「お疲れ様でしたー」
「おつかれー」
各自の業務を終えた人からどんどん帰宅していくなか、私は任された仕事をなかなか終えられそうになかった。
残っているのは私を含めて五、六人だろうか。
「それじゃあ、名前ちゃん。残って手伝ってあげたいのは山々なんだけど…ごめんね!」
「うん!気にしないで、お疲れ様」
「お疲れ様!がんばってね!」
用事があるという美波ちゃんは両手を合わせてごめんね、と謝って急ぎ足で帰っていってしまった。
「手こずってるのか」
「康次郎くん〜」
仕事を終えた康次郎くんは帰宅の準備をしながら聞いてきた。
「売り上げ表の作成か」
「そうなの。こううのあんまり慣れてないから遅くなっちゃって」
「手伝ってやろうか」
「え!いいの?」
「ああ。急ぎなわけでもないしな」
「助かりますっ」
神は私を見捨てなかった!よかった、一人でやるのも心細かったからすごく安心した。
「あれ、古橋くん帰らないの?」
背中から聞こえた声に振り向くと、青山くんが帰る準備を終えて立っていた。
「私の仕事手伝ってくれるらしくて」
「そうなの?僕も手伝おうか?」
「ううん!そんな、悪いからいいよ」
「気にしないでよ。資料作成?」
「あ、でも、「苗字の気持ちも察してやったらどうだ」」
断るにも断れなくてどうしよう、と迷っていると、康次郎くんが間に入ってきた。私の気持ちを察しろ、て。
それになんだかいつもの無表情とはまた違った表情で少し怖い。
「え?」
「康次郎くん、」
「朝から入社早々噂が流れているんだ。その相手と一緒にいたら、周りの目も面倒だろう。」
「なにそれ、別に僕らは何も無かったんだし大丈夫でしょ。それになんで古橋くんに言われなきゃいけないんだい?」
「…同級生のことを心配してはいけないのか」
「同級生の枠にとどまってない気がするけどなあ」
はは、と空笑いする青山くん。
「はぁ、じゃ、今日は帰るよ。ばいばい、名前ちゃん。古橋くん」
「ああ。」
「うん、さようなら青山くん」
なんとなく気まずい雰囲気に止まっていると、康次郎くんが隣の美波ちゃんのデスクに移動して私の隣に座った。
「とりあえず、やるか」
「うん、そうだね!」
康次郎くんにコツや、見やすい構成などを教えてもらいながら資料作成を進めていく。
たまに近くなる距離にドクンと反応する心臓。気付かれてるんじゃないか、というくらい早くなる鼓動に無駄に疲れてしまった。
「よーし!!!おわった!!!」
三十分ほど過ぎたころ、遂に完成することができた。
凝った肩を解すように腕を回していると、頭に手が置かれた。
「わ、」
「お疲れ様。」
「ううん、康次郎くんのお陰だよ!ありがとう」
「どういたしまして」
ぽんぽん、と優しく頭を触られる。子供扱いみたいでちょっと恥ずかしいけど。
「よし、帰るか」
「うん!ごめんね付き合わせちゃって」
「好きでやったことだ。気にしないでいい」
「さすが康次郎くんだー」
周りのデスクを見渡すと、残っているのはほとんど居ない。帰って行った人たちに気づかないくらい集中していたのか。
**
会社の最寄り駅付近。人はまばらで静かだ。
「電車だよな?」
「うん。▽△駅」
「俺もそこだ。」
「え!そうなんだ!」
「一人暮らしで引っ越したんだ」
「康次郎くんも?私も引っ越したの」
「そうか。▽△駅の近くなのか?」
「うん!歩いて五分くらいに新しく出来たでしょ?マンション!そこだよ」
「へえ、さすがにマンションは違うか」
「ふふ、会社も駅もマンションも同じだったら運命だよ」
「そうだな」
ふっ、と笑う康次郎くんに安心する。
青山くんと言い合いというか不穏な空気になったときはどうしようかと思ったけど…。
定期券を改札に通しながら、康次郎くんが思い出したように尋ねてきた。
「名前、」
「ん?」
「昨日、青山の家で泊まった、というのは本当なのか」
康次郎くんと視線が交わって、見透かされそうな気になる。
フリーズしてしまっていた私は、後ろからきた人にハッとして改札に入る。
「え、あ!違うんだよ!わたし!覚えてないのがその、申し訳ないんだけど…!本当に何も、なくて」
定期券を握りしめながら康次郎くんに目も合わせずに早口に言う。
あれ、わたしなんでこんな必死なんだろう。なんで、こんなに、勘違いされたくないって思ってるんだろう。
「そうか。なら、いいんだ」
「し、心配ありがとう?」
「疑問はいらない。」
あ、笑われた。
なら、いいんだって、
「それって、「電車が到着しますー。後ろに下がってお待ちくださいー。」
どういう意味なの。って聞こうとした私の声は、駅員さんの声とやってくる電車のブレーキ音に消されてしまった。