――あの日、天使の声が聞こえた。
これは比喩じゃなくて、本当にそう聞こえた。 全身を使って、使える限りの力を使って、生きてるんだって叫んでるような。言い聞かせるような。
五日かかるはずだった任務を三日で終わらせて、綺麗にしなきゃと風呂にも入ってから来た病院。コンコン、と控えめのノックをしてから扉を開ければ、「お疲れ様」と微笑んだのは俺の奥さん。
「ごめん、思いの外長引いて」 「いいよ。無事で何より」 「お。顔がしっかりしてきたねぇ」 「赤ちゃんって毎日顔が変わるんだよ。本当に可愛い」
慈愛に満ちたような表情で眺めるナマエは、俺が今まで見たことのない顔をしていた。
「気持ちよさそうに寝てるよねぇ」 「…あぁ、ぐっすりだな」
ナマエの腕の中できゅ、と小さな小さな手を握り締めてすやすやと寝息を立てるのは、つい先日生まれたばかりの俺の息子、コウタ。俺はこの子と隣で微笑む妻ナマエに、つい数日前に父親にしてもらったばかりだ。
俺が親になってもいいのか。 子供を授かったとナマエに聞いてから、そんな気持ちが心にずっとあった。 今まで数え切れないほどの人の命を奪ってきた俺が、この赤く染まった汚れた腕で、まだ純粋で何の穢れも知らない無垢なこの子を抱いてもいいのか。俺のような人間が父親でもいいんだろうか。嬉しさと同じくらいのそんな気持ちが胸いっぱいに広がる。
だからまだ、コウタを抱いていない。
「カカシ、どうしたの?なんか難しい顔してる」 「いや、なんでもないよ」 「嘘。何か余計なこと考えてるんでしょ」 「本当、なんでもないって」 「何か思ってるなら言って。私が隠し事嫌いなの知ってるでしょ?」 「…やっぱりナマエには通じないか」 「当たり前」
観念してベッドの脇に腰掛けると、したり顔で笑ったナマエ。こいつになら、俺以上に俺のことをわかってるナマエになら、打ち明けても幻滅されないかな。
「…俺が、親になってもいいんだろうか」 「え?」 「俺さ、今までいろんな命のやり取りをしてきたでしょ?何人もの命を奪ってきた。だからこの手は赤く染まってる」 「…」 「だけどコウタはまだ汚れを知らない。この世界で起こることを何も知らない。そんな汚い俺が、いろんな人の命を奪ったきたこの手で、この子に触れてもいいんだろうか。こんな人殺しの俺が親になってもいいのかな、ってね」
自分の手を見つめながら自嘲的にそう言葉を溢すと、はあ、とため息をついたナマエの右手が俺の手に乗った。
「たしかに、私もカカシも、今までたくさんの人の命を奪ってきた。それは否定できないよね」 「…うん」 「だけどそれは里や仲間を守るためであって、決して望んでしてきたことじゃないでしょ?」 「…あぁ」 「ここにいる多くの忍がそうなんだよ。誰も本当は殺したくなんてない、だけど誰かがしなきゃ大切なものを守れないから、みんな自分を犠牲にして、心を殺して命を奪う」 「…」 「だからカカシの手は汚れてなんかない。里やみんなの命を、そして私を守ってきてくれた大切な手。だから自分のことを人殺しなんて言わないで。自信を持って、カカシは汚れてなんかない。ずっとずっと、綺麗なままだよ」 「…ナマエ」 「それに、コウタの父親はカカシしかいないんだから、しっかりしなさい」
最後にそう付け加えたナマエは、すっかり母親の顔をしていて。 惚れたのがナマエでよかった、こいつと家族になれてよかったと心からそう思った。
そしてナマエは「抱いてあげて、コウタもきっとパパに抱いてもらいたいよ」と笑って俺の腕に息子を預けた。
「…温かい」 「赤ちゃんだからね」 「俺の、こども…」 「ふふ。俺“たち”ね」 「…本当にありがとう、ナマエ」
俺の腕の中でなんの警戒もしないですやすやと寝息を立てるコウタの温かさと、ナマエの言葉も相まって俺の頬を伝ったのを涙だと認めよう。
だって俺は今たぶん、いや絶対、この世界で一番の幸せ者だ。
「…ねぇ、カカシ」 「ん?」 「コウタが生きていく未来にも、やっぱり戦争はあるのかな」 「…」
物憂げに、少し苦しそうな声で窓の外を眺めるナマエから、腕の中のコウタへ視線を移した。
俺もナマエも、まだ幼いころに戦争を経験した。 多くの仲間を失い、悲しみ、嘆き。きっとこれから先消えることのない傷や痛みを背負った。ときどきぶり返すようにそのときの夢を見ることがある。苦しい、つらい。俺だけがこんなことを感じているわけじゃない、分かってるのにどうしてもそう思ってしまう。
そんなときにそばで支えてくれたのがナマエだった。 彼女も幼くして戦争に駆り出され家族や多くの友や仲間を失った、俺と同じような痛みを背負った。お互いの気持ちがわかるからこそ、俺はナマエに支えられ、俺もできる限りナマエを支えて寄り添うようにここまで生きてきた。
そして心が赴くままにナマエと結婚して、幸運なことに子供まで授かった。 俺は思う。きっと亡くなった仲間たちが、残された俺たちに“生きろ”と言ってるんじゃないかって。
この子が戦争を知らずに育っていけるようなそんな未来を創るために“生きろ”。 口先だけだった平和を実現するために“生きろ”。
俺のエゴかもしれないが、そう言われてるように思えてならない。
「…未来がどうなるかは俺にもわからないよ。だけど、そうならないために足掻くことは俺たちにもできるんじゃないか?」 「…足掻く?」 「そう。俺たち親が、親だからできることもあるんじゃないだろうかな」 「…」 「この子に俺たちのような思いをさせないためにも、俺は全力で足掻くよ。足掻いてもがいて、必ず本当の平和を手に入れてみせる。俺はナマエとコウタを…やっと手に入れた俺の家族を、何が何でも守るよ」 「っ、ありがとう…カカシ」 「ほら、泣かないの」
――俺たちの元を選んでくれたこの子に、恥じないような人生を。 それがこれからの俺の、人生の指針。
それはふたしかだけれど
(俺が、必ず)
fin.
匿名様のリクエストで「はたけさんちシリーズで未来を考える話」でした。お気に入りいただければ嬉しいです。
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