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02
はずかしがりや

あじさい


上がっては下がり、下がっては上がり。
季節が季節へ助走をつけては超えようとしているのかのように、気温も天候も不安定な時期に入った。
連日ざあざあと雨が降る割には蒸し蒸しと熱しており、毎日雨と蒸し暑さでお洗濯に悩まされている。おまけにこの蒸し暑さは体によろしくない。
体調管理にだけは気をつけばと肩を竦めずにはいられない、梅雨の最中のことだった。


「おはようございます、シロウさん」
「おはようございます…なまえさん」

朝教会で祈りを捧げているシロウさんを見つけ、祈りが終わるのを待ってから朝の挨拶を交わした。
一拍。妙な間が生まれた後、お互いおずおずとおはようのキスをする。ふに、と柔らかい感触にドキドキしながら、互いに顔を赤くしながら照れ笑いをこぼした。
キスをするようになってから始めたこの挨拶は、まだまだ当たり前と割り切れず、毎朝こんな調子で毎日胸がいっぱいだ。

「そうだ…今日も少しバタバタしてしまいますので」
「お仕事最近お忙しいですね…」
「あちこちで問題が立て続けに起きていますからね」

仕方のないことです、と苦笑しながら肩を落とすシロウさんに、私も笑って返した。
朝ごはんにしましょう、とシロウさんの手を握るといつもよりあったかく感じ、めずらしいな、とふと胸中ごちる。そういえばとよくよく思い返してみれば、今朝はなんだか少し弱々しいというか、少しふわふわしている気がする。
歩き出そうとしたシロウさんが、私が動かないことに気づきどうしました?とこちらを見つめてくる。そのシロウさんの顔をじっくり見ると、褐色の肌で気がつかなかったが、心なしかほんのり赤かった。

「…シロウさん、今日少し体がだるかったりしないですか?頭がぼんやりするとか」
「そういえば……今朝は体の動きが少し鈍い気が…」
「今日はお仕事お休みしましょう」

え?ときょとんとするシロウさん。その目が少しとろりと呆けているのを見て、確信した。

「シロウさん、風邪引いてます!」


――――


この世に、絶対あり得ないことはないのだな。と、宣言しておきながらシロウさんの風邪発覚は衝撃的だった。
あの後仕事がありますから…と拒むシロウさんの言葉を聞かなかったフリをし、寝間着に着替えるよう言いつけ手早く部屋に押し込んだ。
しばらくして着替え終わったシロウさんが部屋の外にいた私に声を掛けてくれたので、氷水を貼った桶とタオル、お薬と水等、風邪引き用セットを持ってシロウさんのお部屋にお邪魔した。
真っ黒の薄い長袖長ズボンに着替え部屋の隅で正座しているシロウさんに軽く食事を摂らせ薬と水を飲ませている間、てきぱきと畳の上に布団を敷き、シロウさんを寝かしつけ絞った冷たいタオルを額にのせる。

「風邪は絶対安静。無理してお仕事するより、さっさと治してぱぱっとやるほうがいいんですから、今日は大人しく寝ててください」
「はい…」

掛け布団をしっかり首元まで被せ、とんとんとシロウさんの胸元を優しく叩く。まだ今は起きてすぐだから元気かもしれないけれど、夕方になれば熱が上がるし、無理して動き続けていたら絶対悪化してしまう。
少しむくれていたが、抵抗はあっさり解けた。気づかない内にシロウさん自身無理をしてしまっていたのだろう。抵抗する気力がすぐ尽きてしまったということは、かなりしんどいということだ。
落ち着いてきたことで目に見えて顔が赤くなっているシロウさんの辛そうな表情を見て、苦々しい気持ちになる。

「…シロウさんでも、風邪を引くんですね」
「……私も一応、人の子ですが」
「ああ、ごめんなさい。そういう意味ではなくて…シロウさんは風邪を引いても、悟らせてくれなさそうと思ってまして」

いつもより弱っているせいか、表情にすぐ出るシロウさんのむくれ顔に慌てて弁明する。
シロウさんは、本心を隠すのが上手だ。嘘をつくわけでも騙すわけでもなく、そもそも本心を悟らせようとはさせてくれない。だからいつも、肝心なところの真意が読めない。
だからきっと、弱った姿は絶対見せてくれないだろうし無理をするんじゃないかと思っていたから、とても驚いた。
少しでも、私には隙を見せてもいいと思ってもらえたのだろうか。

ええ、まあと歯切れ悪く答えるシロウさんに、いつまでもここにいてはシロウさんが休めないではないかと今更ハッと気づく。
なにかあったら鈴を鳴らして呼んでくださいね、とそばに鈴を置いて立ち上がると、シロウさんが目をきょとんとさせた。

「どこかに、行かれるんですか…?」
「いいえ。今日はずっとお家にいますよ。でもここにいたら、シロウさん休めないですし」
「……いやです」

ぽつり、と聞こえた言葉に今度は私が目を点にした。

「ここに、いてください」
「えーと……風邪には強いので、それは構いませんが…そばにいたら気が散ってしまいませんか?」
「いいんです…なまえさんがいないと、寂しいですから…」

もぞもぞと布団の中に潜る声で後半は掻き消えてしまったが、確かに聞こえた。
素直に甘えてくれるシロウさんなんて滅多にないのに、風邪で弱っているせいか。こんなにも素直に、それこそ年相応の男の子のように甘えてもらえるのは、驚きと同時に、とても嬉しい。
シロウさんが可愛い…と、不謹慎ながらも胸の中がとろける。
一度立ち上げた体をまたゆっくりと畳に下ろすことにし、布団に隠れてしまったシロウさんの顔を覗き込むように体を屈む。

「じゃあ今日は、ずっとそばにいますから」
「…手も、繋いでいてくれますか?」
「はい」

おずおずと伸ばされた、熱で火照った手を取り優しく握る。
安心して布団から目元だけを覗かせたシロウさんが、ふにゃりと嬉しそうに笑って、「ありがとうございます。少し休みますね」と言ってしばらくすると、穏やかな寝息をたてた。
指先をするりと抜き、額のタオルをまた氷水に浸し絞ってまたのせ、もう一度手を握る。
あやすように手をゆるゆると撫でながら、寝顔を見つめる。
静かに眠るシロウさんの顔は、普段の大人びて見える表情が薄れ、あどけない青年の顔をしている。可愛らしいと思うと同時に、この人はどうしてこんなにも自分を追い込むのだろうと、ふと思った。

シロウさんは普段から、あまり休んでいない。夜中目が冴えて少しだけ起きて降りると、大抵シロウさんが起きている気配がする。
仕事が忙しいのかもしれないが、それにしたって無理しすぎている。たまに居間のソファーでうとうとしている時を見かける時だってある。
それなのにこの人は、弱音を吐かない。ただなんでもない風に装う。私相手だからというわけでも、私以外にはこぼすという訳じゃない。ただ自分の中に募らせ、自分の中で完結するだけ。

寂しいとか、そばにいてほしいとか。本当はもっと言ってほしいし、頼ってほしい。
でもその気持ちを押し付けるのは、私の単なるわがままだ。私が出来るのは、ただ待つだけ。
それは私が強くなればいいとか、そういうことではなく。シロウさんがそう割り切ってしまっている。割り切ってしまっている人の心を無理やり解こうなんて、出来ない。きちんとシロウさんが、自分の中で私に話してもいいと思える時が来ない限り、私にそれを暴く資格はないのだから。

この人は、ずっとそんな風に、誰かに本心を晒すことなく生きてきたのだろう。
それはなんて、

「シロウさん…」

とても、寂しい人。

つないだ褐色の手を、シロウさんを真似るように口付ける。
もう何にも、シロウさんを苦しめないでほしい。辛い思いをさせないでほしい。そんなことを、願って。
何も聞かされていないし、何も知らないのに。もしかしたら思い違いかもしれないのに、どうしてもそれだけは――確信を持って、願わずにはいられなかった。


――――


しばし船を漕ぎながらタオルを変えたりしてシロウさんのお世話をして過ごしている内に、気づけば夕方になっていた。
そっと手を離して台所に立ち、食欲があるかわからないが薬を飲んでもらうためにも、と。とろとろになるまで煮て作った薄めの素うどんを持ってシロウさんの部屋に戻る。
起こさぬようにと扉をゆっくり開けてみれば、既にシロウさんが起きて半身を起こしていた。

「おはようございます、シロウさん。体調はどうですか?」
「ええ、多少良くなりました。…あの」
「ん?」
「…みっともない姿を見せてしまって、すみませんでした」

おうどんが入った小さな土鍋の乗った盆を脇に置いてシロウさんと同じ目線になれば、恥ずかしそうにシロウさんは俯いて謝罪を述べた。子供みたいに甘えた時のことを言っているのだろうか。
弱ってる時に失態を犯すことは、誰にでもあるとはいえ、男性からすればとても恥ずかしいことだろう。
ふふ、と笑みをこぼしながら「少しでも良くなったなら、何よりです」と話題をさらりと流して、蓋を開けて食べやすいようにお椀に分ける。

「シロウさん、食べれますか?」
「え…ええ、はい」
「よかった。少し冷ましはしましたが、まだ熱いと思うので、気をつけて下さいね」

はい、と渡せば、シロウさんは戸惑って見せた後、苦笑して「ありがとうございます」とお椀を受け取った。
思っていたより、すっかり普段通りに食べれるようで、すぐにぺろりと平らげてしまった。
食べたらお腹が動いて空腹を思い出したのかおかわりを要求されたので、消化に体力を使いすぎないために「あと一杯だけですよ」とおかわりを許可して椀に注いだ。
食欲はあるみたいだし、熱も思っていたより悪化していないようで目もしっかりとしている。この様子なら、今夜ゆっくり休めば治りそうだ。

こじらせなくてよかった、と安心していると、二杯目も食し終わったシロウさんが緩んだ顔で一息つく。

「…ありがとうございます。こんなこと言うのは、ちょっと気恥ずかしいのですが」
「はい」
「なまえさんは…よい、お母さんになりますね」
「わ…私そんなこと言われたの、初めてです…」

照れ臭そうにシロウさんがそんなことを言い出すので、私までつられて照れてしまった。
今まで誰かを献身的に世話することなんてなかったから、その感想は気恥ずかしくてとても意外だった。
くわえて。それはつまり、私とシロウさんの将来的なことを指しているようにも聞こえてしまい、深く聞いてもいいのかそれとも私がいいように捉えすぎているのではと、頭の中がぐるぐると回って止まらない。

目をあちこちにきょろきょろさせ戸惑う私を見て、シロウさんはまだ赤ら顔の頬で笑みを浮かべた。

「すみません。まだ、気が早かったですね」
「えっ、いや!ええと…な、なんのことでしょう…」
「そらさなくていいですよ」

逃げ腰だった私の思惑はあっさり見破られ、漂わせていた視線をそろそろとシロウさんに向ければ、恥ずかしそうにしながらもいつもの優しい朗らかな笑みを私に注いでくれていた。
シロウさんのその年相応のようでいて、私を見守ってくれている年長者のような笑顔に、とても弱い。愛しくて、何度向けられても胸の奥が甘く締め付けられる。
おずおずと擦り寄り、シロウさんの胸に頬を寄せる。優しく髪と頬を包むように撫でられている感触に、目を細めた。

「…じゃあ、お聞きしますけど。今のって、どういう意味でしょうか」
「なまえさんが考えていらっしゃる通りの意味ですよ」
「む。ずるい言い方をしますね」

意を決して聞いてみたのに、どちらとも取れるようにはぐらかされ頬を膨らませる。追いたてたのはそっちなのに。
楽しげにくすくすと笑うと、シロウさんはすみません、と言って私の手に指を絡ませ、私のようにシロウさんも私の頭に頬を寄せた。
風邪を引いているのも構わずにぴったりと触れ合っているが、私は気にせず。私が気にしていないのを見てシロウさんも気にしないことにして、肌を寄せ。そうして互いに言葉を交わさずとも伝わるのが、なんだか心地いい。

「いいです。秘密主義なのも、シロウさんの魅力ですから」
「ふふ。肯定的にとって頂けるのは嬉しいのですが、そう簡単に信じるのは危険かもしれませんよ」
「…シロウさんになら、別に裏切られてもいいと思っていますけど」

不貞腐れたように言えば、シロウさんは思うところがあったのか、虚を突かれたように止まった。
最初に出会ったばかりの頃、シロウさんのことを疑ったことはたくさんある。なんなのだろうこの人は、なにを考えているのだろう。と。
でも私を助けてくれて、一緒に過ごして行く内に、信用して。信頼して。恋して。愛して。
いつかシロウさんが私を捨てざるを得ない事態が起こっても、構わないと思うようになってからずっとその考えでいる。盲目的だと、人は嘲笑するかもしれない。騙されているかもしれない、と悲観するかもしれない。
でも、この人がただ者ではないと薄々気づき始めてから、私は決めたんだ。最後まで傍にいようと。この人の目指す先について行こうと。裏切られたり、騙されてもいいと思えるほど、それくらい愛してしまったのだ。
何があっても、怖くはない。

シロウさんは静かにため息をつくと、両の手で私の体を包んだ。

「…なまえさん、私は」
「ストップ」

重い口を開こうとしたシロウさんの唇を、咄嗟に指先を当て止める。
触れた唇が、熱い。

「…ごめんなさい。今のは、ずるい言い方でしたね。私、シロウさんから無理に何かを聞こうとしたかったわけじゃないんです。ただ…たとえシロウさんの秘密がなんであったとしても、私はそれぐらい傍から離れないってことを、伝えたかっただけなんです」

流れに身を任せてシロウさんの言葉に耳を貸すことは出来ただろう。でもそれは、誘導尋問だ。シロウさんの覚悟も思いも無視して口を開かせてしまうのは本意ではない。誰かに促されたからではなく、きちんとシロウさんが決めて伝えてくれなければ、意味はない。そんな中途半端なことは、させたくない。

開きかけていた重い口を閉じ。シロウさんは何とも言えない、なにか堪らえるように唇と固く結ぶと、やがて苦笑し先程より強く抱きしめた。

「…今日は、なまえさんに甘えてばかりですね」
「ふふ。もーっと甘えてくれてもいいんですよ。なにせシロウさんは、病人ですから」

子守唄でも添い寝でもなんでもしますよ、と梅雨のようにしめっぽい空気を掻き消そうと調子づいて言えば、シロウさんはでは添い寝を、と真面目に返してきた。
大慌ててシロウさんの顔を覗き込めば、もういつもどおりの顔に戻ったシロウさんの笑顔とかち合う。

「そ、添い寝…ですか」
「ええ」
「で、でもあの…それをして本当に風邪が移ってしまったら」
「そうしたら、今度は私がなまえさんを看ます。御側で、しっかりと」
「……ね、寝相悪いですし」
「変わらず安心して眠って頂けるというのは、嬉しいですね」
「………」

何を言っても口から出た言葉は戻せない。
今更撤回しても無駄だと言わんばかりに、シロウさんが次々と私の逃げ道を優しく塞いでしまった。シロウさんの内なる悪戯心を呼び覚ましてしまったらしい。私に語りかけるシロウさんの顔は、満面の笑みだ。
職業柄献身さを要求される仕事の人たちは、相対的にS気が強いと聞いていたが聖職者までそうなのだろうか。盲点だった。
これ以上の反論は出来ず、ため息と共に肩を大きく落とす。

「わ、分かりました…言い出したのは私ですしね。…でも、お布団は別ですからね」

咳払いし、改めて了承し告げれば、シロウさんがぱちくりと目を瞬いた。

「ええ、それは構いませんし最初からそのつもりでしたが……一緒の布団で眠るおつもりだったんですか?」

意外そうにそう述べるシロウさんの言葉に体がピシリと固まる。まさかの墓穴。ダメだ、今度こそまごうことなき失言である。よく考えなくても、一緒の布団で最初から寝るわけないではないか。
途端、破裂したように顔が赤く熱し、恥ずかしさを隠すように手で顔を覆った。

「何でもないです、聞かなかったことにしてください」
「まだ何も言ってないのに…」
「いえもう勘違いしていたというだけで情けなくて」

一人で何を先走った考えを抱いているのだろうと、先刻の失言を思い出しては唸りたくなった。シロウさんの表情はわからないが、きっと笑っているだろう。しょうがない人だな、と思っているだろう。なんと恥ずかしい。
なまえさん、と優しく何度か声を掛けられたが無言を貫くと、優しく顔を覆う手を剥がされる。耳まで真っ赤であろう顔を晒せば、シロウさんもほんの少し頬に赤みを差していた。

「恥ずかしがらないでください。…私も、少しだけ期待してしまいましたから…」
「…なにをですか」
「一緒の布団で、寝ることを」

小さくぽそりと告白され、思わずひゃえっ、と短い悲鳴をあげた。
思わず顔が赤いのもそのままにシロウさんを見つめ、シロウさんは気まずそうに赤くした顔のまま視線を少しだけ逸した。
しばし沈黙が流れ、悩みに悩み。シロウさんの体を抱きしめ、唇に触れるだけのキスを贈る。
視線を逸していたシロウさんが、目を瞬きながらこちらに向き直る。

「……そ、その内。いつか。一緒のお布団で、寝ましょう…」
「…なまえさん、意味を分かっておっしゃってますか?」
「シロウさんが考えてらっしゃる通りの、意味で言ってますよ」

意趣返しとばかりにそう返せば、今度はシロウさんが顔を手で覆った。

世の恋人はすごい。こんなことにいちいち恥ずかしがったりしないだろう。というくらい、私達はそんなことを口にして交わすだけでこんな状態だ。他の人からすれば、私とシロウさんの恋は一歩一歩が鈍いと文句が出るだろう。だって、仕方ないじゃないか。
こちらは恋人を看病するのも、恋人と夜の逢瀬の約束を取り交わすなど、前代未聞なのだ。
手探りの恋を恥ずかしがらず深めていくなど、到底無理だ。それをあっさりやってのけれるのは、知に優れた人の上に立つ人間くらいだろう。平凡な人間の恋なんだから、致し方ないと思ってもらいたい。

「これで熱がまた上がったらどうされるんですか…」
「…また、付きっきりで看病するだけですよ」

梅雨のしめっぽさはどこへやら。
これからやってくる、本格的な夏の暑さに負けないくらい熱い私達の顔の熱は、まだ抜けそうにない。