[7.手紙]


「まさかキミに会えるとはね。
先程はすまない。
突然現れた得体の知れない霊圧だから警戒してしまったんだ」

あたしの落下地点は浮竹の療養用の家屋・小さな庭だった。
母屋はここの十倍は大きいと教えてくれて、浮竹呼びに罪悪感を抱く。
本当に申し訳ありません。これからちゃんと浮竹さんと呼ばせていただきます。

彼のプライベート空間に案内され、枝が刺さって負傷したところを手当てをしてくれた。
手際が良すぎて、あっという間に完了する。
魔法みたいだ。

「ありがとうございます。
ご迷惑かけてすみません……」
「気にしないで。
それよりどうしてここに?
理由を話してくれ。
じゃないと、不法に入廷したキミを捕まえないといけなくなる。
キミを攻撃したくないんだ」

心からそう思ってるのか、懇願する眼差しは真剣だった。
迷うことなく、あたしは話すことを心に決めた。

「実はここに大事な人がいて」
「大事な人?」
「はい。
会いにきました」
「それは誰だい?」
「朽木ルキア、阿散井恋次、更木剣八と草鹿やちる、市丸ギン」

名前を言えば、浮竹さんは口元を手で隠して驚いた。

「びっくりした……。
……キミ、彼らとどう出会ったんだい?」
「流魂街で。
一緒にいた時間は短いけど、家族だと思える人達です」

思い返せば本当にわずかな時間だ。
それでも、一緒にいた時間は自分の中ですごく大きかった。

「彼らに会うためにキミはここに来たけど、正式な手続きをせずに瀞霊廷に入るのがどういうことか、それは理解しているのかい?」
「分かってます。
今ここであなたに攻撃されて捕まっても文句は言えない。
それでもあたしには……この方法しかなかった」
「緊急を要するか、キミに時間がないか。
そのどちらかだね?」

ズバリ言い当てた浮竹さんに、あたしは深く頷いた。

「あと1時間で、あたしの記憶は全て無くなります。
伝えられることを書いた手紙を持って来ました。
後は……直接謝るために」
「記憶を全て?」
「あたしの中に大きな力があります。
暴走しないために、記憶ごと封印しないといけないんです」
「1時間の猶予は……」
「滞在可能時間です。
あたしの魂に負担をかけない為の時間設定だと思います。
時間内に会えないかもしれない。
それでも……あたしは……」

たった1時間。
こうやって話している間に残り時間は減っていく。
姿勢を正し、浮竹さんに頭を下げた。

「お願いします。
1時間だけ、あたしを見逃してください」

沈黙。
ハイそうですかと見逃してもらえるわけがない。あたしは無断で侵入した人間なんだから。
もし断られたら、手紙だけでも渡してもらうように頼むしかない。
1時間土下座して頼むんだ。
静まり返った室内で、ふすまの開く音が聞こえた。

「時間が無いなら急がないとね」

ものすごくダンディな落ち着きのある渋い声にバッと顔を上げる。
絶体絶命鬼ごっこの時に視界に入った女物の羽織りだ!

「あなたは……!」
「どうしてここに?」
「ちょっと近くを通りかかってね。
話は聞かせてもらったよ」

京楽は軽い足取りで入ってくる。
しゃがんで目線を合わせてくれた。

「あの日以来だね。
結局鬼ごっこはおじさんの負けだけど」
「お久しぶりです。
あの時は逃げてすみませんでした」

優しく微笑む。包容力が凄まじい。
京楽呼びに罪悪感を抱いた。
本当に申し訳ありません。これからちゃんと京楽さんと呼ばせていただきます。
音もなく立ち上がり、美しい羽織りがふわりと揺れる。

「山じいに怒られそうだけど、俺はこの子の力になりたい」
「やっぱりおまえもか。
俺と京楽、あともう一人の許可は後でもらうことにして」

二人は明るく笑ってあたしを見る。
話の流れに追いつけない。

「協力しよう」
「あと時間はどれだけ残っている?」
「い、いいんですか!?
だってあたし不法侵入で、手続きしないで入ったのに……!!」
「入廷は隊長三名の許可があればいいんだよ。
さ、早く行こう」

浮竹さんも腰を上げる。
座っているのはあたしだけ。

なんて優しい人達だろう。
深く頭を下げた。
嬉しくて泣きそうになって、慌てて両手で顔を覆う。

「ありがとうございます……!!」

急いで立ち上がる。
浮竹さんは許可を出してくれる隊長に声をかける、と言ってくれて、一足先に出発した。
あたしの会いたい人の近況を話してくれたのは京楽さんだ。
ルキアは現世にいて、恋次は非番。
京楽さんは手紙を手渡すことを約束してくれた。

「どうして……そこまでしてくれるんですか?」

歩きながら話す。
剣八とやちるがいる十一番隊の隊舎のほうが近い、という理由で、京楽さんは案内を引き受けてくれた。

「気になるからね。キミと彼らの昔話が。
再会する手伝いをしたら聞けるかもしれないだろう?」
「恋次とルキアとやちるなら絶対話してくれると思います」

通路の内装が変わり、十一番隊の隊舎に入ったことに気づく。
端末をチラッと見た。
残り時間はまだ余裕がある。

もうすぐで剣八とやちるに会える。
嬉しい気持ちより緊張のほうが強い。
先頭を歩く京楽さんが歩きながら振り返る。

「そんな緊張しなくていいよ。
背筋はちゃんと伸ばして。
自分がここにいることは当たり前、みたいにしないと不審がられるよ」
「はいっ」

ビシィッと背筋を伸ばせば、今度はプッと笑われた。

「そこまではいいよ。自然体でね」
「はい……」

伸ばした背筋を少し戻す。難しいなぁ。

「遅くなったけど俺は京楽春水。
名前を聞いてもいいかな?」
「七嵐春瀬です」
「春瀬ちゃんはどんなきっかけで全員と知り合ったんだい?」
「えーっと、まずはじめにルキアと恋次と知り合って……それから……」

簡潔に伝えたいのに言葉に詰まる。
歩きながらも視線が下がった。
悩んでいたら、視界に隊長の羽織りが見えた。
誰かが歩いてくる。
背筋を伸ばしてから気づいた。
涅マユリだった。最悪!!

「ああ、涅隊長」

京楽さんは笑顔で足を止める。
歩みを止めたマユリの後ろにはネムもいた。

「おやおや八番隊隊長。
なかなか面白いモノを連れてるねェ」

ニヤニヤと笑うマユリの目はギョロギョロしてて、あたしをジーーーーーーッとガン見してくる。
ギャアこっち見んな!と内心悲鳴を上げつつ、愛想笑いが崩れないように意識した。

「こんにちは」

ペコリと頭を下げれば、ガンガン視線が突き刺さってくる。
あー嫌だ、早くどこか行ってほしいんだけど。

「俺の恩人の妹でね。
まだここを把握しきれてないから案内してるんだ」
「初めまして。
よろしくお願いします」
「十二番隊隊長涅マユリだヨ」

右手を出して握手を求めてきた。
フレンドリーだなぁ、と思いつつ反射的に握り返す。
チクッとした痛みを感じた。

「……?!」

マユリがパッと手を離す。
なんで痛くなったか分からないあたしの横を通り、歩き始めた。

「案内が終わったら連れてくるんだヨ。
話を聞かせてほしいからねェ」

マユリとネムが去り、姿が見えなくなってやっと、あたしは痛みを感じた手を確認できた。
指を近づけて見たけど、血は出てないし刺されてもいないし、どこにも異変はない。

「何かあったのかい?」
「……いえ。
何も無いんですけど……」

気のせいだと思えないレベルで確かに痛かった。
本当に最悪。握手しなきゃよかった。
手をブンブン振って気を紛らわせ、気を取り直して十一番隊隊舎を進んだ。


□■□■□■


「ここが更木隊長がいる部屋だよ」

案内されたけど、なかなか入ることができなかった。

「どうしたの?」
「いえ。
入りたいとは思うんですけど……」

あれからどれだけ長い年月が経っているんだろう。
受け入れてもらえないかもしれない。
剣八のいる部屋は和室だ。
緊張してふすまを開けられない。
動けないでいたら、腰にドン、と軽い衝撃がぶつかった。
誰かがギュッとしがみついてくる。
見なくても分かった。

「やっぱり春瀬お姉ちゃんだっ!」

腕を少し上げ、下を見る。
桃色の髪色は今も同じだ。
喜びが溢れた顔で笑いかけてくる。

「やっと会えた!
あのね、あのね、私喋れるようになったんだよ!」

生き生きした声に顔がゆるむ。
離れてバンザイする姿に、大きくなったのを実感して目の奥が熱くなった。
あたしが開けられないふすまを、やちるは勢いよくスパーンッと開ける。

「お姉ちゃんは中にいて!
剣ちゃん呼んでくるねーっ!」

どこかに走るやちるはめちゃくちゃ速い。
すぐに姿が見えなくなった。

「熱烈な歓迎だね。
俺は外にいるし、春瀬ちゃんは中で待ってなさい」
「はい」

中に入れば、すでに先客が二人いてギクリとした。
ジロリと睨む斑目一角。
目を丸くする綾瀬川弓親。
二人とも座っていて、自分の部屋でくつろいでいるみたいにお茶を飲んでいた。
あいさつしたいけど緊張して声が出ない。
硬直するあたしをジーッとガン見する一角は、ハッとしてから手をポンと手を叩いた。

「こいつってあれだよな?
“長い黒髪の女”」
「ああ、確かにあれだね。
かわいい顔に、草鹿副隊長の“お姉ちゃん”発言」

一角がビシィッと指差してきた。

「お前が隊長のオンナだな!!」

何を言ってるんだこの人は。
ドン引きして気が遠くなった。

「こいつ否定しないぜ!
やっぱりこの女が隊長の────」
「違い! ますッ!!!」

全力で否定したら喉の奥が引きつった。
ゴフッとむせ、ゲホゲホッと咳が出る。
ゴホゴホしたけど咳が止まらない。

「大丈夫? 飲み物あるけど」

弓親が差し出してくれた湯呑みをゴホッゴホしながら受け取った。
ありがとうございますスミマセンとジェスチャーしながら、湯呑みを両手で口に運ぶ。
飲んだら酒だった。 吹いた。

「あ、間違えた」

ニヤニヤする弓親に、あたしは湯呑みを床に叩きつけた。
ガタッと一角が立ち上がり、激怒の顔でドスドス迫る。

「なにすんだテメー俺の酒を!!」
「それはこっちのセリフよ知ってたら止めなさいよ!!」

ほぼ同時に胸ぐらを掴みあう。

「うるせー! テメーが勝手に飲んだんだろうが!!」
「あたしだって飲みたくて飲んだんじゃない!!」
「おい」

不機嫌そうな低い声。
背後から聞こえて、あたしも一角もフリーズした。

「何してやがる」
「あ、隊長」

ヒィイイイイイ!!!

掴んでいた一角の胸ぐらをバッと離し、剣八に向き直る。
一角は自分の席に逃げ帰った。
剣八は仏頂面のまま、ふすまを閉めてこっちに来る。
肩にやちるが乗っていて、ピョンと飛び降りて剣八の隣に並ぶ。

「お前……春瀬か」

剣八はあたしが出会った時より大きくなっていた。
見下ろされ、あたしもググッと剣八を見上げる。
無愛想な確認に、あたしはぎこちなく頷いた。

「何しに来たんだ」

仏頂面だ。
剣八の声音は鋭くて、責められているように感じてしまう。
押し潰すような威圧感に言葉が喉で詰まったけど、あたしは剣八から目をそらさなかった。

「……今まで会いに行けなくてごめん。
やっとここに来れたの。
伝えたいことがあるんだ」

声は緊張でガタガタだ。情けなく震えている。
隠し持っている封筒を出し、両手で持ち直して剣八に渡す。
手の震えが封筒にも伝わり、カタカタ揺れて格好悪かった。

剣八は封筒を無言で受け取り、すぐに破って開封する。
仏頂面のまま、手紙の文章を目で追っていく。
場がシンと静まり返る。
一角は席に戻って大人しく座っている。さっきあんなにギャンギャン怒鳴っていたのに。
弓親もやちるも息を潜めて見守っている。
自分の鼓動が大きく聞こえそうなほど静かだ。
剣八は手紙を畳んだ。
読み終わり、封筒に片付ける。
表情は変わらない。

「これで全部か」

さっきより低い、怒っているような鋭い声。
来ないほうがよかった。
そう思ってしまった。

「全部、だよ……。
……ごめん。いきなり押し掛けて、自分勝手にこんなもの渡して。
迷惑だったよね」

剣八の仏頂面が何よりの答え。
ずっとずっと昔の人間に今さら来られても困るだけだ。
この場から消えてしまいたかった。

「ごめんね。
ここには来ないほうがよかったね」

静まり返った室内で大きな物音が響く。
一角が乱暴に立ち上がっていた。

「隊長、ちょっと失礼するぜ」

言いながらこっちに近づいた一角は、グーでいきなりあたしの頭を殴ってきた。

「痛い!!」「あんたはバカだ!!」

頭が痛い。ガンガン響く。

「なぁ〜にが『ここには来なかったほうがよかった』だァ?!」

一角は今にも掴みかかってきそうで、弓親がすかさず止めてくる。

「落ち着きなよ一角。
それ以上は隊長に怒られるよ?」

弓親が一角の背中を押す。
強引に押し続け、一角を廊下に追いやった。

「まぁ僕も一角と同じ気持ちだけどね。
隊長はキミのことをずっと待ってたんだ。
だから来なかったほうがよかった、なんて言っちゃあダメだよ」

弓親はウィンクした後、ふすまを閉めた。
部屋が静かになり、やちるが短い腕でしがみついてくる。
瞳に涙をため、頬を膨らませて怒っていた。

「……ごめん」

少し屈み、腕を回してやちるを抱き締める。
最低なことを言った自分に嫌気がさした。

「ごめん。ごめんね。
あたし、最低だ。
せっかく……笑ってくれたのに……」

会わなかったら抱き締めることもできなかった。
ひどいことを言った自分に後悔する。
もぞもぞ動くやちるに気付き、両手を離す。
一歩、二歩と後ずさった。

「お姉ちゃん。
会いに来てくれてありがとう。
私の名前ね、やちるだよ。
剣ちゃんが名前をつけてくれたの!」
 
剣八をチラッと見る。
無愛想な顔をしているけど、剣八の纏う空気は柔らかい。
やちるに視線を戻し、微笑みかけた。

「やちる」
「うん! もっかい言って!」
「やちる」
「えへへ」

やちるの瞳に溜まる涙がボロっと落ちた。
「だ、大丈夫?」と慌てるあたしに、やちるは満面の笑みでピョンピョンした。

「大丈夫だよぉ! 嬉しいの!
剣ちゃんだっておんなじ気持ち!!」
「言うんじゃねェ」

ぶっきらぼうに言い放つ。
怒ってるんじゃないんだ……と安心した。
剣八が手紙を懐にしまおうとした時、やちるが大きくジャンプして手紙を奪い取った。

「おい!」
「お姉ちゃんの手紙!
私も読むのっ!」

スタスターッと部屋の隅まで走り、ピタリと止まってからやちるは手紙を開く。
剣八は動かずにその場で溜め息を吐いた。
あたしもゆっくり呼吸する。
手紙を読んだやちるはきっとショックを受ける。
何を聞かれても説明できるように、何を言われても受け止められるように、心を落ち着かせる為に深呼吸した。
読み始めて間もなく、やちるは手紙をグシャッと潰す。

「うそだっ!!」

やちるは怒った表情で睨んでくる。

「忘れちゃうの? 私のことも剣ちゃんのことも!
どうして!?」

やちるが走ってくる。
剣八がすぐに間に入った。

「剣ちゃんどいて!
お姉ちゃん嘘ついてるんだもん!!」
「嘘なんてついてねェ。
全部本当だ」
「本当じゃないもん嘘だもん!
どうしてお姉ちゃん忘れるの!?
私覚えてたのに!
ずっとずっと、忘れなかったのに!!」

やちるの叫びで頭の中が真っ白になった。

「あたしだって!!」

気づいてしまった。
自分の心に嘘ついていたことに。

目から涙が溢れた。

「あたしだって忘れたくないよ!!
でもしょうがないでしょ!?
あたし、いつ爆発するか分からない爆弾なんだから!!
そばにいれるわけないじゃない!!
本当は嫌だよ! 自分が自分じゃなくなるなんて嫌だ!
怖いよ!!
大事な人のこと忘れて別人になっちゃうことが────」

それ以上言えなかった。
剣八が覆い被さってきたからだ。
背中に腕を回され、ギュッとされて、抱き締められたことに気づく。

「もう言うな」

剣八の声はすごく辛そうで。

やっと分かった。
気持ちはあたしと同じだったんだ。


□■□■□■


けっこう泣いてしまった。
でも心はすごく落ち着いて、スッキリした気持ちで呼吸を整える。

「ごめんね。
バカみたいに泣いちゃって」

恥ずかしくなって笑えてくる。
剣八が離れた。
そしてやちるが近づき、頑張ってピョンピョンし始める。
なんだろう? あたしはしゃがんだ。
やちるは小さな両手で、あたしの濡れた頬を拭ってくれた。

「ごめんね……。
お姉ちゃん……忘れたくないのに……」
「大丈夫だよ。
今は、大丈夫だって思えるから」
「忘れねぇよ」

ぶっきらぼうな声が頭上で聞こえた。

「お前が忘れても、俺は忘れねぇ。
ずっと覚えていてやる」
「私もだよ!
お姉ちゃんの分も覚えてるから!!」
「ありがとう……!」

そばにいたい。
もう少しだけでいいから。
でも、行かないと。

「あたし……行ってくるね。
手紙を渡したい人が他にいて」
「もう行くの?」
「うん。ごめん」

通信機を確認する。
残り時間は…… 

「……あと25分。
それだけしか、この世界にいられないの」

抱き締めてくるやちるに、ぎゅっと抱き締め返す。

「大好きだよ、やちる」

あたしの言葉に、やちるは抱き締める力をさらに強めて応えてくれた。
幸せな時間はあっという間に終わり、先にやちるが離れる。
剣八は結った髪の一束を両手でいじっていた。

「手を出せ」

迫力のある声に「はい!!」と反射的に両手を差し出す。
剣八は至近距離まで近づいて来る。

「持ってろ」

手のひらに、剣八は鈴をひとつ乗せる。
コロンと転がって……これは剣八の髪に結んである鈴だ。

「いいの?
お守りなんでしょう」
「預けるだけだ。
いつか必ず返してもらう」

落とさないよう握りしめる
再会の約束をした気持ちになった

「ありがとう。
あたしも何か渡したいけど……」

懐やポケットに手を突っ込んで探れば、ポケットに何かが入っていた。
触っただけ分かる。
丸みのある……すごく覚えのある形をしている。
なんでポケットに砕けたはずのイヤリングが?
突然通信機が鳴り響き、慌てて出た。

『それを更木剣八に渡せ』

返事をする前に電話を切られた。
いつも一方的で、要件しか言わなくて、しかもワケが分からない。
さすが世界様だ。

「何をやってる?」
「あ、ちょっと上司から連絡があってね。
これを剣八に渡せ、だって」

あたしからイヤリングを受け取った剣八は、理由を聞くことなく耳に装着した。

「よく分からねーがおまえとの繋がりだ。
確かに受け取った」

ニッと笑う。
かわいらしいイヤリングは不釣り合いで、剣八には悪いと思いつつも笑ってしまった。

「剣八、やちる。
行ってくるね!」
「おう」
「いってらっしゃ〜い!!」

ふすまを開けて通路に出る。
壁際に京楽さんだけじゃなく、一角と弓親も立っていた。

「早速行こう。次は?」
「市丸ギンのところです」
「こっちだよ。
胸騒ぎがする。急いだほうがいい」

少し早足で歩き始める京楽さんの背中を追いかける。

「さっきは殴って悪かったな」
「キミの事を俺達も忘れないよ。
頑張ってね」

二人の言葉はあたたかくて優しかった。

「ありがとう!
行ってきます!!」

笑顔で親指を立て、走ってその場を後にした。
急いで三番隊の隊舎へ向かう。

「あと何分だい?」
「20分です!」

なぜか京楽さんは小走りだ。
焦っているように見えて、彼の胸騒ぎに不安を抱く。

「ここ、走っていいんですか?」
「緊急事態だからね。
俺の胸騒ぎは当たるんだ。
ショートカットしたほうがいいかもね」

京楽さんがいきなり止まった。
慌てて急ブレーキをかけ、何があったんだと前を見る。
行く先を阻むように藍染が立ち塞がっていた。
最低……!
こんな時に最悪な障害が現れて歯噛みした。

「京楽隊長?
慌ただしいですね。
何かあったんですか?」
「ちょっと急ぎの用があってね」

時間にはまだ余裕があるけど、相手が悪すぎた。
これはもう間に合わない。

京楽さんの背中を優しくポンポン叩き、藍染の前に出る。
最初からあたしの存在に気づいていたように、奴は表情を少しも変えない。

「お久しぶりです」
「おや、キミは」
「お互い、変わりませんね」

京楽さんがここにいてくれてよかった。
恐怖で心が塗り潰されずに対峙できる。
笑顔で胸を張って藍染を見つめることができた。

「藍染隊長。
あなたにお願いしたいことがあるんです」
「僕にかい?」
「市丸ギンに手紙を渡してくださいませんか?」
「どうしてだい?
それは君が渡すべきもののはずだよ」
「あたしはもう渡せないんです。
ここにあなたがいるから」
「意味がよく分からないな」
「だってギンはあなたと一番親しいじゃないですか」

今自分ができる百点満点の笑みを浮かべ、懐から出した手紙を藍染に突き出した。
奴も変わらない微笑であたしを見据える。
うっわぁ怖ッ! 目が笑ってないように思えるのはあたしの気のせいだろうか。

「確かに彼は昔、僕の下についていたよ。
懐かしい話だ。
渡せないと言うなら、僕が代わりに手紙を預かっておこう」

藍染が手紙に手を伸ばした時、あたしは挑戦状を叩きつけるように言った。

「あ。
これ、気を付けてくださいね。
ギン以外の人が読んだら面白いことになりますから」

意味深にニィッと笑う。
手紙を渡せば、景色が変わった。
世界のいる空間だ。
あたしの姿をしている世界が迎える。

「ただいま」
『お帰り』
「ありがとう、呼び戻してくれて。
藍染にケンカ売ったから戻れてよかった」
『礼を言われるようなことはしていない。
おまえが手紙を全て渡したらこっちに戻すつもりだったからな。
藍染の手に渡ったのは想定外だが……』
「……あそこで会うと思わなかったよ。
ギンの手紙、藍染に読まれても大丈夫な内容で書いたけど……」

あたしが消えた後の藍染の行動を予想してみた。
A.手紙を無かったことにする
B.ギンに無断で勝手に開封して手がバチッとなって痛がる
C.開封はしない。読みたまえとか言ってギンに渡して内容を聞く(微笑みながらギンを威圧する)

『Cだな』

心を読んで即答する世界にうんうん頷いた。

「あたしもそう思う」

藍染のことだ。開封しなくても内容を知る方法はいくらでもある。
手紙は全て渡した。
次は……

「……それじゃあ始めようか」

あたしの言葉で世界は表情を曇らせる。
目をそらし、『ああ』と小さく呟いた。

あたしを中心に魔方陣が広がる。
複雑に入り組んだ幾何学的な模様は、神秘的な青い輝きを帯びていた。
記憶を失うまであと少しだ。
あたしがあたしじゃなくなる。

「ねぇ世界。
あたし、本当は嫌なんだ。
自分が自分じゃなくなるのが」

言ってもどうしようもないことだって、あたし自身、分かってる。
それでもこれが自分の本心だ。

「記憶を失うのは怖くないよ。
忘れないって。覚えてるって言ってもらえたから。
あたしをあたしだって知ってる人がいるから」

握っていた手を開く。
剣八から預かった鈴は、ちゃんとあたしの手の中にあった。
記憶は忘れてもいい。
だけどこれを失うのは嫌だった。
剣八の鈴は持っていたい。

「ねぇ世界、頼みがあるんだけど」
『たかが鈴ひとつだ。支障は無い。
ちゃんと握っておけ』

さすが世界。
あたしのことよく分かっている。

「ありがとう。
世界のまっすぐじゃない優しいとこ、あたし好きだよ」

鈴を握り、まぶたを閉じる。
覚悟を決めた時、小さな声が聞こえた気がした。

「……なんか言った?」
『いいや。
俺じゃない』

まぶたを開け、周辺を見る。
あたしと世界しかいないここはすごく静かだ。
気のせいかと思ってまぶたを閉じようとしたら、今度はハッキリと聞こえた。
頭の中で直接響くような声で“助けて”って。

「やっぱり聞こえる!
女の人だ! 助けて、って!」
『行く気か?』
「もちろん」

世界は降参したように両手を上げる。

『その声の主も欠片の影響を受けているな。
お前が知っている物語よりも死期が遅れ、愛する者と多くの時を過ごすことができた』
「悪い影響だけじゃないんだね。
でもどうして助けて、なんて……」
「その人物はたった独りで死ぬ。
最愛の者に看取られる事なく」
「それって……」

最悪だ。
絶対、絶対助けないと。

「お願い世界。
あたしをその人の所に転送して!」
『行っても確実に助けられるわけじゃない。
向こうに留まれるのはさっきの残り時間18分だけだ』
「それでもいい」

助けたい。
でも助けられないかもしれない。
それでもあたしは、助けを求める声に応えたかった。

『目を閉じて意識しろ。
声が聞こえるほうに、糸を手繰り寄せるように』

深呼吸し、まぶたを閉じる。
女の人の声に意識を向けた。
果てしなく遠く感じる距離が、だんだんと、近づいてくる。
声が大きく、鮮明に聞こえてくる。
ふわりと風が吹き、やわらかい草木の匂いがした。声が消える。

まぶたを開く。
そこは桜の花びらが舞い散る庭園だった。
ぽかぽか暖かくて、空は快晴で雲ひとつない。
個人のお宅にお邪魔したみたいだ。

「ここは……」

あたしのすぐ背後には縁側が伸びていた。
どこかの屋敷で、ふすまが全開にされた和室が視界に飛び込んだ。
倒れているのは女の人。
畳には、ぶちまけたように血が広がっている。
助けを求めていたのはこの人だ。

「しっかりしてください!!」

縁側を飛び乗り、女の人のところに駆け寄った。
顔を上げたのはルキア────じゃない、緋真さんだった。
口元が血で赤く汚れていて、ひどく痛々しい。
周りには誰もいない。気配も感じない。

「白哉はここにいないの!?」

白哉じゃなくてもいい。
屋敷にいる人を誰か呼びに行こうとしたら、彼女に服を掴まれた。
すがりつく緋真さんは涙を浮かべ、辛そうな表情で頭を振る。
大きく咳き込み、苦しそうに血を吐き出した。

「お願いします……!
白哉様を呼ばないで下さい……」
「どうして!?」
「白哉様は多忙の身です。
私のことで仕事を妨げたくないのです……。
お願いします……!」

偽りのない気持ちなんだろう。
必死に頼む緋真さんはひどく咳き込んでたくさんの血を吐いた。

「喋らないで!
横になって!!」

無理やり緋真さんを寝かせ、周りに意識を向ける。
外出中なのか、隅々まで誰の気配も感じられなかった。
こんな緊急事態に誰もいないなんて……!
あたしの腕を掴む緋真さんの力は弱々しくて、顔色は蒼白だった。

「いいんです。
私が……清家さんに人払いをお願いがしたから……」

だから誰もいないのか!
納得したけど、悔しくなった。
普通はこういう時って誰かひとりは居るもんじゃないの!?

「朝から身体が楽で発作が一回もなくて……変だと思ったんです。
……でもこれで得心がいきました。
私の命はここまでだって」
「!!
なに言ってるんですか!」

緋真さんは辛いはずなのに穏やかに微笑んでいる。
弱った心が諦めさせてるんじゃなくて、本当にそう思っている感じだった。

「なぜここにいるか存じませんが、あなたがいて下さってよかった……。
白哉様にお伝えしてほしいことがあるのです」
「ふざけないで!」

ピシャリと断れば、緋真さんはビクリと震えて黙り込んだ。

「あたしは何も言わない。
伝えたいことがあるならあなたが言いなさい」

緋真さんを残して庭園に降りる。
腹が立った。緋真さんの言葉がもどかしくて。
助けを求めていたのに。

まぶたを閉じて、自分の意識を広げていく。
瀞霊廷全体に行き届くように。
数えきれない霊圧がうごめいていて、体長格らしき霊圧だけを残して他の霊圧は自分の意識から除外した。
藍染の霊圧を捕捉することができて、もちろんそれも除外する。
前に奴と接触できて幸いだった。
複数ある霊圧の中に白哉がいればいいんだけど。
脳裏に“七十七”と文字が浮かぶ。

緋真さんのことを伝えるにはこの鬼道しかない。
意識を研ぎ澄まし、捕捉している霊圧に対して呼びかけた。

「天挺空羅!!」

空気が一変し、捕捉している霊圧が反応する。
息を思いきり吸い込み、腹立たしさをそのまま声に出してぶつける。

「朽木白哉!!
なんで大事な人のそばにいようとしないの!?
緋真さん、仕事の邪魔になるからってひとりで死のうとしてるんだよ!
後悔したくないなら今すぐ戻ってきて!!」

言うことを言って電話を切るように、一方的に天挺空羅を解除する。
意識して探れば、一人、ものすごいスピードで迫る霊圧があった。
ここを目指して真っ直ぐに。
すぐに緋真さんの元に戻った。
緋真さんの瞳には涙が浮かんでいた。

「白哉、もうすぐ来るよ」
「どうして……」
「助けて、って言ってたでしょう?
あたしにできるのはこれぐらいしかないから」

緋真さんは肘を支えにして起き上がろうとしたけど、辛そうに震えて布団に沈む。

「申し訳ありません。
私にはもう、起きる力すらありません」

感じる。視える。
緋真さんの奥深くにある炎は今にも消えてしまいそうだ。
彼女の手をすぐに握った。

「ありがとうございます。
私なんかのために良くして下さって」
「緋真さん、頑張って。
あともう少しだから」

意識すれば、近づく霊圧はもうすぐここに到着しそうだ。
庭園を見れば、間をおいて白哉が現れた。
瞬歩を使ったのか、次にはあたしの目の前に。

「緋真に何をした」

殺気立っててブワッと威圧される。
怖すぎて汗が吹き出した。
無罪を主張したいけど話を聞いてもらえそうにない。
だって布団や畳の血が尋常じゃないから。
緋真さんの手を握っていなければ、あたしは鬼道ぶち込まれて斬り捨てられていた。

「お止めください白哉様……。
この方は私のために動いて下さったのです……」

白哉の表情が苦しげに歪む。
あたしはもう、ここにいちゃいけない人間だ。

緋真さんの手を離し、庭園に向かう。
意識すれば、ここを目指す複数の霊圧を感じた。
ギンに会いたいと思ったけど。

「……ごめんね」

戻らないと。
そう思った時、グイッと引っ張られて、気づけば世界のいる空間にいた。
待ち構えていたように腕を組む世界は、仏頂面で大きなため息を吐く。

「ただいま。
ありがとう、世界」

送迎してくれる保護者みたいだ。
ニヤニヤしてたら世界はバツが悪そうに舌打ちした。
照れ隠しだ。

『いいからさっさと始めるぞ』

世界は再び魔法陣を展開させた。
あたしを中心に急速に回転し始める。

「おやすみ、世界」
『ああ。またいつかな』

まぶたを閉じ、力を抜く。
自分の身に起こる全てを受け入れるように。

ただひとつでいい、あたしの願いが叶うなら。
“誰か”になってもあたしらしくいられますように。
 






 
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