ヒースの花に祝福を2

「青年期の発達課題はなんでしょう」


 教授の問いかけに講義室内は静まりかえる。履修している人は50人前後いるが講義をきちんと聞いている人は一部の人のみだ。そういえば夢の男、本人からは聞いていないが確かクロコダイルといったか。彼は私と同じぐらいの歳だったのに荒んだ顔をしていたなと青白いスクリーンに映し出されたスライドを眺めていた。

 点を稼ぐためか勉強熱心なのか毎回の講義で手を挙げている人が答え、講義は進んでいく。普段はスマホを弄り時間を潰していたが、今日は手を止めて配布された資料やスライドを見続けた。クロコダイルは今何をしているのだろうか。全てを知り尽くしたような顔をした男を脳裏に思い浮かべた。

 講義が終わり帰りの電車に揺られている。ガタンガタンと等間隔の揺れが心地よく寝てしまいそうになるが、眉間を指で押し込み眠気を飛ばす。腕を邪魔にならない程度に前に伸ばして伸びをすると、向かいの窓ガラスに反射した自分の顔が写った。何の変哲もない顔、夢の中では幼くなっていたが今は20歳すぎの立派な大人の顔だ。

 家に帰り、講義で出された課題をこなしながらお菓子をつまむ。色とりどりの琥珀糖は砂糖の衣を纏って、あの男の指輪についていた宝石のようだ。原材料が砂糖・寒天・着色料という甘ったるさと人工物感がある菓子を紅茶と交互に口にしながら課題を進めた。しばらくして眠気がやってくると、布団へと潜り込み夢の世界へと旅立つ。今日もまた会えるだろうか。


「いらっしゃい」
「またてめェか」
「何だか大きくなった気がするわね」
「てめェはガキのままだな」
「あら、ほんと」


 以前と同じ部屋のベッドで目を覚ます。辺りを見回してもいつも通りの殺風景な部屋ではあるが今回は扉が付いていて、そこから男は入ってきた。男は前回より身長が高くなり少し大人びたように思える。もしや私が縮んだのかと思ったがそんなことは無かったようだ。自分の手を広げて見ると、中指の辺りに料理中スライサーで切った傷跡があっため、12歳くらいの頃だろうかと目星をつけた。

 ベッドから起き上がり、近くにあったソファに座ると男もズカズカと近寄り深く腰かけた。前回より警戒心が薄れてはいるが、やはりまだ落ち着かなさはあるようで組んだ足の上に、組んだ手を置いて指を遊ばせている。


「会うのは久しぶりだな。何しに来た」
「何しに来たってここは私の夢の中よ。それに私からすれば貴方に会うのは昨日ぶり」


 男は舌打ちをひとつ。


「時間にズレがあるようね。貴方は歳をとっているのかしら」
「あァ。数年程時差があるらしい」
「少し老けたものね」


 ふふふと笑うとじろりと睨みつけてくる男だが、掴みかかって来ないあたりそこまで気を悪くしていないらしい。所詮は夢の住人とでも思っているのだろうか。もしそうだとしたらこの男は案外ロマンチストなのかもしれない。夢の中に人が住んでいるというのだから。

 後ろに流していた髪は首に掛るまで伸びており、青年から魅力的な男性へと変わっているように思える。相変わらずの三白眼で目つきは悪いが、以前の思春期のようなトゲトゲしさはなく、冷静をまとってはいるが獲物を狙う猛獣のような爛々とした眼をしている。

 ふと、そういえば自己紹介をしていなかったと思い自分の名前を告げると、男は訝しげに眉をひそめた。


「急になんだ」
「私の名前。言ってなかったと思って」
「……」
「貴方は誰?」


 男は口を閉ざし一拍置いてから開いた。


「……クロコダイル」
「よろしく」
「よろしくするつもりはねェ」


 相手が無関心であろうと、こちらは相手に関心があることを示すように見守りを続ける。自分は1人ではないと安心出来る居場所を作るのがカウンセリングの1歩ではないだろうか、と教授が話していたような話してなかったような。講義の実践としてこの無愛想な男を利用するのは少々申し訳ない気持ちはあるが、夢だ。彼には私の気まぐれに付き合ってもらおう。

 男はどこからともなく葉巻を取りだし咥えたあとシガーカッターで切る。静かな部屋ではパチンという葉巻の吸い口を切り落とした音がよく聞こえた。



 

 ここは一体どこだろうか。レポートや論文に追われて完徹し、やっとこさ眠ることが出来ると思い目を閉じた矢先の話だった。新聞やテレビで時々取り上げられる海外のスラム街のような場所に私は立っていた。崩れ落ちたレンガの家や痩せこけた犬など明らかにこの街は貧困状態にある。今はよく分からないままブラブラと徘徊していた。今回の夢の私は現実と同じ体である。いつも通りの視界の高さに安堵しながら道に敷かれたガラクタを踏みしめた。

 もはや瓦礫とかしている街には、目が落窪んだ子供や性別が分からないような老人が、死をただ待っているように静かに横たわっている。そんな中、遠くから小さな子供と柄の悪い男達がこちらに向かって走ってきていた。そこまで正義感が強くない私は面倒事に巻き込まれる前にと、近くにあった瓦礫の山の影に身を隠す。夢だろうが関係ない。私は私が1番大事なのだ。


「クソガキ!待ちやがれ!!」
「はぁッ……はぁッ……」


 物陰に隠れた途端、平和に過ごしていたら聞くことがない発砲音と金属の擦れる音。スリルと好奇心が顔をのぞかせ、瓦礫から声のする方を見ると静かに地面に倒れ伏している男たちと血まみれになった子供がいた。黒髪を後ろに流し頬に血をつけた少年は銃を男達に向けて息を荒らげている。そして構えられた銃からは硝煙が立ち上っていた。

 まるで欧米の古い映画を見ているような感じだ。近くで殺人が起こったのに、どこか遠い場所で起きた出来事を見ているかのような気分である。実際に男たちが撃たれた瞬間を見ていないせいか目の前で人が死んだ実感はなかった。まぁ夢の中で起きた出来事であるのが大きいが。

 瓦礫から顔を覗かせていたが、空気が読めないことにくしゃみという不随意運動は待ってくれない。男たちと少年が暴れたことにより舞い上がった砂埃は、私の鼻を擽り「くしゅんっ」と強い呼気が出た。

 パンッという破裂音と何かが肩を貫いた感覚に視界はブラックアウトした。


「ということが昨日の夢であったのだけれど」
「……何故その話をおれにしたのかね、お嬢さん」
「その少年が初めて会った頃の貴方に似ていたから。ちなみにどこが似ているか聞きたい?」
「いらねェ」


 呆れた顔をしてソファーにくつろぐクロコダイルはここで何を考えているのだろうか。

 この逢瀬も何回目かになるが、その度にこの男はかなり歳をとっていっているような気がする。私も今では大人の姿ではあるが、夢の中で共に成長しているのだろうか。それとも目の前の男の心象の変化に合わせて変わるのだろうか。


「生きることに必死な所が似ていたのよ。触れるもの皆傷つけてしまうような」
「その耳は飾りか?」
「突然どうしたの?平衡感覚や音を聞く機能としてはきちんと働いているわ」
「いらねェって言葉は聞こえなかったか?」
「私が話したいから話しただけ」
「ならなんでおれに聞いた」
「日本人にはそういうのがあるのよ」

[ 10/18 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -