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※名前変換


私の記憶の中の遠山金太郎は、いつも笑顔で少し子供っぽかったと思う。
いや、きっとみんなの中の遠山金太郎も、いつも笑顔で、かわいいという印象なんだろう。


運命か、と言われるまでに遠山と私は縁があった。入学式、私は彼の落としたハンカチを拾った。入学式ぐらい、と母親に持たされたらしいが、普段持ち歩いていないために入れ方が雑だったようだ。これがきっかけで、二回目の席替え、離れてもいなければ遠くもない席だった私達は隣同士になった。以降の席替えでもずっと隣同士である、一度も、離れたことはない。多分、これが始まり。
隣だからよく話すし、一緒に帰ったこともある。休日に遊びに行くこともあるから、仲が良いとは思う。でも、友達じゃないと、私は信じたい。友達で終わらせたくはない。

いつだったか、クラスの子が付き合ってるの?と私達に問いかけたことがある。上の言葉から察しのように私は遠山がその頃にはもう好きだったから酷く狼狽えたのだけど、遠山はあっけらかんと、付き合うって何が?と答えたのだ。……自由奔放で花より団子、といった遠山には恋というものがないのだ。割とかっこいい遠山だがお子ちゃまと言われ、遠山には劣るがイケメンの島田くんの方が人気である。


「……遠山?」

「…名字」


そんな遠山がここ最近、私を避けているみたいだった。授業中に話しかければ笑顔で答えてくれたのに、最近はぎこちなく返事した後に机に突っ伏してしまう。一緒に帰ろうと誘えば目を泳がせて小さな声で断られた。私の中の甘酸っぱい恋心は、遠山の行動に鈍い痛みを伴うようになった。どうして、なんで、なんて聞ける勇気もなくて、ただただ辛くて、私何かしたかなって毎日考えて、たまに話しかけづらくもなったけど、ここで私が遠山に歩み寄るのを止めたら、遠山との縁がもう終わっちゃうような気がして、遠山がよそよそしくなっても、遠山に近付くのを止めなかった。
遠山が避けるようになってからは遠山の笑顔は部活でしか見れなくなったから、私は毎日部活を学校の屋上で見るようになった。コートの側じゃ、遠山に見つかってしまうから、遠くから、そっと見ていた。黄色いボールを力強く返す遠山は誰より輝いていて、誰よりかっこよかった。自信に溢れたそのテニスが私は大好きになった。多分、前よりもっと遠山のことが好きになっちゃったんだろうなあ。


「何かあった?」

「……あった」

「…私に話せること?」

「…わからへん」


だから、今日もこうしてテニスをしている遠山を見るために屋上に来た。だけど、先客が居た。すごく気まずい先客が。
こちらに背を向け、私がいつもコートを見ているところに座っている遠山の背中に話しかける。素っ気ない言葉にちくりと心が痛む。遠山は今、どんな表情をしているんだろう。無造作に置かれたテニスラケットの近くに私は座った。遠すぎず近すぎず、まるで今の私達の心の距離のようだった。


「……よおこないな場所見つけたな。コート丸見えや」


ピタ、と私の動きが止まる。私が見てたって、知ってたの?瞬きも止まる私の方を向かずに、遠山は続けた。


「コートからな、ふと上を見上げるといっつも居んねん」

「……」

「何楽しそうに見とるんかなあって思ったら、ワイを見とったやん」

「、……」

「ワイな、そんとき気付いたんや」


そんなことを言われても私はどうしたらいいのかわからない。やっとのことで微動だにしない遠山の方を向いて、私は「…嫌だった?」と聞くと、その赤い髪を大きく揺らして首を横に振った。嫌では、なかったらしい。その事実にほっとしつつも、静かな遠山にビクビクしていた。こわい。遠山に嫌われるのが怖い。ストーカーのようだ、と思われていないだろうか。軽蔑、されていないだろうか。
ぐるぐると嫌な考えばかりが私の中を巡る。ずん、と重たい何かが私のお腹の辺りに落ちる感覚がした。


「ちょっと前にな、林に告白されてん。遠山くんが好きです、付き合うてください、って」

「…う、うん」


遠山の突然のカミングアウトにびっくりして、声が掠れてしまった。林、どこかで聞いたことのある名前だ。


「でもな、そんときは好きとか付き合うとか、そおいうんわからんかったから断ったんや。恋とかわからんからすまんなあ、って。そしたらな、林がウチの顔見て何か思わんの?ってぎゅってしてきたんや」


淡々と話す遠山にどうしてこんなことを私に話すんだろうって思った。遠山とは並ならぬ縁がある、けど、恋愛相談をされるような間柄までではない。…もしかしたら、遠山は私のことを気のおける女友達って思っているのかもしれない。
そう考えると、辻褄が合うような気がした。林さんに告白された遠山は、恋とかわからなかったけど、林さんの猛アタックに目覚めて、付き合い始めた。そしてなるべく他の女の子に近付かないようにした。……自分で考えといてなんだけど、あまり信じたくないから今は信じないことにしよう。そうじゃないことを願う。


「でもな、ワイ何も思わんかった。林は女の子にこういうことされたらドキドキするでしょ?これが恋の始まりなんよ?って言ってきたけどな、やっぱり何も思わんかった。ごっつ近くで顔見たけど、かわいい言われとる割にはかわいくないなっちゅーことしか思わんかった。むしろ、」

「むしろ?」

「……なんもない」


急に言葉を濁した遠山。そこで私は思い出した。そうだ、林さんってみんながかわいいって言ってるあの林さんじゃないか。
思い出さなければよかった事実に私は頭を抱えた。文字通り、頭を抱えたのだ。膝小僧に額を擦り付けて涙を堪える。林さんなんかに、私が敵うわけないじゃない。林さんと私を比べるなんて惨めなことはしないけれど、確実に言えることは、林さんの方が私より数倍、笑顔だってことだ。
いつも笑顔の遠山と素敵な笑顔の林さんじゃ、もうお似合いって言うしかないじゃない。そこまで考えてポロ、と涙が一粒出てきた。流さないように耐えていたはずなのに、いとも容易く零れてしまった涙が酷く惨めに見えた。


「……なあ」

「…ん?」

「今からすること、怒らんでな」


一言、声を出すだけで精一杯だった。これ以上喋ったら、涙を止められないって、思った。
遠山のすることになんで私が怒らなきゃなんないの、と、心の中で苦笑したとき、ぎゅ、っと優しく抱かれた。


「好きやねん」


カラカラの喉では返事をするのもやっとで、戸惑いながらも遠山に声をかけようとしたら、ただ一言、たった一言、好きだと、遠山はそう言った。
包み込むように私を抱く遠山が、耳の近くで喋るものだから、私は嫌でもその言葉を聞けた。少し、こそばゆい。


「林にそおいうことされてから、名字の顔見るとドキドキするようなってもうたん。心臓、痛くて、隣に居るんも辛かったし、名前呼ぶんも辛かってん。そんでな、コートからこっち見とる名字の笑顔見て、思ったんや。ワイ、名字のこと好きなんやって」

「……あ、あの、さ」

「……もしかして、嫌やった?…ごめんな、」

「違う、違うの。あのね、遠山、ありがとう、」

「なっ、なんで泣いとんねんっ!」

「だって、遠山が好きっていうから、ひっく、うわああああん!私も好きだばかああああ!」

「ば、馬鹿とはなんやー!ワイかて好きや!名字好きや好きやー!」

「好き好き言うな照れるだろおおおおお!」


わんわん泣きながら好きという私はさぞかし滑稽だっただろう。だけど、そんなこと気にならないくらい幸せな感情が私を満たしていた。うれしい、うれしい!遠山が私を好きといってくれたこと、遠山が私のことを嫌いになっていなかったこと、違う女の子と付き合ったわけじゃなかったこと、もう、色んなことが嬉しくて、涙が止まらなかった。
私が大きく泣きだしたことに驚いて私から離れた遠山だったけど、私の大泣きが治まってきたからか、またぎゅっと抱きしめてくれた。今度は、私も手を伸ばして、遠山を抱き返した。


「名前で、名前で呼んでくれへん?」

「…きんたろう」

「もっと」

「金太郎」

「もっともっと」

「きーんーたーろーうううう!」

「何また泣きだしとんねん、名前」

「幸せだばかああああああ!」

「名前は馬鹿っちゅーん好きやなー!」


私の耳元で笑う彼はいつものままで、私の中に安堵の感情が広がっていったけれど、急に離された体、そしてその後に予告もなしにきた唇への優しい感触に、私の心は大荒れだった。
悪戯が成功したように笑う彼の顔を見て、私も笑った。人懐っこい笑みではなく、どこか男らしい笑みにどうしてときめかずにいられるか、私は知りたい。


きっとみんなの中の遠山金太郎は子供っぽくて、いつも笑顔なかわいげのある人だろう。
でも私の中の遠山金太郎は、いつも笑顔でかわいいけど、誰よりもかっこよくて男らしい人だ。



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理想郷」様に提出。素敵な企画、ありがとうございます。
六仮様より素材をお借りしました。


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