[4.降下]
「ん……っ」
身じろぎして、恋次は閉じていた瞳を開く。
「おはよう恋次。
具合はどう?」
寝起きでボンヤリしていた顔から一変、恋次は大慌てで飛び起きた。
「恋次! 無理に動いちゃ……!」
慌てて背中を支える。
恋次は腹部を手で押さえて苦痛に顔を歪めた。
「ほら、横になって」
恋次は素直に従った。
周囲を忙しなく見たり、自分の身体に目を向けたり、状況を把握しようとする。
「俺……どれだけここで寝てたんだ?
傷がほとんどねぇ……」
恋次の疑問に、タツ達の看病をしていたルキアが答えた。
「春瀬が薬を持ってきたんだ。
まだ半日しか経っていないぞ。
もっと眠っておけ」
「薬……?
そんな貴重なモンどこの地区から!?」
「いやぁそれが……どこの地区か聞くの忘れちゃって」
「薬なんてここらにあるわけないだろ!」
声を荒らげ、痛みに呻き、両腕でサッと顔を隠した。
「どこまで行ってきたんだよ……!」
恋次の声は涙ぐみ、震えていた。
「俺……お前のことめちゃくちゃ言ってたのに……。
なんでだよ……!」
理由を聞かれたら少し困ってしまう。
「なんで、か……。
……もしルキアが大怪我したら、恋次も何とかしたいと思うでしょう?
それと同じだよ」
恋次は顔を隠したままだ。
見られたくない、って思ってるなら、あたしは一度外に出たほうがいいかな。
腰を上げれば、恋次がボソボソと呟いた。
「ん? なに?」
「春瀬」
「うん」
恋次は両腕をどけ、涙でぐちゃぐちゃの顔であたしを見た。
「俺が悪かった。
ありがと……な」
そしてすぐ顔を隠した。
なんかすごい可愛いんだけど!
嬉しくて、自然と顔がにやけてしまう。
「どういたしまして」
「私も礼を言いたい。
春瀬がいなかったらきっとここに恋次達は戻ってこれなかった」
ルキアも涙ぐんでいた。
あんなにボロボロになった仲間を見るのは初めてだから、恋次と話せて安心したんだろう。
ルキアに近づき、抱きしめる。
「ルキアも頑張ったね」
背中をポンポン叩けば、ルキアはギュッと抱きしめ返してくれた。
癒されるなぁ。
足の痛みとか全部消えてしまう。
幸せだと思っていた時間はすぐに壊れた。
凍りつくような悪寒が背中を駆け上がったからだ。
「ッ!?」
すぐそばに虚の気配を感じる。
本当に近かった。
ここに来ると思ってしまうぐらいに。
「春瀬?」
ルキアはあたしの異変に気づいたようだ。
「ごめんルキア。
あたし、行かないと」
「どこに行くのだ?
何があったんだ……?」
ルキアは表情を不安で曇らせ、あたしを行かせまいと腕を掴んできた。
今が緊急事態だってこと、気づかれた。
あたしは隠すのが下手だな。
「恋次達にひどいことした奴ら、いたでしょう?
同じような奴がこの近くにいるんだ。
追い払ってくるだけだから」
「本当か?」
「本当だよ」
あたしの嘘が下手なのか、ルキアが鋭いのか。
ルキアは腕を離してくれなかった。
「あたしが強いの、ルキアは知ってるでしょう?
だから大丈夫だよ」
心配させたくない。
ルキアの目を真っ直ぐ見つめ、自信満々な笑みを浮かべた。
大丈夫だって思わせないと。
「あたしを信じて」
卑怯な言い方だ。
そんな風に言われたら、ルキアはあたしを信じるしかない。
ルキアは言いたいことを全て飲み込んだ顔で手を離した。
「行ってくるね。
ちゃちゃっと終わらせて帰ってくるから」
家を出てすぐ、正面にあるのは崖だ。
下に広がるのは樹海。
ここと下は3階ぐらい高さに差があった。
虚がいるのは崖の下。
すぐ行くには飛び降りるしかない。
刀を出現させ、ギュッと握る。
心に火が宿って、暗い不安を明るく照らす。
なんでもできそうな気持ちになった。
「きっと何とかなるよね」
地面をグッと踏みしめ、駆け出し、迷いなく崖を飛び降りる。
確かな足場はなく、スピードを増して落ちていく。
イメージする。落下速度が減速し、緩やかな着地する自分の姿を。
脳裏に『降歩』という文字が浮かんだ。
「今頭に浮かんだの何?」
前回は『十五』って出てたけど、今回は技名みたいだ。
地面が近づき、イメージ通りに着地する。
足が痛くない。すぐに走れた。
落ちた先がどこの地区分からない。
視界には草木がたくさん。樹海の奥深くといった感じだ。
血の臭いが濃く漂っている。
陰鬱な空気に満ちて、全体がすごく薄暗い。
ものすごく不吉で、帰りたい気持ちにさせる場所だった。
気分は最悪で吐き気がする。
虚を探せばすぐに見つかった。
四人倒れていて、全員生きてる気配がしない。
虚はごそごそと四人を物色して、あたしに気づかない様子で奥に行く。
虚が向かう先には、陰鬱な空気と不釣り合いな桃色の髪の赤ん坊────やちるだ。
あたしは反射的に飛び出していた。
全力疾走で距離を詰め、後ろから虚に斬りかかったけど、ガンッ!と弾かれる。
勢いに負け、体勢を少し崩してしまう。
硬すぎだ。宗弦さんの時と全然違う。
虚の首がいきなり伸びて、化物の顔が至近距離に。恐ろしく速くて、反応できなかった。
右腕に鋭い痛みが走る。地面に叩きつけられる。
虚が覆い被さってきて、あたしの右腕をガツガツ喰い始めた。
「………ッ!!!!!」
むせるような血の臭いと激痛に、心があっという間に恐怖で塗り潰される。
「やちる逃げて!!!
はやく、逃げてぇッ!!!」
精一杯叫んだけどやちるは逃げない。
違う。動けないんだ。
右手の指先から感覚が消える。
下から上へジワジワと、蝕まれるように腕の付け根まで消えていく。
自分の力が吸い取られているみたいだ。
地面に落とした刀がボロボロと崩れ、光の粒子になって空気に溶けて無くなった。
何もできない。動けない。
全身に死を感じる。
視界の端に見えた桃色に、やちるの存在を思い出した。
あたしが消えたらやちるはどうなるの?
虚が次に狙うのは誰?
今ここでコイツに立ち向かわなかったらどうなるの?
「嫌だ!!!!」
心の火が。
消えそうな火が、炎としてまた燃え上がる。
「あんたなんかに……」
腹が立った。
動けない自分自身に。
「あんたなんかにやちるを好きにさせてたまるかぁぁぁッ!!!」
出せる力を全て出し、覆い被さる虚を蹴り上げる。
途端、虚は風船のように膨らみ、爆発した。
「は……?」
何が起こったのか理解できず、ポカンとする。
立って確かめたいけど、起き上がれそうにない。ひどい睡魔が襲ってくる。
それでも意識を手放さない。
やちるがそばに来てくれたから。
返り血で汚れた顔は無表情だ。
ジッと見つめてくる。
「怖かったね。
もう大丈夫だから」
やちるについた血を拭きたかったけど身体が動かない。
まぶたが勝手に下がっていく。
もう限界だ。
誰か別の気配が現れたところで、ガクンと意識を失った。
□■□■□■
小さい手が、あたしの顔をぺちぺち触る。
そこで目が覚めた。
あたしを覗きこむ瞳はまん丸だ。すごく近い。
「おはよ」
周りを確認する。
内装は恋次達の家とほぼ同じ。
でもこっちのほうがちょっと狭い。
「ここってどこ?
運んでくれたのは別の人だよね?」
話しかけても、やちるはジッと見つめるだけで答えなかった。
笑わないやちるは違和感がある。
多分、明るい彼女しか知らないから。
あたしの傷を心配してるのかな?
「あたしは平気だよ。
怖い化け物もやっつけたから」
やちるの顔もきれいだ。
怪我は……
「どこも怪我してない?
大丈夫?」
やちるは表情を変えずに黙っている。
「そいつに何言っても無駄だ」
部屋の端から低い声が聞こえた。
いつの間に? いつから居たの?
顔の向きを変える。
仏頂面の剣八が壁際に座っていた。
髪を結んでいないと雰囲気が全然違う。
凶悪さは薄く、イケメンだった。
「どうして?」
「喋れねぇんだよ」
悪い冗談だと思った。
確かめるようにやちるを見れば、否定することなく頷いた。
殺し合いが日常になっている草鹿にやちるはいる。
今まで助けてくれる人は誰もいなかった。
そんな世界で喋れるわけがない。
「喋れなかったんだね……」
「それより傷の方はどうだ?」
聞かれて初めて、上半身がスースーすることに気づいた。
目線を下げ、ギョッと目を剥く。
上半身裸で包帯が巻かれているだけだった。
「ギャー!!!!」
ガバァッとうつ伏せになる。
「ももももしかして見た?!!
見たの?!」
「見ねぇと手当て出来ねぇだろうが。
右腕とその付け根が特にひどかったぞ」
剣八の言葉に唇を噛む。
確かに見ないと手当て出来ないですね!
その通りすぎて何も言えなかった。
でもあたしだって乙女だ。見られてめちゃくちゃ恥ずかしい。
「やっぱり見たー!!
セクハラだー!!!」
男に裸見られるなんて!
もうお嫁に行けないじゃないか!!!
「うるせぇ……。
無い乳見ても何も感じねぇよ。
いちいち騒ぎ立てるな」
「無い乳!!? お年頃な乙女になんてこと言うのよ!
最低!!! 最低最低さいてい!!」
「だー!!!
うるせぇんだよテメーは!!」
かすかに笑い声が聞こえた。
見れば、やちるがくすくすと笑っている。
胸がキュンとした。
「チョー可愛い!!」
思ったことをそのまま言ってしまった。
やちるは理解してないのか、不思議そうに首をかしげた。
その仕草も可愛い。
「本当に可愛い!
持ち帰りたいぐらいラブリーよ、やちる!!」
「やちる?
誰のこと言ってるんだ?」
「誰のことって……」
しまった!
名前聞いてないのに言っちゃった!!
「誰かと勘違いしてないか?
俺達に名前はない」
「え?」
耳を疑った。
だってそんなわけない。
あたしの知ってる『BLEACH』なら……
「……ふたりはいつから一緒にいるの? つい最近?」
「いいや。ずっと前からだ」
ずっと前から名前がないって……。
嫌な危機感を抱いてしまう。
これはあたしの知ってる『BLEACH』と違うんじゃないの?
……もしかして。
あたしが存在していることで物語が大きく変わっているのかも。
本来あるはずのエピソードが無くなったり、展開が変わってしまったり。
まさか、剣八がやちるって名付ける出来事が起こってないんじゃ……。
どうしよう!
これは軌道修正しなきゃヤバイよね!?
「あの!
……あ、あたしが二人の名前を決めるよ!」
剣八もやちるも目を丸くした。
何言ってるんだコイツって顔してる。
「名前は必要だよ。
大切で大事なの!!」
剣八は目を細めてあたしを見据えた。
「お前に名はあるのか?」
「あたしは春瀬だよ。
七嵐春瀬」
「お前が名前を決める……」
目ヂカラが強い。
あたしを見定めるような瞳だ。
「……言ってみろ」
「剣八。
あなたの名前は剣八」
「その名にはどういう意味があるんだ?」
「剣八は最も強い死神に与えられる名前だよ」
「最も強い。なるほど」
剣八はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
彼の視線がやちるに向き、再びあたしを見る。
次はやちるの番。そんな目だ。
やちるを見て、名前を言おうと口を開いて、閉じた。
『俺がお前に名前をつけた時のこと……。
……憶えてるか』
『あたりまえじゃん!
飛んでた雲の数まで憶えてるよ!』
13巻の場面だ。
剣八とやちるの会話をあたしは鮮明に思い出す。
「……名前をつけるのはあたしじゃない。
あたしが言ったらダメだ」
本当にダメだと思う。
これから先、二人の心にずっと残る記憶なんだから。
それを潰したらいけない。大事にしたい。
剣八は天井を見上げた。
「……そうか」
呟き、沈黙した。
やちるがころんと横になる。
眠たいのかな?と思い、背中をゆっくりポンポンする。
やちるは寝ない。まん丸の目でジーッと見つめてきた。
小さい頭を撫でる。髪はサラサラだ。
ギンの顔が頭に浮かぶ。
上に戻って、恋次達にあいさつしたら絶対にギンのところ戻らないと。
目の前のやちるに意識を戻し、微笑みかけた。
「きれいな髪だね。桜みたいな色……。
……桜はね、春に咲く花なんだよ。
この辺には咲かなさそう。上に行かないと……。
いつか剣八に連れて行ってもらおうね」
「春瀬」
いきなり名前を呼ばれた。
不意打ちのそれにドキッとする。
「はいっ」
反射的にバッと起きる。
剣八と視線がぶつかった。
「お前、化け物と戦っていただろう。
あれが何か知っているのか?」
「あの化け物は虚って名前だよ。
あいつと戦えるのは死神だけって聞いた。
すごく硬くて……もう少しで殺されるところだった……」
「倒したな」
「あたしが倒したのかな。
分からないんだよね。急に爆発して……」
風船のように膨らんだ。
ドラゴンボールでそんなシーンを見た記憶がある。
気を吸収する敵に対し、悟空がかめはめ波を連発しまくる場面だった(超うろ覚え)
それと同じなら、虚が吸収しきれない霊力をあたしが持っていたってこと?
信じられないけど、爆発の理由はそれしか考えられない。
突然、剣八が立ち上がった。
手にはボロボロの長刀。
「どうしたの?」
「あいつに似た気配が近づいてくる。
ここを目指してるな。
多分、お前を探してるんだろう」
言われて初めて、邪悪な気配が近づいてくるのを感じた。
ぼんやりだ。ハッキリしない。
なにこれ……力が弱くなってる?
「俺が行く。
お前はここで待ってろ」
自信に満ち溢れた声。ニッと笑う顔は凶悪だ。
あたしの知ってる剣八の表情。
敵を迎え撃つことを楽しんでいる。
「名をくれた礼だ。
守ってやる」
剣八の背中は大きい。
全ての脅威をねじ伏せる力強さがあって、顔が一気に熱くなった。
「カッコよすぎだよ……」
ドキドキする。
きっと顔は真っ赤だ。
鏡見なくても分かった。
□■□■□■
剣八は無傷で帰ってきた。
そんなに時間はかかっていない。
「お帰り。倒したみたいだね」
「分かるのか?」
「分かるよ。
だって剣八強いから」
剣八はあたしの隣に座る。
やちるは剣八の膝の上にピョンと飛び乗った。
「春瀬。
ひとつ聞いていいか?」
「いいよ」
「お前、ここの人間じゃないな」
言い当てられてギクリとした。
「どうして?」
「お前には血の臭いがしない。
殺し合いで染み付くやつがな」
あ、なんだそっちか。
違う世界から来たのを言い当てられたかと思った。
「なんでここに?
ここは流魂街の最底辺だ。
望んで来るヤツはいねぇぜ」
「あたしは望んで来たんだけどな。
……この子のそばにいた虚は絶対倒したい敵だったの。
放置したら、あたしが大切に思ってる子供達を襲っていたかもしれないから」
剣八は黙る。
あたしをジッと見つめる瞳は詳細を知りたがっていた。
「上に子供が五人いるの。
守りたいから、あたしはここに降りて来た。
この子も助けられたから良かったよ」
「良かった、か」
剣八が笑う。
ちびまるこちゃんに出てくる野口さんのような笑い方だ。
どこが面白いの?
笑われているけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
まぶたが急に重くなる。
引きずり落とされるような眠気に襲われた。
「剣八」
「なんだ」
「眠いから寝るね……」
力が抜けてゴロンと転がる。
ものすごく眠い。これは目を閉じたら一秒で寝るやつだ。
今すぐ夢の世界に行ってしまいそう。
「剣八……いてくれてありがとう……。
剣八がいるから……安心して寝れるよ……」
おやすみ、と言いたかったけど、伝える前に眠ってしまった。