× | ナノ


甲高くわざとらしい嬌声の残響が俺を蝕む。もっと、もっとと快楽を強請る女は、はたして本当に快楽を求めとるのか。答えは否、快楽など疾うの昔に得ている女が求めとるんは俺自身。掴み所がのうて飄々としとって、本心は誰にも見せないミステリアスで上の上な顔の男。理想の高い女からしたら願ってもおらん物件じゃろう。根暗だろうがブスだろうがギャルだろうが男に興味がなかろうが文学少女だろうが体育系女子だろうが平凡だろうが、女であれば少し揺さぶるだけですぐに俺を意識し始める。しかも全国大会優勝を収めたテニス部のレギュラーっちゅう肩書きまで付いてからは他校にまで俺の名が知れ渡ったみたいだし。元より女にはいい印象を持ってなかったっちゅうんに、あからさまな猫撫で声で名前を呼ばれたり、大胆すぎるボディータッチなんかをされると血反吐物なり。いや、大胆かつ明快なものならここまで嫌いにならんかったじゃろう。あいつが、あいつがあんなことをしなければ。


「あっれ、仁王くんじゃん。まじか、寝てんの仁王くんかよ」


そこで仁王は思考を止めた。白を基調とした保健室の真っ白なベッドに横たわる仁王は、気付かれないように注意して寝返りをうった。なんで安里が来るんじゃ!つーかひとり言でかすぎじゃろ!ツッコミを入れる仁王はもし見つかったらどう対処しようか、と思案した。


「ふうん。寝てるのかあ。そうかそうかあ。じゃあ静かにしないとなあ」


だったらそのひとり言を止めて直ちに立ち去れ!安里のわざとらしい言い方に気付いていない仁王。一方で仁王が狸寝入りしていると気付いている安里はこの後どうしようかなあ、と保健室の椅子に腰掛けた。先生はベタなことに出張で不在…というわけではなく、お客さんが来ているらしく一時的に不在なだけであった。つまり時期に先生は戻る。しばらく悩んだ結果、安里は仁王に話しかけることにした。


「あっ、そうそう。この前すごくおもしろいことがあったんだよー」

「……」


無論、仁王がシカトすることは想定済みであるから、返事などは最初から期待してはいなかった。一方の仁王は静かにしないととか言うといてとんでもなくでかいひとり言を言ってんじゃねーかよ!と心の中ではあるが全力で突っ込んでいた。


「仁王くんに廊下で会ったんだぜ?」

「……」


他愛もない話を始めた安里に仁王は起き上がってだからなんなんだ!と怒鳴りたい気分だった。大体会った覚えなか。会ったとしても覚えてなか。気持ちを落ち着かせるためか、それとも嘲りからか、仁王は小さく、誰にも気づかれないよう注意しつつ鼻で笑った。無論、安里は気づいているが、無視した。安里は自称空気が読める女だからである。


「忘れ物取りに行く途中だったよねえ。休憩時間に取りに来てさ」

「……」


はて、と仁王は安里への苛立ちをどう解消するか考えることをストップした。俺が安里にそこまで話すか?いや、ありえん、それはありえんことなり。休憩時間っちゅう限られた時間の中で俺が、女にそこまでお喋りするとは考えられん。ましてや相手は安里。つまり。安里のひとり言から仁王が出した結論は、安里はストーカーではないか、ということであった。いや、過去にそういうことが多々あった上に現在もストーカーとまではいかないが仁王の動向を探っている女子も居る。仁王の中で安里はストーカーに決定していた。ガサ、と布の擦れる音とともに仁王は起き上がった。なんじゃ、安里は最初から俺のことが好きで、俺はその卑しい感情を感じ取って嫌悪しとったんか。額に手を当て、そう考える仁王が安里の目にどう映ったのか、「おっはよーう、大丈夫?」と声をかけた。大丈夫、と下心をもって言われることは少ないのだが、安里を自分の敵と認識した仁王にとっては、その大丈夫でさえ汚らしいものに思えた。そんな仁王は、安里がにやりと笑ったことを知らない。


「気分はどうっすか?」

「……大丈夫なり」

「へー、仁王くんサボり?」

「そうなり」

「ふうん、ねえねえ仁王くん、私に何か言いたいことあるっしょ?」

「……そう、じゃな」


ほら、やっぱり。仁王は安里が自分を誘っているのだと思った。保健室に来て俺に会った女が言うんは大抵二種類。大丈夫?か、遊ばない?かのどっちかじゃった。遊ばないかということは、端的にいえばセックスしようということじゃった。銀色に髪を染めているからか、飄々としとるところからか、遊び人と勝手にイメージされたんじゃろ。


「遊んでほしいんか?」

「は?」

「じゃから、おまんは俺んことが好き。じゃからセックスしたい。違うか?」

「は?」

「…じゃから」

「いや、えっ?話が飛躍しすぎじゃね?」

「最後にはそこに行くんやし、話とかどうでもよか」

「よくねーよ!話しの終わりもそこじゃねーよ!誰がお前とセックスするかクソ!お前とヤるほどなら出夢とヤった方がマシだカス!あ、出夢って女だからヤれねーわ…てへっ」

「じゃあ、お前さんはなんで俺が休憩時間に忘れ物を取りに言ったこと知っとるんよ」

「えっ………まさかお気づきじゃ、ない?」

「は?」


今度は仁王が混乱する方になった。安里のひとり言には他の意図があった?俺は安里に会ってそれだけの会話をしたんか?


「いや、私は仁王くんとは会ってないよ。仁王くんにも記憶にないでしょーに」

「…おん」

「私が会ったのは、仁王くんの格好をした柳生くんだってばよ!まったく、なんでこの話の終わりがセックスになるかなあ」

「は?ちょ、ちょおまちんしゃい!」

「はいなんでしょうか仁王くん」

「柳生の変装、見破ったんか…?」

「あー、うん。柳生くんもかんなりびっくりしてたね」


やっぱりあれって見破っても言っちゃいけない系だったのかなと安里は内心焦る。表世界の人って妙なところで繊細だからなあ、扱いがわかんなくなってきちゃってるわ…やっべえ。そんなことを考えている安里と同じく焦っている仁王が居た。見破られた?あれだけ真似て、傍目には、少なくともさして親しくない人にはわからないレベルにまでいったあれが?刃音以外に見破る奴が?刃音が特別なんじゃ、ない?


「嘘じゃ!」

「えっ」

「刃音にしか見破れんのじゃ!刃音しか、刃音しか俺は認めん!」

「えっ」


突然ベッドから降り、そう怒鳴った仁王は保健室から出ていった。いきなりの流れに安里はひっそりと、会話のチョイスミスったな…と後悔していた。