れようとすると、激怒するのだ。と、まあ柏木の説教の結果、切原は改心し、そして自分に正しい道を解いた柏木を異常なまでに慕うようになったのだが、この場合において、これは説教でも諭しでもなんでもなかった。安里は柏木との会話の中で、ある一つの可能性を導き出す。が、それは誰の知るところでもない。


「へえ、柏木さんは私の実力がわかるんだ」

「私は自分の実力を弁えている。世界は広い。しかしこの学校では様々な面において私が最も強いであろう。その私が言おうではないか。貴様の力では赤也にのされて無様に怪我を負うことが目に見えている」

「確かに私は強くないよ。私より強い人なんてたくさん居る。だからってそう頭ごなしに否定されるとカチンときちゃうんだよねえ」

「フン、何を言うか」

「私、柏木さん嫌いだわ」


そう言った瞬間、周りの空気が変わった。正確には、真田、丸井、仁王の雰囲気が、だが。


「その言葉、そっくりそのまま返そう」

「刃音!?」


今まで干渉せず、といったように傍観していた真田の驚いたような声が柏木に向けられた。そう、余程の馬鹿でもなければ、理由もなく嫌うことなどありえないのだ。少なくとも、ここにいる者達にとっては、柏木が人を嫌うのは初めてであった。丸井の思惑とは違った方向に進む話に焦る。こんなはずじゃ、刃音ならきっとこの安里の妙な気持ち悪さを解明して、治してくれるって、説いてくれるって、俺は、そう思ってたのに。焦りが目に見えてわかる丸井とは裏腹に、仁王の表情は嬉々としたものになっていた。刃音の敵になったんなら、安里はもういつでも潰せるってことじゃ。ククク、とでも笑い出しそうな仁王の表情に気づく者は居なかった。


「貴様が気に入らん。聞いていた通り貴様は気味が悪い」

「気味が悪い、ねえ…」

「一番敵に回したくないが、味方には更にしたくはない」


筋が通っているようで、主観が入り混じりすぎの感情論に真田も首を傾げる。安里は気味が悪いという言葉になるほどね。と納得していた。そして安里の中にあった疑惑が確信に変わった。


「そう、まるで、お前は―――」


零崎の、ようだ。


その言葉に安里は笑った。