ヒースの花に祝福を3

「自閉スペクトラム症は…………で感覚過敏または鈍感など……」
「ギャング・エイジとは年齢の近い同性が……」
「……無機物のものも命あるものとして捉えてしまうのが……」


 講義の最後に行った小テストを提出し教室から出る。大学内にはエレベーターはあるが、今日はなんとなく階段を使おう。コツコツというヒールの音が心地よく、リズムを保って階段を降りる。1歩踏み出す度に自身が着ているコートの裾が翻り、モデルになった気分だ。

 建物の外へ出ると肌寒くぶるりと身を震えさせてしまう。そういえばクロコダイルの着ていたコートは暖かそうだったなと、夢に現れる男に意識を置きながら、落ち葉が舞い落ちる歩道を歩いた。

 こんな寒い日は温かくて甘いものが飲みたい。近くの自販機の前で立ち止まり、何があるか下から順に見ていく。黒地にキセルを咥えた男性が描かれた缶に目が止まる。まるで彼のようだと気が付かないうちに手が伸びていた。ボタンを押しても購入のランプは光ったまま、何も出てこない。何故だと思う前に、お金を入れていなかったことを思い出した。慌てて財布を取りだし小銭を入れる。再度ボタンを押すと今度こそガコンという音と共にコーヒー缶が出てきた。羞恥と焦りで財布を片付けるのに手間取りながら自販機から缶を取り出す。


「……冷たい」


 どうやら「つめたい」と表示されている方を買ってしまったみたいだ。温かくて甘いものが飲みたかったのに冷たいブラックコーヒーを買ってしまったのはあの男のことを考えていたからか、と自身が彼をずっと意識していることに驚いて缶を持つ手を握りしめ、缶の冷たさを更に感じ肩を落とした。



「何故吹雪なんだ」
「私の心がブルーだからよ、きっと」


 夢でいつもの部屋だが窓の外は猛吹雪である。意外にもこの男は表情が豊かで、今は訳が分からないという顔をしている。いつも分厚いコートを来ている彼は案外寒さに弱いのかもしれない。窓辺はひんやりとしているが、いつの間にか現れた暖炉の傍で2人してくつろいでいた。

 火というものは安らぎをもたらしてくれる。人に暖かさを与え、力を与えてくれるものだ。火にくべられた薪がパチリと弾ける音が聞こえる。クロコダイルの方を見ると三白眼が黄金色に揺らめいていた。

 お互いに何か話すわけでもなく、ただ沈黙の時間が過ぎていく。それでも気まずくならずに居心地のいい空間だった。彼も黙って暖炉を見ているが、火に照らされた彼の横顔は綺麗だと思った。


「てめェと話していると疲れる」
「何故そんな急に失礼なことを言い出したの」
「だが…………いや、なんでもねェ」
「そう」


 口を開いたかと思うと閉じてしまった。言いたくなればまた話してくれるだろう。カウンセリングでは基本相手から話すのを待つのだと何かの講義で聞いたことがある。興味のない講義はスマホを触っていることが多いため、配布資料のみで試験等何とかやってる節はある。しかし気になった言葉は耳に入るのだ。

 また沈黙の時間が流れる。彼はきっと心や考えの整理が上手くいっていないのだと思う。話した方が脳内の整頓が出来るが話すための言葉が見つからないのか、それともまだ信頼されていないため話してくれないのかは分からない。それでも今は彼と私の関係は最初の頃よりは良くなっていると思ってもいいのだろうか。



 以前夢の中に出てくる彼が何者か知るために調べたことはあるが、あの1度きりのみで以降は調べていない。彼を知るには彼自身と話した方が良く、キャラクターではなく1人の人間として見ることが出来るためだ。自身の夢という想像の世界に現れた架空の人物のはずなのに、現実の人間と同じように思ってしまっている自分に反吐が出る。しかし、彼との対話が楽しいと感じている自分もいた。


「何故てめェがここにいる」
「貴方はいつも疑問ばかりね。これに関しては私が聞きたいわよ」


 広々とした円形の部屋。壁は水槽になっており、外には巨大なワニが優雅に泳いでる姿が見える。その様子が見渡せる部屋のど真ん中には執務机とクロコダイルがいた。

 どうやら彼は仕事中だったようで、なにかの資料を手に取ったまま視線だけこちらに向けている。私はといえばまた子どもの姿に戻っていた。これが小さなもみじのおててというやつかと、自身の手のひらを見て感嘆していたらクロコダイルに頭を小突かれた。

 「何するの」と文句を言うため彼を見上げたら、砂が舞い上がり人の形を成していく。まるで魔法のようだ。粒がぱちぱちと頬にあたりながらも1箇所に集まって見慣れた影を作った。


「どういう原理なの?」
「悪魔の実の力だ」
「魔法のような力ね」
「化け物のようだとは思わないのかね」


 この力で数え切れないほど人を殺してきた。そう告げて悪どい笑みを浮かべた彼はいつも化け物だとか言われてきたのだろうか。随分と歪んだ環境で育ってきたようなひねくれ方をしている。

 人を殺してきたと言われても、その場面を見た事がないし実感もない。以前見たスラム街のような所にいた少年とは違い、私は平和ボケした頭をしているのだ。


「私はまだその力で害を与えられてないもの。今はそう思わないわ」
「クハハハハ!!『今は』か、正直なやつは嫌いじゃねェ」
「褒め言葉として受け取っておくわね」


 決して善人はしないであろう笑みを浮かべていた。つり上がった口角から鋭い犬歯が見える。葉巻の先から煙が立ち上り、人が動いた僅かな風で灰は空気に熔けていった。

 悪魔の実とは何かを機嫌のいい彼に聞けば、海に嫌われる力らしく身を食べたものは水に濡れると力が出なくなるらしい。「なら貴方は泳げないの?」と問えば「さぁな」とワニを見ながら答えてくれた。クロコダイルの視線の先にある水槽へ近づき、水中を優雅に泳ぐ巨大なワニを眺める。

 クジラのように大きいから食費の負担が大きそうだ。よく見れば頭にバナナのような突起物が着いている。このワニの種類は、と質問すれば、彼は律儀にバナナワニと返答した。こんなに巨大な生き物を複数匹飼っているのだ。よっぽど好きなのだろう。

 太陽の光を吸収して碧だけ浮かび上がらせた水面が揺れた。目の前をバナナワニが横切るとごぽりと泡が弾ける音が聞こえる。彼を横目に見れば僅かだが表情は穏やかだ。


「名は体を表す、ね」
「どういう意味だ」
「私のところではワニ目の1つにクロコダイルっていう種類があるの。それを考えれば、ワニを飼ってるワニ……ふふっ」
「枯らすぞ」


 彼のこめかみに青筋が立った。

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