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「あ、仁王じゃん」

「っ、」


ある日の放課後、安里は学校内をブラブラしていた。とくにすることがなかったというのもあるが、安里にとって放課後に校内をうろつくということが青春の一つだと思っているから、というのもあった。こうやって誰かと会えるとなおよしというわけである。対する仁王は制服ではなく、テニスウェアであった。部活を抜けだしてきたのだろうか、と安里は思案するが、仁王が部活を抜けだそうと休憩中であったのだとしても、忘れ物を取りに来たのだとしても。それは安里とはなんら関係ないことなのでどうでもいっかあ、と自己完結した。そもそも安里は仁王に何故か嫌われているようだったので、あまり仁王には干渉しないように気をつけていた。


「いやー、奇遇だね!仁王は今、部活中とかじゃなかったっけ?休憩とか?」

「お前さんには、関係、なか」


とはいっても、中学や高校という学校生活の中での人間関係というのは、例え嫌いな人であっても仲良くして、大人になる練習を無意識の内にするものだ、と考えているので、嫌われているだろう仁王にも笑顔で接している。


「えーっ、気になるじゃん、忘れ物とかだったら取りに行ったげるよ?仁王だって練習したいだろーし」

「…いや、今は休憩中じゃき、自分で取りに行ける。……もうええ?はよう行きたいんやけど」

「えっ、うん、あ、あっ、あーっ!」


なにやら歯切れの悪い返事をしたと思ったら、安里はいきなり仁王を指さし大きく声を上げた。それに対して仁王は至極迷惑そうに、いや、いくらか遠慮はしていたが眉を潜めた。はしたない。彼は、心の中でそう思った。


「やっべ、君ってば仁王じゃないじゃん!ごめん!間違えてごめん!」


安里の必死の謝罪よりも、安里の言葉に仁王は、仁王の格好をした誰かは驚愕した。まさか、バレた?確かにこの練習を初めて数カ月しかたっていないが、両方をよく知る人物でもない限り一発でバレることなどありえない。そんな、刃音さんのようなことができる人が居るわけ…。彼は驚愕からの焦りを顔に出しそうになったが、仁王雅治はポーカーフェイスが得意なことで有名、感情を読ませず相手を騙す。詐欺師などと呼び出す者も増えている。そんな仁王に成っているのだ、と自分に言い聞かせ、表情を締めた。


「何言っとるんじゃお前さん、俺は仁王雅治じゃき。頭でも打ったんか?」

「打ってねーよ!いや、普通にわかるっしょ。あ、わかんないか、普通は。私みたいなのだったらすぐわかるけどねー、うーん、もしかして指摘しちゃいけないことだったり?」

「…本当にそう思うんか?俺が、仁王じゃないと」

「そう思うも何も…ねえ。君は仁王の格好をしてるし、仁王の口調だし、ぶっちゃけ普通はわかんないだろうけど、確かに君は仁王じゃないんだよねー」

「……そう、ですか」


「私もまだまだですね、」と彼は銀色の髪をするりと取りながらそう言った。「お、おぉー…」と安里から感嘆の声が漏れる。銀髪を脱ぎ捨てた彼は少し色素の抜けた茶色の髪で、仁王の怪しげな雰囲気から一転、知的な雰囲気の漂う好青年へと変化した。そのウィッグどういう仕組なんだよ…と安里はつっこみを入れたかったがそこはご都合主義のこの世界、と割りきって口には出さなかった。


「どうして分かったのですか?私が仁王くんではないと」

「禁則事項ですー。強いて言うなら私だったから、かなあ。ほら、世の中広いんだし、そういう人の一人や二人居るさ。銃をゼロ距離でぶっ放されても生きてる人だって居るわけだしね!」

「流石にゼロ距離射撃では生き残る人は居ないと思いますが…そうですね、そういうことにしておきましょう」

「そういうことにしておいてくだせえ!」

「では、自己紹介が遅れましたが、私は柳生比呂士です。一応テニス部で仁王くんとは時々ダブルスを組ませていただいております」

「うわーっ、仁王と違って礼儀正しい!まるで紳士!私は安里雪です!安い里の雪って書いてアサトススギね!」

「珍しいお名前ですね…。恐らく洗い流す、などの意味を込めてススギ、なのでしょう。とても素敵な名前です」

「そ、そんなこと言われると照れるってばよ…!てか、柳生くんって、もしかして、たまえとか言う?たまえとか言っちゃう?」

「たまえ、ですか?」


ふむ、と顎に手を当て考えだす柳生。柳生という名前と、テニス部に所属しているという話を聞いてから、安里は切原とぶつかり罵倒されたときの中に、柳生先輩がどうのこうの、たまえがどうのこうのということが混ざっていたことを思い出していた。今までの会話で確かに止めたまえ!とかナチュラルに言っちゃいそうだな、と感じていた安里であったが、本人の口から聞くまではあまり信じられる話ではなかった。今のご時世、若者の言葉の乱れが問題になっているというのに、たまえなどというしっかりとしていて、日常においてあまり聞かないであろう言葉を口にする中学生が居るなどとは思えなかったからだ。


「あぁ、確かに何々したまえ!とは言いますね。意識しているわけではないのですが…」

「えっ、やっぱり?すっげー!私みたいに若者語で喋る人がほとんどなのに、柳生くんってしっかりしてるんだねー」

「同級生にそう言われたのは初めてです」


どこか照れくさそうに言う柳生を見て、やばい柳生くん何かかわいい、と安里は内心デレデレだった。安里はかわいいものが大好きなのだが、いかんせんその辺りのセンスが一般より若干ズレていた。若干、であるから賛同者も少なからず居るのだが今の場合かわいいと思う要素はあまり無かっただろう。


「ところで安里さんは、この間転校されてきた方なのでしょうか?」

「うん、そうそう。やっぱり噂だったりするの?」

「ええ、金髪の女子が転校してきた、と最近よく耳にしました。金髪と聞いて勝手に素行の悪い方を想像していたのですが…、人は見かけによらないということですね、すみません」

「いやいや、そんな丁寧に謝罪されると困っちゃうわ…いいよ、普通はそう判断するでしょ!まともな神経してたらそもそも髪の毛染めようなんて思わないって!」

「そう言っていただけると幸いです」


ぺこりと頭を下げる柳生に安里も釣られて頭を下げる。な、なんていい人…!ジャッカル並にいい人だわ…!と感激している安里と、思ったよりも話しやすく明るい素敵な女性ですねえ、と考えている柳生がそこには居た。刃音さんとはまた違ったタイプの女性ですが、安里さんの方が幾らか接し易いですね。私の性格的には落ち着いた刃音さんの方が合っていると思っていたのですが…、やはり騒がしい人が恋しくなるのでしょうか?丸井くんや切原くんも十分騒がしいのですが…。と続けて柳生は思案していたが、それは安里の知る所ではない。


「あっ、ところで柳生くんって何か用があって来たんだよね?」

「はい、仁王くんの忘れ物を少々…」

「うわ、仁王のパシリ?」

「まあ、それもありますが、仁王くんの姿で歩きまわり、知り合いに出会ったときの反応などから変装の完成度を見極めるために、たまにやったりしています」

「そっかあ、テニスで生かしたりするの?あ、相手の動揺を誘う的な?」

「その通りです。まだ実践では試してはいないのですが、実力だけでは十分に勝利できると言えない相手に使う予定です」


なるほど、と安里は関心した。中学生ながらも考えているな、と考える安里も中学生である。中学生にしては賢いな、と考える安里も、中学生である。ちらり、と時計を確認した柳生は、「それでは、そろそろ休憩時間も終わりそうなので行かせてもらいます。アデュー!」と言った。「あ、あでゅ、おっけ、アデュー!」どもり気味だったが、安里もそう口にした。柳生くんって、何キャラ。銀色の髪に戻りつつある柳生の背中を見ながら、安里はそう思った。