[1.はじまり]


BLEACH。21巻。
買ったばかりの最新刊には新キャラが描かれている。

「やっと出たよ〜」

この巻から新シリーズらしいけど、どんな感じに話が進むんだろう?
コミックス派だから知らないんだよね。
続きが心の底から気になったのはBLEACHが初めてだ。
帰り道に本屋へ寄り、平積みしている最新刊を手にレジへ直行、購入して真っ直ぐ外に出る。
読みたい気持ちがぐんぐん湧き上がり、歩みがだんだんとゆっくりになる。

「読みたい。読みたいなぁ。
読もうかなー……」

読もう!!

道の端にスッと寄り、立ち止まる。
こんな風に帰り道で読むのは生まれて初めてだ。
最初のページを開こうとした時、ドン!!と後ろから誰かがぶつかってくる。
意識が手元に集中してせいで、あたしは大きく転倒した。

「いった!!!」

誰だよ今ぶつかってきたの!!
すぐ確認すれば、帽子とマスクにグラサンの不審者が立っていた。
手には包丁。
刃が全部真っ赤で、ポタポタっと血が滴っていて……

「……刺、さ……え……?」

不審者は血まみれの包丁を持ったまま逃げた。
あっという間に姿が見えなくなる。
全然痛くない。刺されたと思ったけど。
たちの悪いイタズラ? ただのドッキリ?
驚きすぎて腰抜けて立てない。
BLEACHの21巻はあたしの手から離れていて、地面にひっくり返っていた。
拾おうとして、でも拾えなかった。
身体が思ったように動かない。
背中の真ん中辺りから、温かいものが全部抜けていくような感覚がする。
遅れて痛みがやってきて、すぐに激痛になる。

「ひ、人……!!」

顔上げたけど誰もいない。
車の音も聞こえない。
携帯は家に忘れて持ってない。本当に最悪。
涙が溢れて視界がぼやけた。

どこか人のいるところに行きたいのに、力が出なくて立てなくて。
這いずってでも進みたいのに本当に動けなかった。

「どうして……」

なんで刺したの?
どうして今?
誰かに刺されるような事、あたし、何かした? ねぇ?

ひっくり返った21巻がぼやけた視界に入る。
刺されてそれどころじゃないのに、続きを読みたい気持ちがさらに強くなる。

「せめて……少しだけでも……続きを……」

近くに落ちてるのに手が届かない。
心臓がドクンと強く脈打ったのを最期に、あたしの意識は闇に墜ちた。


□■□■□■


「ぶわぁっくせいっ!!」

乙女らしからぬクシャミで目が覚めた。
視界に広がるのは青空ではなく、夕暮れのオレンジと夜の濃紺が見事なグラデーションをつくった空。

「……って!
あたしいつまで寝てたの?!」

視線を下げ、目を疑う。
青々と茂る草むら────誰もいない寂れた川原。
吹く風が寒い。肌も指先も冷たくなっていた。

「ここどこ!?」

ひっくり返った声が出た。

もしかして夢遊病!? これが噂の!?
パニックになっていた頭が、ふと冷静さを取り戻す。
そうだ。まず有り得ないじゃないか。
こんな川原は地元に無い。
リアルな夢?
頬をつねって確かめたけど、力加減を間違えて超痛かった。
まぎれもない現実だ。

「まさかこれドッキリ?」

誰かが眠るあたしをここまで連れてきた?
ハハ、無い無い。
ドッキリを仕掛けられるのはアイドルとか芸人だよ?
一般人にドッキリしても面白いわけないじゃん。
とか笑いながら否定してるけど、内心そわそわし、カメラを探してみる。

「……あるわけないか」

周囲を見回して人影に気づいた。
沈みかけた夕日を背に、少年が酔っ払いのようにフラフラと歩いている。
背中にはランドセル……小学生か。
ジーッと凝視する。
その子の髪はオレンジ色だった。

オレンジの髪の少年=一護
一護がここにいる→ここはBLEACHの世界→異世界トリップ!

「なんだそのミラクルな展開……」

異世界トリップは大好物だけど、そんなこと現実で起こるわけがない。
あたしの脳がBLEACH色に染まっている!
髪色だけで一護だと思っちゃダメだな。

少年に視線を戻す。
キョロキョロしながら川原を歩いていて、まるで何かを探しているみたい。
もうすぐ夜になる時間だ。
家に帰らないで何を探してるんだろう?
気になったあたしは草むらをかき分け、少年の元へ向かう。

ガサガサしながら近づくあたしに少年は気づかない。
座り込み、ボーッと川原を眺めている。

「こんにちは」

声をかければ、少年はビクッとして振り返った。

「もうすぐ夜だよ?
子供は家に帰らないと。
こんなところで何してるの?」

少年は答えない。
表情を変えることなく、ぷいっと前を向いてしまった。
少し淋しくなる。

「えっちな本でも探してたの?
それとも悪い点採ったテスト捨てに来たの?」

無言。
シーンと静まり返り、無性に恥ずかしくなる。
否定してよ! あたし滑ったじゃん!!

クシュッ、と少年は小さくクシャミする。
あ〜あ……こんな肌寒いところにずっといるから……。
制服の上着を脱ぎ、それを少年の肩にかけた。
少年は驚いた顔でこちらを見る。
かわいい小さな目を大きく開いていた。

「お姉さんは強いから平気よ。
ぜ〜んぜん寒くない!」

強がりではなく本心だ。
少年の背中をポンポン叩く。

「さ、早く帰ろう。
お母さん心配してるよ?」

少年の顔がひきつって、気づく。
あたしは言っちゃいけないことを言ってしまった。

「……ごめんね。
お姉さん、ひどいこと言ったね……」

少年はまた前を向く。
絶対これは言っちゃダメなことを言った。
激しく後悔して頭を地面に打ち付けたくなる。

「お姉さんは七嵐春瀬だよ。
きみの名前は?」

また無言かなぁと思いつつ、風の音を聞いていれば。 

「……一護」

名前を教えてくれた。
泣いているような声だった。

ああ。
あたし、なんて最低なこと言っちゃったんだろう。

後悔がさらに膨らみ、喉が詰まって息苦しくなった。

『お母さん探すみたいにウロウロウロウロ。
つかれたらソコにしゃがみ込んで、しばらくしたら立ち上がってまたウロウロ。
毎日毎日朝から晩まで……』

3巻の場面だ。
苦しそうなたつきの言葉をあたしは鮮明に思い出した。

「……一護はお母さんを探してるの?」

少年はビクリと肩を震わす。
返事が無くても、それが何よりの答えだった。
やっぱりこの子はBLEACHの一護だ。
あたしは異世界トリップしちゃったんだ。

「今も探してるんだね。
お母さんを」

亡くなっているのに。
それを信じることができなくて。
信じたくなくて、ずっとずっと探している。
その姿を思い浮かべると、胸の奥が締め付けられるように痛くなった。

「ごめん。もう一回ひどいこと言う」

一護の隣に腰を下ろす。

伝えないと。
一護はこれから先も、ひとりきりでずっとここに来る。

「一護。
お母さんは……ここにはいない。
どこ探しても、この世界にはどこにもいないの」

三角座りの一護はギュッと膝を抱える。
唇を噛みしめ、小さな肩は震え、川を睨む瞳は揺らいでいて、泣きそうなのに涙は出なくて。
精一杯我慢しているんだろう。
こんな小さいのに。

「ごめん、一護……!
ごめん……!!」

目から熱いものが溢れた。
まさか一護じゃなくてあたしが泣くなんて。
ひどく情けない気持ちになったけど、涙はボロボロと溢れていくばかりだ。
手で押さえても止まらない。
頬と唇は震え、鼻水まで垂れてきそう。
恥ずかしい顔になっているのは確実だ。

ぽん、と頭に何かが乗った。なに?
気になってほんの少しだけ顔を上げれば、涙でぼやけた視界にオレンジ色が見える。
目をぐしぐし拭って確かめる。
頭に乗った何かが一護の手だと遅れて気づいた。

「一護……?」

慣れない手つきでワシワシと頭を撫でてくる。
驚いて涙が止まった。
今度は一護の瞳からボロッと涙でこぼれる。
撫でる手を止めない。
泣きながらずっと頭を撫でてくれる。

「……ありがとう、一護」

あたしも一護の頭を撫でる。
他の人が見れば奇妙な光景だ。

「うう……う……ひ……ッ」

一護は声を殺して泣く。
頭を撫でてくれる手を下ろさせ、あたしは一護を抱き締めた。
驚きや戸惑いが伝わってくるけど、嫌がってはいないと思う。

「思いっきり泣いていいよ。
ここにはあたしと一護しかいないから」

静かな川原に一護の泣き声が大きく響いた。
しっかり抱き締める。一護を支えるように。

泣き始めてしばらく時間が経ち、泣き声が小さな嗚咽に変わった。
落ち着いたかな?
確認してからゆっくり離れる。

「もう大丈夫?」

目と鼻が真っ赤になった一護は黙ってこくんと頷く。
かわえぇ!!(親指グッ)

立ち上がって空を確認する。
夕暮れは全部に消え、夜の色に染まっていた。

「あちゃー……。
日ぃ沈んでからどれだけ経ったんだろ。
早く帰らないと」

思ったことをそのまま呟けば、ぐいっと手を引っ張られた。
どうしたんだと視線を戻せば、瞳を潤ませた一護がまっすぐあたしを見つめていた。
例えるなら、拾ってオーラを放つ子犬のようだ。
グハッ(興奮の吐血)

「ど、どうしたの一護?」
「帰るの?」
「そりゃもちろん帰るよ。
これからもっと冷えるんだから。
ほら、帰ろう?」

歩き出そうとしたが、一護は動こうとしなかった。

「どうしたの?」
「お姉さん……帰っちゃうの?」

強い眼差しに、一護が何を言いたいのかやっと気づく。

「もしかして一護、あたしとここでお別れだと思った?」

一護は不安そうな表情で頷いた。
ヤダ! この子かわいい!!

「あはは、そんなわけないって。
一緒に帰るに決まってるじゃない」

手を握って笑いかければ、一護は安心したようにホッとした。

夜になると肌寒い。
ランドセルをあたしが持ち、肩にかけてる上着にちゃんと袖を通させる。

「さ、帰ろう?
一護の家はどこ?」
「あっち」

目的地があるほうを指差してくれた。
ランドセルを背負い直し、一護はあたしの手を引っ張って歩き出す。
小さな手は柔らかくて顔がニヤニヤする。
警察がいたら職務質問されるだろうなと内心思った。
一護に連れられて川原を抜ける。
景色は大きく変わり、見慣れないベッドタウンに入った。

どうしてあたしはBLEACHの世界にいるんだろう?
どうして自分が?
『嬉しい』じゃなくて疑問のほうが強かった。

だってあたし普通だよ?
体力がずば抜けてすごいわけでもなく、頭が飛び抜けていいわけでもなく、歌が感動するぐらいうまいわけでもなく、霊が見えるわけでもなく。
平凡な人生を歩んだ普通の人間だ。
どうしてだろう……と悩んでいたら、一護が突然ぴたりと止まった。

「一護?」

考え事しながら歩いちゃダメだな。
改めて前を見てやっと気づく。
進む先に一心さんらしき人が立っていた。
ヒゲが無くて、漫画よりも若い一心さんが。
慌てた様子でこっちに走ってきた。

「一護!
と、それに……。
……そちらの人はどちらさんだ?」

どうして自分が?という疑問が吹っ飛び、ありがとうございます!!!の気持ちで胸が満たされる。
トリップを許してくれたどこかの誰かに、あたしは心から感謝した。

「こんばんは!
あたしは七嵐春瀬!!
花の高1っす!
川原でウロウロしていたこの子をお届けに参りました〜!」

あたしのテンションは最高潮だ。
だってリアルで会う一心さんが漫画よりもカッコいいんだもの。

「……そうか、すまなかったな。
俺は黒崎一心。
息子が世話になった」

一心さんの微笑みはこの世のマダムのハートを確実に射止めるだろう。
すごくカッコいい。
見ているとドキドキしてしまう。

「まぁ立ち話もなんだ。
晩飯、食べて行くか?」
「いいんですか!?
行きます!」

思いもしなかった申し出だ。
即座にOKする。
一心さんは満足そうに笑ってから一護を見る。

「一護。
先帰って、七嵐さんのことを夏梨と遊子に伝えてくれ。
俺は七嵐さんと少し話すから」

頷き、一護は走っていく。
あっちに黒崎家があるのか。

まさか黒崎家の晩御飯にお邪魔できるなんて……。
もうミラクルよ、ミラクル!
一心さんも見られたし!!

若かりし頃の一心さんは貴重だ。目に焼き付けたくなる。
ちらりと横目で盗み見ようとしたら、一心さんはすでにあたしを見ていた。
うわぁヤバッ!!
勢いよく顔をそらす。

「あの上着は七嵐さんのか?
それに一護の目が……。
あれは……もしかして泣いたのか?」

一心さんの言葉に、あたしは恐る恐る視線を戻す。

「え、あ……はい」
「……そうか。
ありがとうな」

一心さんは柔らかく笑う。
安心した表情だ。
ずっとずっと、一護のことを心配していたんだろう。
ありがとうとは言われたけれど……

「あたしは……ありがとうって言われることなんてしてないですよ……」

『ありがとう』なんて一番ふさわしくない言葉だ。

「あたしは二度も一護を傷つけたんです。
ひどいこと、言いました。
あんな小さな子に、お母さんを失ったことを思い出させて……最低です」

本当はもっと別の形で気づかせることも出来たんじゃないだろうか。
現実を突きつけるんじゃなくて、もっと別の方法で……。

「七嵐さん。
あなたの目も赤いんだが?」
「あ、これは……。
……実はあたしが先に泣いたんです。
一護が泣き止まそうとしてくれて……」

年上なのに泣いてしまった。
事実を話すのはやっぱり恥ずかしい。

「一緒に泣いてくれたんだな。ありがとう」

心の底から嬉しそうに笑う。
少し見える歯は白かった。
明るくて爽やかで太陽みたいな笑顔だ。
胸がドキドキして顔が熱くなる。

「それじゃあ行こうか、七嵐さん」
「はい!」

案内してくれる一心さんのちょっと後ろを歩く。
進んでいくと『クロサキ医院』の看板が見えてきた。

「……あの建物ですか?」
「ああ。
ん? みんな外で待ってるな」

言われて気づいた。家の外で確かに待っている。
一護と、さらに小さい幼女2人。
あたしの歩調は自然と早くなった。

めちゃくちゃかわいい幼女2人は、近づくあたしにまん丸とした目を向けてくる。
夏梨は警戒する眼差しを。
遊子は好奇心の眼差しを。

一護もすごくかわいいし、これはハーレムですか!?

出そうな鼻血を気力で引っ込め、かわいいおチビちゃん2人を怯えさせないよう、その場にしゃがむ。
小さい子にあいさつする時の常識だね!

夏梨と遊子を見ていると目尻がぐんぐん下がるし、口角がめちゃくちゃ上がる。
超デレデレした。

「あたしは七嵐春瀬だよ。
よろしくねぇ」

手が自然とワキワキ忙しなく動く。
抱き締めたいという気持ちが無意識に出てしまっていた。これは不審者!
あたしは両手をサッと下ろす。

「あはは……あたしのことはお姉ちゃんって呼んでね?」

親指を立ててウィンクする。
幼女2人は硬直していた。
あたしのテンションに戸惑ってしまったかな?

夏梨がおずおずと右手を差し出してくる。

「……かりんだよ。
よろしく」

表情は固い。頬が赤いから照れているのかも。
これは嬉しい!
あたしはピョンッと飛び付き、両手で握り返した。

「よろしくっ!!」

夏梨の手は一護よりさらに小さい。
柔らかくて温かくて、幸せで今すぐ溶けちゃいそう!
顔がデレ〜ッとする。
ああヤバい気持ちがそのまま表情に出てしまった。
顔をキリッと引き締める。

握っていた夏梨の手を離し、次は遊子に向けて差し出した。

「よろしくね?」

遊子は満面の笑顔をパァッと咲かせ、すぐに握手してくれた。かわいい両手で!!
なにこのマシュマロみたいな柔らかさ!
顔がデレデレゆるんでしまう。

斜め左から熱い視線を感じた。
一護がなんかすごいこっち見てる。
視線を向ければサッと顔をそらされた。
えぇ何? ジッと見つめていたくせに……。
ハッと気付き、はは〜ん、と笑う。
遊子の手を優しく離し、あたしは一護にガバッと飛び付いた。

「うわぁっ!!」
「淋しいならお姉さんに言えばいいのに!
一護ったら素直じゃないんだから!!」

ギュッと抱き締め、頭をぐしゃぐしゃに撫でてやる。
肩をポンポンされた。
暴走するあたしを止めたのは一心さん。

「七嵐さんそれぐらいに。
みんな家に入ろう」

一心さんの言葉に、夏梨はあたしの左手を、遊子はあたしの右手を握って中へと連れて行ってくれた。
もう、あたしってば幸せ者……。


□■□■□■


一心さん作の肉じゃがは匂いから美味しそうだった。
いただきます、と手を合わせている時、あたしはこの世の全てに感謝した。
一口食べて『これは神様が作ったのかな?』と思った。
ほろほろとほぐれて柔らかく、深くまで味が染み込んでいて絶品だった。
ご飯が進む進む。

「美味しいか?」

一心さんの問いに、もぐもぐしているジャガイモを飲み込んでから答えた。

「美味しすぎです!!
こんな肉じゃが食べたことない!」

もぐもぐしていたら、あっという間に完食した。

「おねえちゃん。
これ……」

隣に座る夏梨が、にんじんを刺したフォークをあたしに向けて差し出した。

「あれ?
夏梨にんじん嫌い?」
「いいや。
にんじんは夏梨の大好物だ。
それやるってことは、七嵐さん相当気に入られてるぞ?」

一心さんの言葉に夏梨の好意を実感する。
嬉しくてジ〜ンとなった。

「ありがとう夏梨。
じゃ、いただきます!」

フォークに突き刺したにんじんをもらい、パクっと食べ、お礼として夏梨の頭を撫でる。
それを見ていた遊子が一生懸命にじゃがいもをフォークで突き刺し、きらきら笑顔で差し出してきた。
お宝をもらった気持ちで受け取り、パクっと一口で食べ、遊子の頭を撫でる。

「二人ともありがとう。
嬉しい気持ちでお姉ちゃんお腹いっぱいだよ!」

夏梨と遊子はくすぐったそうに笑う。
幸せな気持ちで溶けてしまいそうだ。

「七嵐さん。
食べ終わったら家まで送ろうか?」

ギクッとする。
どうしよう。あたしの家は絶対この世界に無い。

「帰るの……?」

呟いたのは一護だ。
あたしに『嫌だ』って目で訴えてくる。
できればもう少しここに居たいけど、長居するのは気が引けた。
ご飯をごちそうしてもらったので充分だ。もう帰らないと。
クイッと服が引っ張られる。

「ん?」

顔を向ければ、夏梨がジッとあたしを見つめていた。
一護と同じ『いやだ』の目で。

「うっ……」

さらに遊子までジッとあたしを見ているような気がする。

「あー……」

『帰らないと』の気持ちが『ここに居たい』に大きく変わった。

「……一心さん、もう少し居てもいいですか?」
「もう少しも何も、泊まっていったらいいじゃないか」
「え!?」

思いもしなかった言葉に耳を疑った。

「まっ……。
ままマジっスか!?」
「七嵐さんさえ良かったら。
ゆっくりしてもらえたら俺も嬉しい」

まさか一心さんもここにいてほしいと思っていたなんて。
ホッとして目頭が熱くなった。

「じゃあ今夜はお邪魔させてもらいます」
「良かった。
電話は玄関の方にあるから、親御さんに電話しておくんだぞ」

電話。
言われて動揺したし、めちゃくちゃ困った。

「で……電話ですね?
はい、家にかけてきます」

ダイニングを出たあたしは、ひとまず玄関のほうへ移動することにした。

電話ね……。
出たのはため息。

明らか、あたしの家はこの世界にないだろう。
絶対繋がらないけど、電話するフリだけでもしておこう。
受話器を上げて番号をプッシュし、その後に聞こえたのは。
『この電話番号は、現在、使われておりません』の音声ガイダンスだ。
あたしは受話器を元に戻した。
予想通りだから別にこれといって何もない。
ショックとかそんな感情も湧かない。
むしろここであたしん家に繋がったら、そっちのほうが驚きだ。
一心さんには無事OKしてもらえたとでも言っておこう。

ダイニングへ戻ろうとした時、ドクンッと心臓が大きく跳ねた。
跳ねたというより、心臓を直線殴られたような。

「なに……これ……!?」

痛い。 すごく、痛い。
立ってられなくて、崩れるように膝をつく。
暴れるような心臓の痛みに息をするのも困難で、涙がぼたぼたと床に落ちた。

ガシッ、と誰かがあたしの肩を掴む。
大きくて温かい、一心さんの手。
途端、心臓の痛みが嘘のようにスッと引いた。

「大丈夫か?!」
「……しん……さん……」

痛みは消えても、息苦しさや涙は無くならない。
一心さんは労るように背中をさすってくれた。

「七嵐さん、こんなことが今までもあったのか?」
「いえ……。
こんなの……初めて、です。
今までなかったのに……」

風邪すら滅多に引かないのに。
あたし、一体どうしたんだろう?
またこんな風に痛くなるの?
異常な痛みを思い出して背筋が凍る。
言葉にできない恐怖や不安が胸を締め付けた。

ドタドタと廊下を走る音が聞こえてくる。

「おとうさん!
おねえちゃんどうしたの?!」
「夏梨! 遊子!
一護のところで待ってなさいって言っただろう」

夏梨と遊子は、あたしを見るなり血相を変えて駆け寄ってきた。
一心さんの言葉なんて耳に入っていない。
寄り添ってくれて、あたしの背中や頭を必死に撫でてくれた。

「おねえちゃんだいじょうぶ?」
「ここいたい?
だいじょうぶ?」

小さな手があたしを元気づけてくれている。
二人の温もりが不安や恐怖を消し、涙を止め、笑顔にしてくれた。

「ありがとう、もう大丈夫だよ」

その言葉が本当だと証明したくて、立ち上がるなり遊子を抱き上げた。

「ほら高いたか〜い!」
「やー!
きゃはは、たかいたかい〜!」
「あー! たかいたかいだ!
いいなぁいいなぁ!!」

遊子を下ろし、次は夏梨の番だ。
二人は思ったより軽く、あたしの頭を越える高さまで持ち上げることができた。
夏梨を下ろしてしゃがみ、二人と目線を合わせた。

「ね? お姉ちゃん元気でしょう?」

あたしの言葉を信じてくれたのか、二人は安心したように笑顔を輝かせる。

「よし、お兄ちゃんとこ戻ろうか」

二人は元気よくダイニングに戻っていく。

「七嵐さん」

後を追いかけようとしたけど、一心さんに呼び止められた。
真剣な声だ。

「は、はい」
「七嵐さん、手を出して」

言われるままに手を出せば、『守』と書かれた小さな袋を渡された。
神社に売っていそうなやつ。

「これは?」
「心が安らぐ御守りだ。
さっきと同じことがもう一回起こるかもしれないからな。
これをずっと離さず持っていてくれ」

大事にしているんだと一目で分かるお守り。
それをあたしが受け取っていいの?
迷ったけど、一心さんの真剣な眼差しに頷いた。
お守りを両手で受け取り、ポケットに入れる。

「ありがとうございます。
お守り、大事にしますね」

ダイニングに戻れば、いつの間にか三脚とカメラがセットで置いてあった。

「一心さん。
これ、どうしたんですか?」
「七嵐さんが泊まった記念にな。
よし、みんな座って」

カメラの前には椅子が三脚置いてある。
前には子供達が座るんだろうなと思っていれば、なぜか一護が椅子の後ろに回った。
あれ? 前に座るんじゃないの?

「おねえちゃんこっちこっち!」

ぽかんとしているあたしの手を夏梨が握り、椅子へと引っ張っていく。

「え? 前?
いいよ夏梨、あたしデカイから後ろ────」
「いいんだ気にしなくて。
七嵐さんが真ん中だ」

一心さんに言われると言葉が続かなくなる。
結局、夏梨に連れられる形で椅子に座った。
遊子も一護も夏梨もスタンバイ完了で、一心さんはカメラを操作してから一護の隣に行く。

「ほらみんな、もうすぐだ。
笑えよ〜?」

カメラからカウントダウンの音が聞こえる。
夏梨と遊子があたしの手を同時に握った。
柔らかくて温かくて、嬉しい気持ちが溢れそうだ。

カメラのシャッター音が鳴る。
写真を撮る一瞬だけ、あたしも黒崎家の一員になれた気がした。

予備で置いてる新品の歯ブラシと紙コップをもらい、歯磨きをする。
その後はお風呂の時間だ。

「おねえちゃんおふろはいろ!」
「いっしょ! いっしょ!!」

ぐいぐい引っ張られたり、低姿勢の一心さんにもお願いされたりで、お風呂も一緒になってしまった。

二人を湯船に入れてから頭を洗い始める。
熱心な視線を感じて顔を上げれば、夏梨と遊子がザバァッと湯船から身を乗り出した。

「おねえちゃんおねえちゃんっ」
「なぁに?」
「おねえちゃんのかみながいね〜」と夏梨。
「すごいねっ」と遊子。
二人ともキラキラと目を輝かせている。
嬉しいけどくすぐったい。

「髪を切らずに伸ばし続けたら願いが叶う、なんて小さい頃に言われてね。
それからずっと切らなかったんだ。
ほら、髪長いとこんな形ができるんだよ〜」

シャンプーで泡立った髪をグルグルグルっと巻き上げる。

「はい!
ソフトクリーム〜!」
「「わ〜!!!」」

夏梨と遊子のテンションは最高潮だ。

「好きな形にしていいよ」

頭を差し出した途端、二人は喜んで飛び付いた。
髪をめちゃくちゃにする小さな手は、頭をマッサージしてくれてるみたいで気持ちいい。
カニ、ライオン、ウサギ、と形作ったところで、のぼせるといけないからストップをかけた。
残念がる声がハモり、息ぴったりで面白い。
シャワーをひねり、お湯を出してシャンプーを洗い流す。

「これ終わったら次は二人を洗おうね」
「「は〜い」」

娘がいたらこんな感じかなぁと思ったけど、高校生の考えることじゃないと苦笑した。


□■□■□■


お風呂から上がり、次は一護と一心さんだ。
待ってる間に髪を乾かし、夏梨と遊子に寝室へと案内してもらう。
和室にはすでに布団が準備されていて、二人が持って来てくれた絵本を読んでやる。
かわいい絵柄のシンデレラだ。
王子がシンデレラを探しているところで一心さん達が戻ってくる。

「夏梨、遊子、七嵐さん、ただいまー」
「おとうさんおかえりなさ〜い」
「おとうさんおとうさん、いまおねえちゃんがほんよんでくれてるのっ」
「お〜そうかそうか」

一心さんは走り寄る夏梨と遊子を撫でた。
一護が遅れて部屋にやってくる。
頭をタオルでわしゃわしゃ拭いていて、その姿がすごい可愛いらしい。

「おかえり」

あたしの声に顔を上げた一護は、慌てた様子でぷいっと顔をそらした。
恥ずかしいのか照れてるのか頬が赤い。
あぁもう本当に可愛いなぁ。

一護と一心さんが髪を乾かし、三つある布団に全員で潜り込む。
あたし、一護と夏梨、遊子と一心さんの組み合わせだ。
おやすみを言い合い、一心さんが電気を消す。
横になったけど目はギンギンして眠れる気がしない。
夜の闇に目が慣れ、しばらくしてから複数の寝息が聞こえてきた。
寝ようとは思うけど……目が冴えてちっとも睡魔はやってこない……。
夜風に当たりに行こうかと考えた。

身体を起こせば、隣の布団で誰かが起きた。
一護だった。

「一護、眠れないの?」
「うん……」

お互い同じで苦笑した。

「外の空気吸いに行く?
星を一緒に見ようよ」

頷いた一護はもぞもぞと布団を抜け、寝室を出る。
あたしもすぐに追いかけた。

真っ暗な廊下を進み、玄関まで行く。
一護が鍵を開けて先に外へ出た。

「……星、無いね」

一護の言葉に空を見上げる。
夜空は雲がほとんど覆い隠し、満月だけが輝いていた。

「でもきれいだよ。
ほら、月の周りの雲が金色に染まっている」

きれいな色を初めて見るのか、一護は感動して言葉が出ない様子だった。
空を見上げすぎて倒れそうになる。
後ろから一護を支えた。

「大丈夫?」

恥ずかしかったんだろう、一護は逃げるように離れた。
顔が真っ赤だ。かわいい。

髪を揺らす風が吹く。気持ちのいい涼しさだ。
一護が小さなクシャミをする。

「風あるし戻ろうか?」

一護が頷いた時、胸の内側が殴られたように痛んだ。
景色が反転する。
ああ、倒れたのか……と頭の隅で思った。

地面に倒れて────心臓が暴れてるみたいに痛くて────鼓動が変で────痛すぎて声が出せなくて────フラッシュバックのように浮かんだのは───もらったばかりの一心さんの御守り。

パジャマのポケットから御守りを出し、両手でギュッと握る。
潰してしまうんじゃないかと思えるほど握っていれば、暴れる心臓がスッと落ち着いた。
やっと息ができて、咳き込みながら酸素を取り込む。

「おねえさん!!
おねえさん!!!」

一護は小さい手で必死に揺さぶってくる。
今にも泣き出しそうな顔だ。

大きく息を吸い、大きく息を吐いた。
死ぬかと思った……!!

「……だ、大丈夫だよ一護、ちょっと気分悪くなっただけだから。
ほらほらそんな顔しないの。
あたしは大丈夫だよ?」

一護の頭を撫で、自分はもう平気だと伝える。
無理しているわけじゃないのに、一護の目には涙が浮かんでいた。

これは一護にも高い高いをしてやったほうがいいかな?
上半身だけ起こせば、ゾッとする寒気が背筋を駆け抜けた。

「……?!!」

寒くないのに、全身が総毛立つ。
腕をさすっても寒気は無くならない。
冷や汗が浮かび、身体も震えてくる。

「大丈夫?」

一護があたしの手を握る。
心配させたくなくて、大丈夫だって言おうとしたけど声が喉で詰まって話せなかった。

どくん、どくん、どくん、と動悸が嫌に速い。
胸騒ぎで吐きそうになる。

ここに“何か”が来る────と、よく分からないけど無性に思った。
一護達を巻き込んじゃう。

来る、近づいてくる。
遠くから確実に。
黒くて、恐ろしい“何か”が。

「一護……!」

巻き込んじゃいけない。絶対に。
それだけを必死に考えた。

「……ごめん、一心さんを起こしてきてほしい。
一人じゃ立てなくて」
「うん、わかった……!」

一護はすぐに行動してくれた。
中に戻り、姿が見えなくなる。

「ごめん」

呟き、バッと立ち上がり、黒崎家から飛び出した。
どこでもいい! どこか遠くに行かないと!!

今あたしがするべきなのは、黒崎家の人達を巻き込まないこと。
それしか出来ない。

全力で走る。
前を見据えながら、転ばないように気をつけて、後ろにも意識を向けながら。
恐ろしい“何か”を確かに感じる。
少しずつ近づいてくる。
距離を詰めてきて泣きたくなる。
いや、涙はもう出ていた。
黒崎家から逃げてよかった。
あたしは間違ってなかった。

「嫌、嫌、嫌だ……!!」

怖い。
迫ってくる“何か”が怖い!!

涙で視界がぼんやりしている。
自分がどこを走っているか分からなかった。
もし、あたしが空座町の地理を知り尽くしていたら逃げ切れただろうか。
ううん、きっと無理だ。

逃げてからそんなに時間は経ってないと思う。
あたしは長年住んでいる人なら絶対行かないような袋小路に入ってしまった。
吐き気のする“何か”の気配を鋭く感じる。
多分、背後に複数だ。
雲が晴れて夜道を照らす。

“何か”は虚だった。
巨大な化け物が、ギラギラと輝く禍々しい瞳であたしをまっすぐ見据えている。
三体だ。
涙で濡れた頬がひくっと跳ね上がる。
どうして自分がこんな目に合うの?
理不尽さに笑えてきた。
怖すぎて感覚が麻痺していた。

数秒後には殺される。
頭では分かっていても、あたしの心は生きたいと叫んでいた。
無理だよ。あたしは死神じゃないんだから。
なんの力も無い。あたしには無理だ。
戦うことも抗うこともできない。
虚達は一斉に動き出し、反射的に目を閉じる。
威圧感が迫って死を覚悟した。

すぐそばで、風を斬る鋭い音が。
聞こえた直後、“何か”の気配が消えた。

静かになる。
穏やかな夜に戻った。

「……?」

変だ。何が起こったんだ?
ギュッと閉じていたまぶたを開ける。

虚がいた場所に誰かが立っていた。
あたしのよく知っている人だった。
服装は白い衣装。
眼鏡をかけた、白いひげのおじいさん。

助けてもらったんだと、話をしなくても分かった。
視界が涙でぼやける。
緊張の糸が切れ、立つことも出来なくなる。
生きていることを実感したあたしは、そのまま気を失った。

 






 
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