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遠山くんを連想させる真っ赤な携帯のボタンをゆっくり押して、アドレス帳から、遠山金太郎の文字を探す。高校生になってから一年、私たちはもうすぐ二年生になるけれど、実は遠山くんとは疎遠になっていて、最後に話したのは去年の冬休み前だったと思う。お互い慣れない環境で自分のことで精一杯だったんだろう。でも、こうして遠山くんと離れても、私の心の中の恋は消えること無く、私の中にひっそり、眠ること無く静かにあった。
マナーモードの為、ボタンを押す音は聞こえないけど、物理的なカチカチという音が静かな部屋に響いて、それが私を緊張させる。大丈夫、しばらく話してなくったってちゃんと話せる。あれだけ話してたんだから、ちゃんと覚えてる。大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせ、発信ボタンを押す。心臓がドキドキとうるさい。そんな心臓とシンクロするように電話のコール音が私の耳の中に響く。うう、出てください…!いややっぱこわいから出ないで…!うそ、出てください…!ちぐはぐな思いは、きっと混乱しているからだと思う。そんな中、コール音が途切れて、『もしもし?』と、少しだけ低い声が聞こえる。で、出た…!


「と、遠山くん!私、名字!」

『おぉー、名字か!久しぶりやなあ』


大きく笑う遠山くんは、最後に話した遠山くんと何も変わっていなかった。私にとって心地良い声が私の名前を紡ぐたびに心臓が一層大きく鳴る。


「いきなり電話してごめんね」

『そんなん気にせんでええって!んで、何の用やったん?』

「あ、あのね…遠山くん今日、誕生日でしょ?」

『おお、そやけど…』

「だから、誕生日おめでとう、って…言おうと思って電話したんだ」

『あ、そ、そっか…おおきに!』

「ううん、誕生日プレゼントも何も用意してないけど…お祝いだけでもしたくて」

『……』

「遠山くん?」


急に無言になった遠山くんに、私の中は不安でいっぱいになる。もしかして、迷惑だったのかな、彼女でもない女の子に電話されて。「と、遠山くん…」もう一度、彼の声を呼んだ。電話の向こう側は騒がしく、駅の辺りにでも居るのかなあ、と私は推測する。忙しかったのかもしれない。ちく、と罪悪感に似た何かがこみ上げる。遠山くんに迷惑をかけたかったわけじゃないのに、何やってるんだろう、私。


『あー、あんなあ、名字』

「な、なに?」


急に呼ばれて声が裏返った。は、恥ずかしい…!だけど、遠山くんはそんなことは気にしていないらしく、『今どこに居るん?』と聞いてきた。


「いまは家だけど…」

『あー、ほんなら××駅に来れる?』

「うん、すぐに行けるよ」

『ほな待っとるわ』


ピッ、と切られた電話に戸惑う。えっ、××駅だったらここから10分もすれば行けるけど、待ってる?えっ?遠山くんが?
キャパシティオーバーしている私の脳が、やっとその情報を整理し終わったと同時に、私は駆け出す。遠山くんに会えるんだ!

通学に使っているその駅への道のりはいつも見ているものなのに、今日は全速力で走っているからか、少しだけ違う道のように感じた。歩いて10分の道のりは、どうやら走ると5分になるらしい。使い慣れた駅の入り口には、真っ赤な髪の彼が、遠山くんが立っていた。制服と、大きなラケットバッグから部活帰りなことが伺える。
私はそこでハッ、とした。私、部屋着のまま飛び出てきちゃった!かわいげのないジャージは酷く滑稽だった。これはやばい、と私は一歩後ろに下がるが、遠山くんは私に気付いたらしく、「おーい、名字ー!」とぴょんぴょん飛び跳ねて、私の名前を呼んだ。ダッ、と駆け足でこちらに来る遠山くんに私は「…、あ、…」と間抜けな声しか出せなかった。


「すまん!急に呼び出してもうて!」

「い、いや、いいけど…」

「名字、急いで飛び出してきたんやろ?汗かいとるわ」


そう言って私の額に伝う汗を拭う遠山くんに、私の動きが止まる。いっ、いいいいいいま!私のおでこに遠山くんの、て、てててて手が!手が!「顔も真っ赤やし…」それは遠山くんのせいです!とは言わなかった。


「でっ、で!どうしたの、遠山くん」

「おぉ、そやそや。ワイ、名字から誕生日プレゼント欲しくてなあ、」

「え、だから私用意してなくて…」

「用意なんかせんでもええよ?もうあるんやから」


え?と私が遠山くんの方に顔を上げた途端に、遠山くんの顔が迫る。
そっ、と私の唇に遠山くんの唇が重なる。1、2、3、4、…何秒かわからないぐらい、長いキスで、本当は短いかもしれないけれど、私には長く感じられて…いや、本当に長いキスだった。名残惜しげに離れていく遠山くんの唇に、私は蕩ける。すごく優しかった。あと、遠山くんってたこ焼きの臭いがするって勝手に思ってたけど、遠山くんはそんな野暮ったい香りじゃなくて、ふんわりとした甘い香りだった。


「ワイは名字が欲しいなあ?」

「う、うん…」

「なあ、返事は?」

「わっ、私で良かったら、よろしくお願いします…!」


遠山くんの髪のように真っ赤な私の頬を遠山くんは一撫でして、「真っ赤やん」と言いながら二回目のキスを私に落とした。


「遠山くん!」

「なんやー?」

「誕生日おめでとうっ!」


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