屋上からの階段を降りて廊下に出ようとすると、ざわざわとした人の話し声が聞こえてきた。この近くの教室では美化委員会が開かれていたから、きっと、委員会がちょうど終わったところって感じか。もうちょっとしてから廊下に出よう。誰にも会いたくないし。 そっと階段の踊り場の影に隠れて、人の足音が聞こえなくなるまで待つ。 聞こえていた声も無くなった。そろそろ行こうか、と足を踏み出した刹那のこと。 「あ」 いま、最も会いたくない人に出会ってしまった。 「あ、蛍くん…って、え、ほっぺた!」 ああもう最悪。すっと手の甲で頬を隠すけれど時すでに遅し。驚いた表情のなまえが僕に慌てた様子で近づいてきた。 「そ、そそれどうしたの?」 「…別に何も」 「は、はやく保健室行かないと!」 「…いい、」 「よくないよ、!」 「あんたに、関係ないデショ」 また、思ってもないことを言ってしまった。ちくりと痛んだ心臓には気づかないふりをして、ちらりと彼女を見ると、真剣な顔をしたなまえが僕を見上げていた。目を合わせてられなくてすぐに逸らしてしまったけれど。「ちょっ、」突然、頬を隠していた手を取られ、ぐっと引っ張られたせいで体が動いた。 小さくて暖かい手に引っ張られながら、廊下を進むなまえの背中を見つめた。 「関係なくないよ、わたし、蛍くんのこと大切に思ってるんだよ!だから、おせっかいかもしれないけれど、怪我をしてたら心配にもなるっていうか、助けてあげたいっていうか、うーん…」 なんて言えばいいんだろう、と唸っているなまえに、じんわりと、硬くなっていた心がじわじわと溶けていくような気がした。 足を止めて、彼女の名前を呼んだ。 「なに?」と振り向いた彼女を、僕は無意識に、腕の中に閉じ込めた。そして、彼女に聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで「ありがとう」と呟いた。 聞こえてないといいな、なんて人ごとのように頭の隅で考えるけれど、きっと、彼女には聞こえたのだろう。腕の中で、彼女の身体がぴくりと動いた、気がしたから。彼女の手が、僕の制服に触れた、刹那、パッと彼女の身体から離れた。 「なんてね。そういうのありがた迷惑って言うんだよ。保健室には言われなくても行くつもりだからわざわざ付いてこなくていいよ」 俯きながら早口でそう告げて、消えた腕の中の温もりに辛くなる前に、彼女の顔を見ないようにしてそそくさとその場から立ち去った。 手も腕も胸も、さっきまで触れていた熱を覚えていて、彼女の制服越しの肌の暖かさも柔らかさも抱きしめた時にふわりと香った髪の毛の匂いも、全てが僕を締め付けた。 ダメだと思えば思うほど、彼女に触れたくなるのはなぜだろう。 |