「名前!」
ぎゅっと抱きしめてきたのは美波ちゃん。一日ぶりの出勤なのに大袈裟に喜んでくれる美波ちゃんに口元が緩む。
「心配かけてごめんね」
「ほんとに、でもよかった」
ありがとう、と彼女の頭を撫でていると後ろからぽん、と頭に手をおかれた。
「おはよう、もう大丈夫なのか?」
顔を上げると康次郎くんがいた。昨日の映像が頭に流れ込んで来て、お礼を言わないといけないことを思い出した。
「うん、あの、昨日は本当にありがとう。お礼も言わずに帰しちゃってごめんなさい」
ぺこりと頭を下げると「いや、俺も何も言わずに勝手に帰ってすまなかった」と謝られてしまった。謝る必要なんてないのに、と口から零れるのを止めたのは美波ちゃんだ。私の耳元で「ナニかされた?」なんてぽそりと呟いた。顔にじりじりと熱が溜まる。「されてません!」と言うと彼女はけらけらと笑って「だろうね、彼は紳士だと思ったから行かせたんだもの」と言って私から離れた。
既にデスクについて仕事を始めんとする康次郎くんをチラリと盗み見て、「…ほんとに、いい人だったよ」と呟いた声は誰にも届いていないだろう。
「名前ちゃん!」
「青山くん、おはよう」
相変わらず爽やかな笑顔でご登場した青山くんに挨拶をすると、元気そうでよかったよ、と肩を叩かれる。ありがとう、と呟いて椅子に座った。
ひしりと視線を感じて目線を動かすと、康次郎くんと目があった。すぐに逸らされてしまったけれど。不思議に思いつつも、パソコンの電源を入れた。
*
「ねぇ、名前もランチ一緒に食べるよね?」
午前の仕事が終わると同時に、美波ちゃんに話しかけられた。
「ランチ?うん、もちろん」
「だって、青山くん」
「よかった」
え?ランチって、青山くんも一緒ってことなの?と二人の会話について行けずにいると、美波ちゃんに「はやく行こう!お腹すいちゃった」と急かされてしまった。そしてもちろん、青山くんも同行する様子で立ち上がった。
食堂には既に人も賑わっていて、空いている席が少なくなって来ていた。三人が座れるところはあるだろうか、と探していると、四つ椅子が空いているテーブルが目に入って来た。いまのうちにとっておいた方がいいかも。
「あ、私、先に場所とっておくね」
ありがとう、という二人の声を背に、少し早歩きで空いている席を確保した。二人が戻るのを待ちながら、周りの様子を眺める。すると、先輩達とご飯を食べている康次郎くんを見つけた。いつの間に仲良くなっていたんだろう。あまり人付き合いが得意には見えないのに、は失礼だよね。何話してるんだろう、仕事のことかな、それともまさか女の子の話とか…と勝手に想像していると、ぱちりと康次郎くんと目があってしまった。あ、と思いつつも逸らすのも悪いような気がして、曖昧に笑ってごまかした。
「ありがとう、名前ちゃん」
不意にかけられた声にハッとすると、二人が戻って来ていた。私の横に美波ちゃん、そして前に青山くんが座った。
「何見てたの?」と青山くんが康次郎くんの方向を向こうとするのを「とくになにも!私もご飯買いに行ってくるね」と遮った。一緒に行こうか?なんて子供扱いをする青山くんに「いりません」と言ってテーブルから離れた。
沢山のメニューに迷いに迷って、最終的にからあげ定食を頼んだ。二人のところへ戻ると、何やら楽しそうに話していた。
「ねえねえ、仕事終わったらさ、美味しい居酒屋さん行かない?」
美波ちゃんが嬉しそうに話しかけてきた。居酒屋さん?と言うと、青山くんが「おすすめのお店なんだ。三人で行こうよ」と言った。あまりお酒が好きじゃないし、風が治ったばかりだけど大丈夫かな、と誘いに乗るか迷っていると、康次郎くんがお昼を食べ終わって、こちらに向かってくるのが青山くん越しに見えた。社員食堂の出口は、私の後ろにあるのだから当たり前なのだけれど。
すると同じく康次郎くんを見つけた美波ちゃんが、「あ、よかったら古橋くんもどう?」と声をかけた。ちらりと、私達のテーブルの横で止まった康次郎を見ると、彼も私のことを見ていた。少し驚きつつも、彼の返事を待っていると、「病み上がりなのに、やめた方がいいんじゃないか」と真っ直ぐに目を見て言われた。どきりとした。胸の内を見透かされてるような、そんな感覚がして、何も言えなかった。
「でも、もう大丈夫なんだろ?」と青山くんに見つめられ、「あ、えっと、」とどもってしまう。
すると、康次郎くんが「悪いが、俺はやめておく」と言って、食堂から出て行ってしまった。
「古橋くんって本当によくわからない人よね」
と美波ちゃんが呟いたのを耳にしつつも、それには返事をしなかった。
「私もやめておくね。じつはあんまりお酒が好きじゃないの」
そう言うと、二人は残念そうな声を上げた。苦笑しながらもう一度謝ると、「じゃあ今度はカラオケでも行こうね」と美波ちゃんが笑った。