夏は嫌いだ。蝉がうるさいし、ジリジリとコンクリートから昇る熱と太陽から発せられる熱に体力が減っていくし、額には汗が滲むし着ている服が肌にくっつく感覚が気持ち悪い でもそれだけじゃない。この時期になるとあることを思い出すから、もっと嫌いだ。
△ 小学生のころから友達とよべる人はほとんどいなかった俺だが、一人だけ仲が良かったと言える奴がいた。名はなまえといって、不思議な女の子だった。 元気盛りな小学四年生、大人しく無口だった俺はクラスに馴染めずにいた。その中で、はじめて隣の席になった女の子がいた。俺にやたら構ってくる子で、口数が然程多いわけでもない俺に、いつも笑顔で話しかけてくれた。その子がなまえで、子供の頃の唯一、友達と呼べる人だった。
△ そして夏休み、忘れられない日がやってきた。彼女の口からでた言葉は鮮明に覚えていて、ひどく動揺したのも覚えている。 「わたし、転校するんだって」 いつもの冗談だと思った。ちらりと見えた彼女の瞳は、足元に滴り落ちるアイスの雫の水たまりを見つめていた。 「…そうなんだ」 自分の口からは気の利いた言葉はでてこなかった。それでも彼女は「うん」と微笑んでまたひとくちアイスを頬張った。彼女の口の中に消えていくアイスを見ているとよくわからない感情が胸のあたりを支配していくから目をそらしたんだった。 「いつ?」 「きんようび」 「あした?」 「…うん、ずっと言えなかったの。ごめんね」 謝ってほしかったんじゃない。会えなくなるって思うのもよくわからない。それでも伝えなきゃいけないことが、あるんだ。もうすぐ話すことができなくなってしまうなら、それまでに言わなくちゃ、いけないことがあるんだ。
△ それでもその日は言えなくて、いつもなら21時には寝るのに23時まで眠ることができなかった。 嫌だって言えるなら言いたいけれど、きっと何も変わらない。子どもがひとり反抗したところで変わらない。だから、素直に受け止めるしかないんだと心に深く感じた。 そしてあの子がいなくなってしまう当日。いつもの駄菓子屋に向かった。相変わらずお気に入りのアイスを食べている彼女を見て、あしたもあさってもいつまでもこのままな気がした。それでも彼女が背負った大きなリュックがいつもと違って、ああやっぱり、神様は残酷だと思った。 「こうじろうくん、」 「なに?」 「はいこれ」 彼女がリュックから取り出したのは、いつだったか彼女が本を読むときに使っていたシオンの花の栞だった。 「くれるの?」 「あげる。つかってね」 「…ありがとう」 受け取るときに触れた指先の感触が消えないように、花の栞を折れないように強く握った。 「あんまり、時間ないんだ。もう行かなくちゃ」 へら、と笑った彼女がもう消えてしまうんだと思ったとき、勝手に自分の体が動いていた。 はじめて掴んだ手首は細くて、勢いで掴んでしまったことを後悔した。ぱっと離して、数秒間の呼吸。頭の中に巡る言葉が口から飛び出そうだった。もうひとつ、すうっと息を吸い込んで放った言葉は思っていたものとはやはり違っていた。 「またあそぼう」「君が好きだよ」 大きな瞳をぱちりと瞬きした彼女は、笑って手を振った。 「うん、またね」
△ また思い出してしまった。思い出すたびに苦しくなる位なら、はやく消えてしまえばいいのに。 そんなことを思っていても、手の中にある小説にはあのときのシオンの花の栞が挟まっているんだから、忘れるなんてきっといつまでも出来ないんだろう。 そういえば、シオンの花言葉って何なんだろう。本に栞を挟んで閉じて、ネットを開いて検索した。
△ 蝉の声が聞こえてくる窓を見つめても、目の前がぼやけてきていてよくわからない。それでもこの夏が、嫌いだとはもう思えなくなってしまっていた。来年も再来年も、ずっと忘れることはないあの日を思い出しても、きっと、それは俺の好きな夏になっている。 シオンの花言葉「貴方を忘れない」 ちょっと、聞いてよ Song by 転校生/クリープハイプ
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