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夏の大会は、結局青学に負けて終わってしまった。

私は一年生の頃からからテニス部にマネージャーとして入って、テニス部の一員として頑張ってきた。私が入った最初は、新入部員が居なかったみたいでみんな躍起になっていたけど、財前くんが入ってからは他の人達もたくさん入って。とてもにぎやかな一年だった。それから一年が過ぎて、夏の大会があった。白石部長が今年は全国一位、狙える!なんて言って、本当に全国に行けたけど、結局決勝には行けなかった。冒頭の通り、青学に負けたのだ。それが私が二年の夏のこと。それから夏休みも終わって、部長たち三年生は受験のために部活を引退したことにはなっているけど、こうして部活に顔を出して、熱心に後輩を指導することも多々あった。
そうそう、夏休みの間に故障して、休部していたテニス部員が、少し遅れて復活した。ただ、あまりテニスに熱心な人ではなかったから周りの部員は「おかえり」と口にするだけで「がんばろう」とは言わなかった。それは私も同じで、「おかえり」と少し笑った。だって、レギュラーになるだけの実力は今のところ無さそうだし、やる気のない人にがんばれ、なんて言えるほど私は優しくないし。しかしそれからどういうことなのか、彼に付きまとわれることになった。風の噂で聞いたことだけど、彼は私が好きらしい。誰かが悪戯に流したのか、はたまた事実なのか、自分のことだというのにあまり興味はない。ない、のだけれど、こうして仕事をしているときに話しかけてくるのはやめてほしい。ほら、そこどいてよ。ドリンク作りに行けないじゃない。
「…で、」「生意気な新入部員が…」「……うざいんだよなあ」うざいのはお前だよ、とは言わなかった。というか話の半分も耳に入ってきてはいない。新入部員がどうのこうの、って話らしいけど、それを私に話してどうなる。あ、そっか。今更新入部員の話なんかできないもんね…。って、だからどうして私に話すんだ。そして今更だけど、君の名前なんだっけ。「なあ、聞いてる?」「聞いてる」聞いてませんとは言えなかったから、私は目を合わせずに嘘をついた。「新入部員がどうのこうのって話でしょ」「そうそう!」あ、新入部員といえば、一年生でいつも私に話しかけてきてくれる男の子が居る。遠山金太郎くん。こいつみたいに仕事中にべらべら話しかけてくるんじゃなくて、ちゃんと頃合いを見計らって来てくれるいい子だ。ゴンタクレとか言われてる通り、部活の間はわがままだし、先輩に敬語を使わないし、試合はめちゃめちゃだけど、どうしてなかなか憎めないかわいい後輩である。そしてテニスが強くて、一年生でレギュラー入り。実力があるからか他の先輩方は遠山くんが敬語を使わないことに対してもう咎めることはなかった。遠山くんめちゃくちゃかわいい。あれ、でも心なしか、私と話してる時は遠山くん、あんまりゴンタクレてないなあ。私的にはもうちょっとわがまま言ってもいいのに。手の付けられない弟を持ったみたいで少し嬉しいじゃん?


「おい、やっぱ聞いてないやろ」

「聞いてるってば」


その時の私の顔は盛大に歪んでいただろう。ごめん、でも正直立ち話するの疲れたんだ。あと、相槌を打つのにも。あぁ、あと15分もすれば休憩時間に入っちゃう!まだドリンク全然できてないって、やばいよこれ!そろそろ舌打ちしそうだよ私。チッて盛大に打ちそうだよ。というかお前、練習はどうした、練習。


「練習は?行かなくていいの?」

「あー、ええねん。ほら、俺、足怪我しとったやろ?せやから、な。それに大会も終わってもうたし。てかさあ、ちょっといま時間ええ?」

「いや、ドリンク作らなきゃいけないんだけど…」

「あんなん粉入れて水入れるだけやん。ええやろ?ほな来てや」

「え、ちょっ」


ぎゅ、といきなり私の手首を掴み、どこかへ行こうとするこいつ。いやいや、確かに粉入れて水入れて終わりだけど!あれ運ぶのすごく大変なんだからね?そしてあと10分くらいしかない中であの量を作るの大変なんだからね!?
引っ張られるがままに進む。少しは抵抗してるけど、こいつはまったく気にする様子がない。ちょっと待って、本気でやばいってば、なんで私を連れてくの!?


「おい、ねーちゃん離したれや」

「あん?」


そうやって私が地味な抵抗をしていた時、現れたのは遠山くんだった。仁王立ちでこちらを睨む遠山くんの額には微かに汗が滲んでいた。まだ休憩時間ではないはずだから、遠山くんは練習を抜けだしてここに来たのだろうか。そう思うと、私の中で罪悪感がこみ上げてきた。


「あ、こいつだよ。さっき話しとったうざい新入部員っつーやつ」

「離したれや!」

「うっぜーな、お前には関係ねーだろ。つーか先輩に敬語使えよ」

「お前になんか使う必要あらへん!ねーちゃん嫌がっとるやん!」

「は?嫌がってなんかねえやろ。なあ?」


どうして私に話を振ったんだ、と思いつつ「いや、だからドリンク作らなくちゃいけないんだって…」と言えば「ほら、嫌がってはねえじゃん」とこいつは遠山くんに勝ち誇ったような顔で言った。所謂ドヤ顔。あれ、この人日本人だよね?どうして日本語が通じないのかなあ…ははー…。
「ねーちゃんはマネージャーや!ねーちゃんはやることやらんのが一番嫌いなんや!お前そんなことも知らへんのか!」そう言って私の手首を掴んでいるこいつを睨む遠山くん。あ、前に私が言ったこと覚えてたんだ、と場違いな感動をする。その話をしたときは、ちょうど初めて遠山くんと帰った日だった。町中にある遠山くんのオススメのたこ焼き屋さんの前のベンチでたこ焼きを食べながら部活のことを話したり。きらきらとした目でテニスのことを語る遠山くんは本当にテニスが好きでたまらないんだ、と思った記憶がある。テニス部になんとなく入っているだけのこいつとは大違いだな。白石部長やみんなが遠山くんを贔屓するのもわからなくもないって、あの日私は初めて思った。


「おい遠山。調子乗ってんやないで。そもそもお前みたいなチビがレギュラー入りなんておかしいねん。なんかコネでも使おたんやろ?あ?」

「なにそれ、言い過ぎじゃないの?」

「はぁ?お前、こいつの肩持つの?」

「あんたは休部してて、見学にすら来なかったから知らないだろうけど、遠山くんのテニスはめちゃくちゃすごいんだからね?」

「あんなめちゃくちゃな戦い方で勝てるわけあらへんやろ!白石部長とかが手加減しとるに決まっとるわ!お前マネージャーのくせにそないなこともわからんのか!」


お前の方こそ誰が見ても分かる遠山くんのすごさがわからんのか!と怒鳴り返したかったけど、遠山くんの静かな「つまり僻みやろ?」と言う声に、熱くなっていた場は急激に冷えていった。「なんやと、遠山?」という偉そうな声に、遠山くんは再度冷たい声で「せやから、僻みやろ?ワイがレギュラーなって、お前がレギュラーなれんかったことの」と言った。遠山くんのこんなに冷えた声は初めてだし、何より遠山くんが怒る時のイメージはもっと…噴火するようなイメージだったからびっくりだ。


「言ったな遠山。そんなら今から試合や。先輩がテニスっちゅーもんを教えたるわ!」

「そろそろ休憩時間やしええで?やられたらやり返す!ねーちゃんが今まで迷惑しとった分返したるわ!」


遠山くん、知ってたんだ。そう思った時、やっと手首から圧迫感が消えた。腐ってもテニス部員、握力だけはあるようで、手首は目に見えて赤くなっていた。痣にはならない程度だと思うけど、あいつが赤くしたんだと思うと気持ち悪くて仕方ない。「ほな、準備してくるわ。ちょお待っとけ」と私に向けて言う声を無視して手首をさする。
すると、遠山くんがこちらにぱたぱたと近寄って、私の手をとった。「あちゃあ、赤なっとるわ…」顔を歪めながらそう言い、優しく私の手首を包む遠山くんの声色に、不覚にも私はときめきを覚えた。どきん、と跳ね上がる心臓。そして遠山くんの暖かい手が私の心臓の鼓動をはやめていった。


「ねーちゃん、見とってな。ワイ、ねーちゃんのために、あいつコテンパンにしてきたるから!」


ニッと笑って「ほな!」とコートの方に行く遠山くんの背中は、どうしてだろう。すごく頼もしく見えた。







結局、私に付きまとっていたあの男が笑っていられたのは最初の数秒だけで、遠山くんの圧倒的な強さに一瞬で笑みが消えていった。試合の結果は遠山くんのラブゲーム。手加減なしの遠山くんに他の部員が「えげつねえ…」と呟いていたが、全くを持ってその通りだと思う。
試合終了後、茫然自失としたあいつに遠山くんは何か一言かけた後、一直線にこっちに来た。


「なあなあ!ワイどやった!?」

「かっこよかったよ。ドリンクもなんとか作れたし、本当にありがとう、遠山くん」

「かっこよかったんかー、ワイ、かっこよかったんかー!」


なにやら嬉しげな遠山くんを見て、笑みが溢れる。結局ドリンクは休憩時間に間に合わなかったのだけど、少し遅れて、間に合ったというのは内緒の話だ。あと、氷を必要以上に使ったというのも内緒。


「遠山くんもドリンク飲んでおいでよ?」

「あー、せや、あんな、その、遠山くん言うの止めてくれへんか?」

「え?じゃ、じゃあ、金ちゃん、とか?」

「お、おんっ!」


少し照れたような表情の遠山くん、もとい金ちゃんを見て、また心臓がはやく動く。
いやいや、まさか。私が、金ちゃんを、そういう意味で好きだなんて、そんなことない、と思う。確かに試合の中での金ちゃんはかっこよかった、けど。


「ねーちゃん!」

「なに?」

「ワイ、チビでゴンタクレでなんやええとこないような男やけど!」

「うん?」

「これからもよろしゅうな!」


いつものように笑っているはずなのに、どこか違うように見える金ちゃんを見て、私は諦めるしかないと思った。私だって女の子だもん。庇護欲と恋の違いぐらい分かる。遠山くんから金ちゃんと呼び方を変えるだけで、どこか近くなれた気がして、その笑顔が私だけに向けられているんだ、なんて思っている時点で、私は金ちゃんが好きなんだろう。金ちゃんって天然そうだし、恋に疎そうだからなあ…。振り向かせるの、難しいかも。勝ったもん勝ちや!って言うけど、この場合惚れたもん負けじゃないかな。
でも、金ちゃんになら負けてもいいかな、なんてね。



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Luv Fes』様に提出

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